第24話 淡雪の過去

 時は流れ、幼かった淡雪も大人へと成長していた。母よりも低かった背はいつの間にか母を見下ろすほどに伸びて、高かった声は低くなっている。体毛も昔より濃くなり、顎には髭が薄っすらと生えかけていた。


 変わったのは見た目だけではない。生活ががらりと変わっている。

 幼少期は『授業』と『実験』で痛い目にひたすら耐えるだけだったが、体格も良くなり体の動かし方も学んだおかげで父と渡り合えるようになってきた。勝てたことはまだ無いが、負けることは減っていく。最近では引き分けに持ちこむことが多くなっている。


 父は変わらず殺すつもりでかかってくる。人を殺すための動きをその身にしっかりと焼き付けられた淡雪は、父がどう動いてくるのか簡単に予測が出来るようになった。おかげで痛い思いをすることは減ったし、逃げることも出来た。幼い頃は反撃することも逃げることも出来なかったので、淡雪は自分でも成長したと感じていた。


 父も淡雪が成長するにつれ、軟禁することは止めた。『授業』は引き続き行っているが、複数の妖を混ぜる『実験』は淡雪の目が弱くなった事で中断せざるを得なくなったのだ。淡雪は眼鏡をかけていないと、自身の能力が暴走してしまうのに加え、硝子を通して物を見ないと激しい吐き気を催すようになってしまった。『実験』の副作用であることは確かだが、父は医師に見せることはしない。


 結局、淡雪の目は元に戻ることはなかった。だが、彼はそれでよかったと思っている。目が弱くなったおかげで『実験』は中断され、苦しむことは無くなったのだから。


 過去を振り返りながら父が己の顔めがけて、勢いよく振りかざす拳を軽く避ける。眼鏡を外し雷電の力を右手に集めた。半妖ならではの高い身体能力で、瞬きする間に父の背後をとる。そして、雷を集めた右手を父の背中に当てた。

「ぐぅ……!!」

 感電した父は呻き声をあげながら地面に倒れる。組員達が慌てて父の元へ駆け寄った。致死を避けた雷の圧だったが、人の身である父には大きな衝撃になるだろう。実際、父の着物は雷が這っていった跡をなぞるように焼け焦げている。


 しかし、父は嬉しそうに笑っていた。大きな火傷を負ったのに、だ。

「何がおもろいねん」

 悪態をつくように吐き捨てると、父は喉を低く鳴らして笑う。

「随分成長したやんか、淡雪。枯野と並ぶくらい組で強くなったんとちゃうか」

 淡雪は自分が怪我を追ってもなお、淡雪の成長を喜ぶ父を心底軽蔑した。彼が喜ぶ成長は、子どもが成長した喜びではない。淡雪が父が理想とする“武器”として成長していることに対してだ。


 白い髪をくしゃりと乱暴に掻き回すと、懐から煙管を取り出し葉を詰める。薬師から貰った、精神を安定させる葉が入った『甘露』という煙草だ。吸うと気持ちが楽になるような気がして、淡雪はよく吸っていた。

 組員達が父を担ぎ、中へと消えていくのを横目で見ながら、淡雪は猩々緋の町を見下ろせる丘に向かう。高いところに行って、眼下に広がる景色を見ながら吸う煙草はうまい。

 自由に動けるようになった淡雪のささやかな楽しみだった。


(子どもの頃は部屋から出たこと無かったからな)

