第18話

 一徹と落ち合うと約束した甘味処は、大通りの中にある他の飲食店に比べても人の出入りは多かった。やはり看板商品のあんみつを目当てにやって来る客が多いらしく、先ほどからひっきりなしにあんみつを盆に乗せて茶屋娘が忙しそうに客の元へ運んでいる。


(雪月花でも甘味を出せたらもっと人が来そうだけど、あんこを作るのは簡単ではないものね)

 周りの客が頼むあんみつに目をやりながらぼんやりと思う。

 硝子で作られた透明の器に入っているため、何が使われているのかは遠目でもよく見えた。

 さいころのように四角に切られた白い寒天と長時間煮込んだであろう柔らかそうな赤い豆に、黒い宝石のように輝く蜜がかかっている。

 あんこの上には干したあんずが乗っており、あんこの甘さとあんずの酸味が合うことは口に含まなくても想像出来た。


 ふと、茶屋娘達が入り口の方を見てきゃあと黄色い声をあげる。小夜は彼女達につられて視線の先に顔を向けると、微笑を浮かべた一徹が立っていた。きょろきょろと店の中を見渡す。小夜を見つけると、ぱぁっと笑顔になって小走りでやって来た。

 後ろでうっとりと一徹を見る茶屋娘達は、小夜の姿を見つけるとあからさまに肩を落としていた。


(一徹って他の女の子にも好かれるのね)

 贔屓目に見ても彼は整った顔立ちをしていると思う。白い髪は糸のように柔らかそうだ。程よく焼けた小麦色の肌は健康的な男子の証だ。小夜をじっと見つめる紫色の瞳にはどんな感情が浮かんでいるのか、彼女には見通すことは出来ない。


「お待たせ」

「ううん」

 一徹がやって来ると、一人の茶屋娘がはにかみながら彼の方へ湯呑を置く。厨房の方からは数人の娘が羨ましそうに彼女を見ている。きっと一徹に茶を運ぶ役割をみなで争ったのだろう。そして、今目の前に居る娘が役目を勝ち取ったのだ。


(そこまでして一徹と関わりたいのね)

 小夜にとっては面白くない。一徹は彼女達に笑顔で接しているが、彼の態度は男女問わず変わらない。茶屋娘は期待の眼差しで彼を見つめているが、娘が思うような事は起きることはないのである。

 小夜もそうなのだが。


「せっかくやし、甘いもの頼んでいこうか。お嬢ちゃんは何食べたい?」

 甘味処で提供している品を一覧に書いた紙を見ながら一徹は言う。

 小夜は周りに視線を配りながら彼に答えた。

「わたしはあんみつにしようかな。ここの看板商品らしいし」

 一徹も小夜の後を追うように店内を見渡し、他の客が食べているあんみつに目を留める。

「へぇ、そうなんや。じゃあ僕も同じのにしよう。すんません! あんみつ二つ!」

 店の奥で集まって一徹に熱い視線を向けている茶屋娘達に注文を取らせると、一徹はようやく湯呑に入った茶を飲んだ。


「さっきの店主さん、無事断れた?」

 熱心に営業を行う店主を思い出し、一息ついた一徹に問う。すると、彼は懐に手を入れ、なにやら箱を取りだして小夜の前に差し出した。

「これは……?」

「開けてみて」

 少し照れくさそうに言う一徹に、小夜は素直に応じる。箱を開けてみると、さっきの店で見ていた黒い玉簪と赤いくしの一組が綺麗におさめてあった。


「これって」

 驚いて一徹の方を見ると、彼は嬉しそうに笑って言う。

「僕からお嬢ちゃんへの贈り物や。いつも世話になってるからな、そのお礼」

「高価なものなのにわたしが貰っていいの?」

 箱の中の品は大した重さはないはずなのに、持つ手が震える気がする。


「当たり前や。高いからってつけるのに抵抗があるんやったら僕がつけたる」

 一徹はそう言うと箱を小夜から受け取って彼女の後ろに回った。

 深い落ち着いた赤い色のくしを手に取り、ゆっくりと小夜の髪を梳く。彼の大きな手に濡れ羽色の髪がすくい取られる。

「お嬢ちゃんの髪は長くて綺麗やなぁ」

 彼の吐息がうなじの部分に当たり、髪が息でふわりと揺れた。周りの客の声など、茶屋娘の黄色い声など小夜には聞こえない。彼女の耳に届くのは、一徹の息と声。そして温もりだけ。


「こんなに長いのに綺麗って手入れをしっかりしてるんやろうなぁ」

「う、うん。髪の毛には一応こだわってるよ……」

 うまく答えられただろうか。変な声になっていないだろうか。

「……亡くなったお母ちゃんが髪を長く伸ばしていたの。とっても綺麗だったから髪を長く伸ばすのに憧れていて。髪色はお父ちゃんに似てるけど、顔はお母ちゃん似だから、たまに寝ぼけたお父ちゃんがわたしとお母ちゃんを間違える時があるの」

 心臓の鼓動が一徹に届きそうだった。言い訳をするように小夜は自分のことを一徹に話していた。


「そうやったな、お嬢ちゃんのお母さんは亡くなってはったな。寂しくない?」

「会いたいと思うけど、お母ちゃんがいない世界にようやく慣れてきたって感じ。いつか天国で会えたらたくさんお話が出来るように、色々な経験が出来たら良いなぁって思うの」

 くしで梳かれた小夜の髪は、より輝きを増す。黒く光る髪は、まるで美しい絹糸のようだった。一徹は玉簪を手にすると、小夜の髪をまとめ始める。どうやら何度も簪を使って髪の毛をまとめたことがあるようで、手の動きに迷いがなかった。


