第22話

 淡雪の母が住んでいるという山の中は、普段あまり人が来ないようなところらしく、道が悪かった。整備されていない山道でも、人の往来があれば自然と道は出来る。しかし、小夜達が歩いているのは文字通り『獣道』だった。

 地面は柔らかく、足元には低木の枝が罠のように張り巡らされていて、気をつけながら歩かないとすぐに足を取られて転んでしまう。小夜は低木の枝を手ではらいながら、前を歩く暁闇を必死になってついていく。少し止まるだけではぐれてしまいそうな場所だ。前も下も注意深く見て歩き続けること、数十分経った頃だろうか。


 暁闇がぴたりと足を止めて何かをじっと見ている。小夜も彼の視線の先を目で追いかける。すると、そこには小さな庵があった。山の中に隠れるようにして建つ庵は、住民の性格をうつしているかのように、壁に蔦を這わせ、建物の周りには草や木々を縦横無尽に生やしていた。


 こじんまりとした草ぶき屋根を持つ庵に二人は歩み寄る。伸びきった草は来訪者を歓迎しないようで、足元に絡みついて歩きにくい。数本の草が暁闇の足に絡みついて取れなかった。一歩も進めなくなってしまい、どうしようもなくなった暁闇は、力いっぱいに絡みついてきた草をまとめて引っこ抜いてしまった。


 庵までの距離は近いのに悪路のせいで遠く感じる。誰にもここを訪ねて来て欲しくないという住民の意思が感じられた気がして、小夜は心がちくりと痛むような気がした。

(どうしてこんな所に住むことになったんだろう?)

 小夜は疑問を抱きながら庵の入り口に辿り着く。木で作られた小さな扉は、小夜が軽く叩くだけで庵全体を揺らすような気がした。


「ごめんください」

 小夜は扉の向こうに向かって話し掛けた。しかし、庵の中はとても静かで物音一つ聞こえない。もしかして留守なのだろうか、と思い暁闇と顔を見合わせた時「どちらさま?」と腹にまで響くような低い声が聞こえてきた。

「あの、小夜と申します。一徹、いえ淡雪の友人というか雇い主というか。彼のことでお話を伺いたくて参りました」

「俺は暁闇と言います。淡雪とは小夜さんを取り合うライバルです!」

 おずおずとした小夜とは対照的に暁闇は元気よく答える。声の主はしばらく黙っていたが、どうぞと短く言うと気配を消してしまった。


 小夜はゆっくりと扉を開ける。地面の草が邪魔で滑らかに動かせない。こんなに動かしにくいのであれば、淡雪の器用さなら修理くらい出来るだろうに。もしかして彼は玄関から入っていなかったのだろうか。

 中に入ると陽光が差し込まないせいでとても薄暗かった。暗闇に目が慣れるまで動けずにいたが、声の主は小夜達を気遣って行燈に火をつけてくれる。

「あっ……」

 炎の光に照らされた声の主の姿は、人ではなかった。全身が分厚い毛で覆われた犬やタヌキのような見た目をした主は、鋭い爪を持つ前足を器用に使い、部屋の行燈に火を灯してゆく。妖にすれば小さい方なのだろうが、獣と比べると随分大きい。尻尾はぶわりと膨らんでいて長く、身体が動く度に畳の上を這いずる。


 妖は後ろに四本ある脚を器用に曲げて座ると、礼儀正しく小夜達の方に向かって頭を下げた。

「すみません、こんな姿で。暫く世俗を離れていたせいで、変化の術が出来なくなってしまって……。昔は出来ていたのですが」

「いえ、とんでもない。えっと淡雪のお母様ですよね?」

 疑問形になってしまったのは、人の姿である淡雪と目の前の妖が親子であると結びつかなかったからだ。妖は黒く丸い瞳をぱちくりとさせ、頷いた。


「はい、紫電しでんと申します。種族は雷獣でございます」

「雷獣……」

「雷によって生れ落ち、雷を操る妖でございます」

 淡雪の能力は母譲りのものだったのだ。紫電は前足を重ねるようにして組む。長い爪は弧を描いて鋭い先端を作り上げていた。

「あの貴方達は淡雪の友人という事ですよね? あの子、うまくやっているんでしょうか。あまり私には話をしないものでして……」

 上目遣いに小夜達へと問いかける紫電。獣のような見た目も相まって少し愛らしさを感じた。


「はい、わたしは雪月花という煮売り屋を営んでおります。淡雪が用心棒として来てくれたおかげでとても助かっておりました。それに、いつも面白い話を聞かせてくれて楽しい時間を過ごさせてくれる人です」