 幼少期の反動なのかもしれない。猩々緋の町は小さく見えるが、人々の営みが感じられる。自分の知らない世界が確かに存在しているのだと実感できるのだった。

 可哀そうなことに、母は精神を病んでしまい軟禁が解かれても部屋に閉じこもったままである。加えて人の姿になることを嫌がり、獣に近い妖の姿でじっとしているのだった。


 淡雪は丘の中で一番見晴らしのいい場所にやって来ると、腰を下ろして煙草をぷかぷかとふかしていた。

「おい、そろそろ戻れよ。頭がお前に仕事やるって言うてはる」

「仕事ねぇ」

「喜びぃや。お前の初仕事やろ」

 淡雪に声をかけてきた枯野は彼と同じようにして隣に座る。


「元君に顔向け出来るような仕事じゃないのは分かっとる。せやから僕はやりたくない」

 ふうっと煙草の煙を吐き捨てながら言うと、枯野は信じられないものを見る目で淡雪を見た。

「はぁ? お前、やくざの息子やろ。かたぎの生き方が出来るとでも思ってんのか」

「生まれはやくざでも、かたぎにはなれると思っとるよ」

 しょうもない、と枯野は吐き捨てたきり口を開かなかった。淡雪は煙を吐きながら枯野に問いかける。


「なぁ、枯野。お前は何で父さんを慕っとるんや?」

「命の恩人やからや。小さい頃、人の子に寄ってたかって殴られとったところを頭に助けてもろたんや」

「お前が殴られることあるん?」

「まだ体も小さかったから多数相手やと分が悪かったんや」

 枯野の横顔は変わらない。視線の先に映る猩々緋の町をどう感じながら、何を思いながら見ているのだろうと淡雪は思った。


「今晩、ちゃんと来いよ」

 しばらく黙り込んでいた枯野だったが、淡雪に吐き捨てるように言うとふっと目の前から姿を消した。さすが鎌鼬というべきだろうか。

 その日の晩、淡雪は組の事務所に顔を出していた。枯野に言われたからではない、本当はここに居ることが嫌だった。だけど顔を出さなければ父に殴られるだろう。淡雪は体格も父に劣らなくなったので、避けるなり逃げるなりが出来るが、父の怒りの矛先はきっと母に向かう。母を守るために淡雪は父に従うしかなかった。


「淡雪、明日お前に仕事を任そうと思う。初仕事や。今日は枯野についてけ。そんでどんな仕事を明日やるのかその眼にしっかり焼き付けてこい」

 父は黄色い歯を見せて、がははと下品な笑い声をあげる。淡雪は睨みつけるように鋭い視線を父に向けた。

 父に向かって返事はしなかったが、隣に立っていた枯野が来いとだけ言ってさっさと歩き始める。枯野は淡雪がついてきているかを確認することなく、真っ直ぐ前だけを見ていた。ついてくることが前提だと言うように。


(途中で僕が逃げ出すとか思わんのやろうか?)

 浮かんできた疑問は枯野に向けることはしなかった。仕事前の彼は涼しい顔をしていても殺気立っていて、誰にも話しかけられたくなさそうだからである。他の組員も枯野のことをよく理解しているようで、誰も口を開こうとはしなかった。

 枯野は凍雲組の事務所から出ると、貧民街へと足を進めている。猩々緋でも最下層に位置する場所だった。

 じゃり、じゃりと男達の草履が砂を踏む音が響く。ただならぬ空気に道の真ん中で寝そべっていた猫でさえ、尻尾を膨らまして逃げるほどである。


 辿り着いたのはかなり年季の入った小さな家だった。家というより小屋に近いだろうか。草ぶきの屋根は新しいものに交換する余裕がないのか、ぼろぼろでところどころ隙間が空いている。これでは雨漏りをしてしまうだろう。

「今日の仕事場はここだ」

 枯野は短く言うと、隣にいた組員に視線をやる。目だけで合図を受け取った男は、力強く扉を叩く。小さな木で出来た扉はみしみしと軋みながら、家全体に音を響かせる。


「おい、凍雲組だ」

 枯野は家の中へ向かって言う。あまり張り上げていないのによく通る声だ。彼の声には普段と違う“有無を言わさぬ圧”が含まれていた。

 家の中は静まり返っていて何も聞こえない、と人間である組員は言っていたが半妖である淡雪には、ぼろぼろの家の中から誰かが息を潜める音が耳に入ってきている。

 淡雪で気付いているのだから枯野にはお見通しだろう。現に彼は履物を脱ぐことなく、そのまま家の中へと上がり込む。


「そこにおるのは分かっとる。オレは妖やからな。人は騙せても妖の目はごまかせん」

 枯野は淡々と締め切られた襖に向かって話し掛けた。背後に控えている組員達は顔を見合わせ首を傾げていたが、やがて諦めたらしく中に隠れていた人物は出てきた。


(家族か……可哀想に、まだ小さい子もおるやんか。やくざに金を借りたばかりに……)