「随分上手ね」

「子どもの頃は、母さんの髪をよういじっとったからなぁ。簡単なやつしか出来へんけど、簪で髪の毛まとめるくらいはいけるで」

「そうだったの……。ねぇ、一徹のご両親はどんな人?」

「う~ん、母さんは別嬪な人やね。今も見た目は変わらんわ。人間と付き合うのは苦手やからほとんど家から出えへんけど、よく丘から紅鳶の街を見てる言うてたなぁ」

 一徹は間を置いてからぽつりと言葉の続きを話す。

「父さんは……随分前に喧嘩してね。それから別々に暮らしてるねん」

 彼の声音がどこか寂し気だったのは気のせいだろうか。


「さてと、これで出来上がりや」

 そう言い、するすると簪に髪の毛を絡ませくるりと回す。あっという間に簪一本で小夜の長い髪は一つにまとめられた。


「うん、似合ってるわ。可愛いで」

 髪の毛がまとめられたことで、一徹の吐息がうなじを直接撫でるように当たる。妖しい手が素肌に触れたような感覚がして、小夜はびくりと体を震わせた。


 簪でまとめられた髪を自分で見る事は出来ないが、一徹が自分に贈り物をしてくれたという事実がたまらなく嬉しい。手のひらに乗せた赤いくしは、この世界のどんな宝にも劣らないだろう。小夜は弾む気持ちを抑えきれず、後ろを振り向き一徹を見上げた。


「一徹、本当にありがとう! わたし、大事にするから。絶対、大事にする」

 心からの笑顔を浮かべて礼を言うと、一徹は一瞬驚いたようで固まった。小夜が首を傾げると、我に返ったように顔を手で覆い隠す。

「今の笑顔反則やんか……」

 ぼそぼそと一徹が口ごもる。小夜にはうまく聞き取れなかった。

「なに?」

 もう一度聞こうとしたが、一徹は口を真一文字に結んでしまった。


「ねぇ、何て言ったの? 教えてよ」

 小夜は食い下がるが、一徹が答えに悩んでいる間に茶屋娘があんみつを二つ、盆に乗せてやって来た。

「お、あんみつや。お嬢ちゃんも、ほら食べよ」

 一徹は話題を変える。二度と、小夜に何と言ったのか教えてくれることはなかった。


**


 他愛無い話をしながら二人であんみつを食べる。楽しい時間はあっという間に過ぎてゆき、午後を回った頃になった。

「あんまり遅くなると旦那が心配するやろうから、今日はここで一旦解散しよか」

 甘味処を出ると、彼は振り向きざまに言う。


(お父ちゃんのこと、すっかり忘れてた!)

 小夜は心の中で父に謝りながら、一徹と過ごす時間がどれほど自分にとって楽しかったのかを再認識する。まだ一緒に居たかったが、雪月花の夜営業に向けて仕込みをしなければならなかったし、一徹も母の元へ一度帰るという。


(まだまだ一緒に居たかったな)

 言葉に出来ない気持ちを胸に押しとどめながら、雪月花へと足を運ぶ。雪月花までは一徹が送ってくれるというので、小夜は彼との残りの時間を噛みしめるようにして過ごそうと思ったのだった。


 小夜は隣を歩く一徹を見上げながら思う。

(どうか、彼と過ごす時間が長く続きますように)

 幸せなこの時間をずっと抱き締められるように。小夜は祈る。彼女の祈りに答えるかのように、小夜の髪を彩る玉簪がゆらゆらと揺れていた。


「それじゃあ、お嬢ちゃん。また夜に」

「うん、夜もよろしくね」

「ほな、お疲れさまでした~」

 雪月花の前までやって来ると一徹はぴたりと足を止める。小夜に正面から向き合うと、丁寧に頭を下げた。手をひらひらと振ると、瞬く間に人込みの中へと消えていく。


(一徹、わたしの歩く速さに合わせてくれてたんだ)

 彼の本来の歩く速さを見て小夜は知る。いつも彼が歩幅を合わせてくれていたことを。些細なことなのかもしれないが、一徹の優しさを感じられた気がして小夜は心が温かくなる。

(小説や演劇のようにヒロインが恋心を自覚する瞬間は、もっと感動的な出来事なのかと思ったけど、意外とあっさり気付くものなのね)

 一徹が去って行った方向をいつまでも見つめながら、小夜はふっと笑った。

 そして、雪月花の扉を開くと明るい声で言う。


「お父ちゃん、ただいま! 遅くなってごめんなさい」

 小夜の声が聞こえた途端、店の奥の方からどたばたと慌ただしい足音とごちんという鈍い音が響く。何事かと小夜が覗き込むと、額を赤く腫らした父が出て来た。息を切らしているので急いで出て来たのだろう。

「本当だよ、心配したんだから。いつも寄り道なんかしないのにどうしたんだい」

「今日は帰りに一徹と会ったの。少しお茶して帰ってきたから遅くなっちゃった」

 父に答えながら大吉からのツケを手渡す。父は小夜から受け取ると、銭を数えながらもちらちらと心配そうに見つめて来る。


「本当にお茶だけかい? 随分とめかしこんでいるみたいだけど、まさか逢引とかじゃないだろうね」

 めかしこんでいるという言葉に小夜は何のことか分からず首を傾げる。父の視線を追うと自身の髪にある簪を見ていた。

「あぁ、簪とくしを一徹が贈ってくれたの。とても綺麗でしょう?」

 小夜が言うと、父は「一徹君か、素性の分からないどこぞの馬の骨よりかは納得できるが……」などとぶつぶつ言いながら思考の海へと旅立っていった。小夜が呼び掛けてもしばらくは戻ってこないのだった。

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