第15話 終幕

 男は後ろ手に縄で縛られ、正座させられていた。奉行所の中庭で取り調べを行うらしい。岡っ引き二人が自分の肩を押さえつけ、暴れないように見張っている。そんなことをしなくても、ここで暴れるなど無謀な事はしない。男の予想以上の警戒ぶりに、彼は口角を緩める事を我慢出来なかった。


 目の前に座る白髪の混じった男が怪訝そうにこちらを見る。

「何が可笑しい」

「いや、何も」

 男が短く答えると、白髪混じりの男は自分の生い立ちなど詳しく質問してきた。男はすうっと息を吸い、気持ちを落ち着かせるかのように深く吐く。


 ――おれは真朱国の南にある貧しい漁村で生まれたよ。しかも四男として生を受けたもんだから散々だ。家を継ぐのは長男だけ、これはどの家もそうだ。裕福でも貧しくても“長男”だけが財産を継ぐ。可笑しいと思わないか? 生まれた順番で誰に継がせるかを決めるなんて愚かだろう。能力が無くても一番に生まれれば安泰。それ以外は己の力で生きていけ、なんて虫が良すぎる。だったら子どもを作るなって話さ。


 おれは船を貰えないから食い扶持を稼ぐには他の方法を取るしかなかった。え、兄貴と一緒に漁をしないのかだって? おいおい、貧しい漁村の貧しい漁師だぜ。船なんかちっぽけなものだよ。二人乗れるかどうかだから親父と兄貴だけしか海には行けないよ。兄貴達が釣ってきた魚で市場には出せないものを貰って、魚油を作って売りに町へ行っていたよ。村から近い大きな町といえば、蘇芳だよ。


 漁村の生まれが何で刀を振るえていたのかって? まぁ、焦るなよ。それは、ある日、蘇芳に魚油を売りに行った時の話さ。たまたま朱宮からやって来た武士を見たんだ。ちょうどおれが出稼ぎに行った日が、蘇芳藩主の御目付け役人が交代する日だったのさ。その御目付け役人の護衛をしていた武士だったんだ。


 初めて彼らを見た時は衝撃だったよ。風になびく朱色の羽織が今でも鮮明に覚えている。朱色の羽織っていうと、元君直轄の軍“茜部隊”だろ。近くにいた町人に聞いて、茜部隊はエリート中のエリートしかなれないって知ったんだ。

 おれの夢は決まった。サムライになって茜部隊に入るってな。茜部隊は長男じゃなくてもなれるし、入隊出来れば貧乏暮らしとはおさらばだ。絶対になってやると心に誓ったよ。寒い中で魚を捌いて水を触って、手にあかぎれを作らなくて済むように。体が魚臭くならないように。


 早速、家に帰って家族に宣言した。おれは茜部隊に入るんだ、って。貧しい上に学もない両親やきょうだいは茜部隊の存在も知らなかった。説明してやると、みな笑い出したんだ。

「お前なんかがなれるわけがない」

「馬鹿言ってないで真面目に仕事しろ」

 一番腹が立ったのは長男である兄貴から「第一、刀を持ったことが無いのに誰から教わるんだ? 教えてもらう為の金はうちにはないぞ」って。


 おれは頭に血がのぼったよ。お前は何もしなくても親父から船と家を貰えるのに。おれの夢は邪魔するのかよ。何も努力せずにおれ以上の安泰を手に入れたあいつに言われる筋合いはない。きょうだい仲は普通だったが、このことをきっかけに兄貴とは口を利かなくなった。


 おれは家族から馬鹿にされても諦めなかった。魚油を売りに行くついでに蘇芳の奉行所に忍び込んで稽古をこっそり見てた。木刀を買う余裕は無かったから、こっそり拝借させてもらって家でも練習していたよ。家族に見られると笑われるから、誰にも見られない場所――例えば森や入りくんだ浜辺とかな――で毎日ずっと稽古をした。


 十八になった時も魚油売りは続けていた。たまたま蘇芳で茜部隊の新人募集の張り紙を見つけたんだ。もちろん応募したさ。最終選考まで残ったよ。応募者数は数千人、最終選考に残ったのは五十程度、そこから合格するのは三十。独学で良くやったと思う。だがな、最終選考で打ち合いをした時、思い知らされたんだ。

 周りは良い所の子息ばかり。彼らは幼少期から良い師範に剣術をみっちり教え込まれている。おれがこそこそ盗み見して得た見よう見まねの技じゃない。


 幼少期から剣を学べる環境に居た者におれが勝てるはずもなかった。最終選考で落ちておれは絶望した。魚油売りも嫌になってそのまま蘇芳や紅鳶で遊女屋の用心棒や花街の門番、荷馬車の護衛といった刀を使う仕事をしていたが、浪人は武士よりも多い。働き口を見つけにくいうえに給料もそこまで高くないんだ。こっちは命を懸けて仕事をしているっていうのに、雇い主からすれば替えはいくらでもいるから安い賃金で文句を言うなら別の奴を雇うなんて言いやがる。たまったもんじゃねえ、そんな事を言われちゃあ黙って働くしかなくなるだろ。


 自分が暮らしていくのにもぎりぎりな給料の中から実家への仕送りもしていた。あんな家にもな。既に親父は他界していたから兄貴にだけどな。仲が悪くなったのに仕送りをしていたのか、だって? 根は真面目なのさ、おれは。

 辻斬りをするきっかけになったのは、遊女屋の用心棒をしている時。茜部隊の最終選考に居た奴らが、おれが用心棒をしている蘇芳の遊女屋に入って来たんだよ。忌々しいことに朱色の羽織を着たまま。


 年は取ったが顔の形はそんなに変わらないからすぐに分かった。もともと裕福そうなあいつらは、一生安泰なんだ。おれの中の何かが壊れたよ。

 おれは貧しさから抜け出すために茜隊に入ろうとしたが、もともと裕福なお前達が何故入る必要がある? 自分の出世の為に他人の未来を奪いやがって。この世界は狂っている。貧しいものは逆転の機会さえ、富める者に奪われ叶わない。ならば潰してやれ! この社会を制している富裕層を潰してやれって。


 遊女屋でひとしきり酒を飲んで遊んだ後、そいつらは無防備にも爆睡していたから、刀を拝借して切れ味を試してみることにしたんだ。手始めにそいつらを斬ってな。おれが持っている刀はそいつが持っていたものだ。蘇芳から紅鳶に来るまでの間におれは富める者を何人も排除してきたよ。

 これがおれの成り立ちだ。辻斬り閃の生まれさ。


 お前は死罪だろう、ってか。どうでもいいよ、生きることなんて。狂ったこの世界に生まれてきたこと自体が間違いだったんだ。首を刎ねるなら今すぐ刎ねろ、おれには未練も何もない。暴れもしない。ただ……紅鳶にやばい奴がいるが、そいつは野放しでいいのか? 誰の事かって? そりゃあお前達で調べろよ。裏社会に少しだけ住んでいたおれですら知っている奴なんだ。調べればすぐに身元が分かるだろうよ。

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