 襖を開け、押し入れから出てきたのは壮年の男とその妻、長男とまだ幼い子だった。妻と長男は目の前に現れたやくざ者にすっかり怯えてしまい、目に涙を浮かべて荒い呼吸を繰り返している。まだ幼い子の方は、目の前にいる男達が何者なのか理解していないようで、きょとんと目を丸く見開いていた。


「借りた金、返してもらおか」

 枯野は一家の主である男と目線を合わせるように膝をついた。男は両手を床につけ、深々と頭を下げる。子どもの前で土下座をするなど父である以上、誇りが許さないだろうに、と淡雪は感じた。

 心を痛める淡雪とは対照的に枯野は何も感じないようだった。大人の男が、妻子ある一家の大黒柱が涙を流し、頭を地面に擦りつけ返済できない理由を述べていても、枯野の表情は何も変わらなかった。まるで凪いだ海のように。


 枯野は細く白い腕を伸ばし、頭を下げている男の髪を乱暴に掴み持ち上げる。無理矢理、顔をあげられた男は痛みに顔を歪めていた。

「ようするに、子どもの飯代で金は消えたけど、お前はまだ働き口が見つからん。返そうにも金は返されへんってことか」

「はい、はい……申し訳ございません、来週には必ず用意しますので」

「前にも言うとったよな? そん時オレはお前の言葉を信じて待ってやったと言うのに、お前はまた約束を破るんか」

 冷たい枯野の声。この家に隙間風がびゅうっと吹いてくるせいではない。底冷えのする恐ろしさが眼前にはあった。


「な、なぁ、枯野。そこらへんにしといたらへんか? こんな小さい子がおったらそりゃあ金かかるし。今は不景気でなかなか仕事見つからんって聞くで?」

 耐えかねた淡雪が枯野の腕を掴み、男から手を離させた。枯野はぎろりと淡雪を睨みつけると、背負っていた鎌を手にする。

「お、おい」

 淡雪が止めようとするも、枯野は持ち前の身軽さでやすやすと淡雪の手から逃れる。そして、長男らしい子どもとまだ幼い子の傍に立つ。


「子どもに金がかかるなら殺せばええ」

 一瞬の出来事だった。枯野が振るった鎌の刃先は、幼い子どもの細い首をやすやすと斬り落とす。枯野の手に鎌が戻る頃には、隣にいた長男の首もごとりと床に落ちていた。

「いやぁあああ!!」

 妻らしい女人が発狂する。子どもらの首と胴体を必死に繋げようとするが、断面からは鮮血が泉のように湧き出ていた。ぴくりと動かなくなった子どもらの体を抱き寄せ、泣き喚く。


「ほんで女は身体を売ればええ」

 枯野は女の目の前で鎌を振るう。ぎゃああと耳障りな甲高い悲鳴が聞こえると同時に、女は両手で顔を押さえた。指の隙間から赤い血が滴り落ちるのを見て、淡雪は目を潰されたのだと察する。

「あ、あぁ……ああぁあ! お菊、長兵衛、凛! お前らワシの家族に何をするんじゃ!!」

 泣きながら枯野に怒りをぶつける男だったが、いつの間にか距離を縮めていた彼に床へ倒されていた。枯野の足は男の胸元に置かれている。


「お前の嫁は遊郭行きじゃ。目を潰したのは辛い現実を見なくて済むように、というオレの優しさからやで? それをお前が咎めるんか? こうなったのは金を返されへんかったお前の責任とちゃうんか」

 決して怒りを含んでいるわけではない声。だが、発する言葉の一つ一つに殺気をおびていた。枯野は呆然と立ち尽くす淡雪の背後にいた組員を呼ぶ。


「こいつはとりあえず頭のところへ連れてけ。女は遊女屋に売れ。子どもの死体は野良犬にでも食わせろ」

 薄闇の中、提灯を手にした組員達が淡々と枯野の指示に従って動き始める。ぼんやりとした提灯の灯りが枯野の顔を照らし出す。

 赤い返り血を顔に浴びた彼は、恐ろしいほど無表情だった。

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