 小夜の話を紫電はうんうんと頷きながら聞いていた。

「そうですか。私と違って上手く人と付き合えているようで安心しました。して、お二人は私に聞きたい事があるのですよね?」

「えぇ、淡雪が突然用心棒の仕事を辞めて消息を絶ったのです」

 小夜の言葉に続いて暁闇が言い加える。


「同時期に紅鳶でやくざ者が落雷に打たれて負傷する事件が相次いでいるんです」

「あぁ……」

 紫電は俯くと、黒く湿った鼻をぴくぴくと動かした。

「淡雪がやっていることです。私を守るために」

「お母様を守るために? どういうことですか」

「今、彼を追っている凍雲組の頭領“凍雲”は私の夫でありあの子の父親なのです。私達は四年前にあの人から逃げ出し、住処を転々と変え、追っ手の影に怯えながら暮らしています。私はすっかり外が怖くなってしまい、引きこもるようになり人の姿を取ることも出来なくなりました」

 紫電の体が小刻みに震えている。


「どうしてやくざ者の頭領が妻と子を執拗に追い回すのですか?」

 暁闇が紫電が落ち着いた頃合いを見計らって問いかける。彼女は黒々とした目を暁闇に真っ直ぐ向けながら答えた。

「淡雪があの人にとって特別な存在だからです。大切な息子という意味ではありません。淡雪はあの人の実験の『成功』だからです」

「実験の成功?」

「淡雪は雷獣である私と人間である凍雲の間に生まれた半妖です。人の姿を持ちながら妖の力を振るえる。あの人は、妖の力を人が引き継ぐことが出来るなら、他の妖の力も引き継げるのではないかと考えました」


 紫電は視線を畳にやった。言って良いのだろうかと悩んでいる様子だった。

「妖ですら一種類しか力を使えないけど、何種類もの力を使える半妖を生み出せられれば、裏社会を牛耳る強大な力を手にする事が出来るとあの人は思いついたのです。幼い淡雪に何種類もの妖の血を混ぜる実験を始めたのです」

「なんてひどい……」

「ひどい話ですよね。でも、もっとひどいのは止められなかった私です。私は目の前で淡雪が妖の血を混ぜられて苦しんでいるのを見ているだけでした。頭では止めなければと分かっているのに、あの人の暴力に怯えた体は言う事を聞きませんでした」


 紫電は震える体をさするように、尻尾を巻き付けゆらゆらと動かしていた。

「あの子の体に定着したのは、川天狗の幻聴と幻覚を操る力です。凍雲はさらに増やそうとしましたが、耐えきれずあの子の目が弱くなってしまった事をきっかけに実験を終えました。しかし、人を殺すための道具として躾けていました」

「どんな躾けだったんですか?」

 聞くのは怖い。だけど、淡雪のすべてを知りたいと決意を固めた小夜は、どんなことでも受け入れる気だった。

「人体を効率よく破壊する為の動きを淡雪の体を使って教え込んでいたのです」

「つまり、淡雪を殺そうとしていたって事ですか?」

「そういうことです。ですが、半妖は普通の人間よりも頑丈ですし治癒力も高い。技を受けただけでは死ぬことはありませんが、半殺し状態にはなります。勿論、痛覚はありますから死ぬよりもつらい激痛をずっと耐えてきたことになります」


 紫電はふうっと息を吐いた。まだ尻尾の先は揺れている。

「あの人は自分にとって試作品であり最高傑作である淡雪を逃す気はないようです。組に連れ戻して裏社会を牛耳る為に、色々と仕事をさせようと考えているのでしょう」

「その仕事というのを、淡雪の意思に関係なくさせようとしているんですよね」

 紫電は小夜の言葉に頷いた。

「えぇ、そうです。淡雪のご友人様、どうかあの子を救ってくださいませんか。あの子はたった一人で私を守るために、過去の傷と向き合おうとしています。お力添え願えませんでしょうか」

 彼女は前足を畳につけて揃える。そして、ゆっくりと頭を下げた。深い深いお辞儀だった。


「紫電さん、顔を上げてください」

 小夜は妖と視線を合わせる。

「彼を助けるためにわたし達はここに来ました」

 そう言い、紫電の前足を両手で包み込む。冷たい肉球の感触が掌に伝わってきた。

(大丈夫だよって紫電さんに伝えたい。わたし達も淡雪を助けたいって伝わりますように)

 願いながら小夜は紫電の前足を握り締めたのだった。


 帰り道は短く感じた。前を行く暁闇に小夜は言葉をかける。

「一徹……ううん、淡雪を助けてあげよう。一人できっと苦しんでると思うの」

 それは話しかけるというより、決意を表しているようだった。暁闇は小夜の視線をその身で受け止め、力強く頷いたのだった。

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