第14話
男を捕まえた後、雪月花に戻った小夜を父は泣きじゃくりながら抱き締めた。無事で良かった、と何度も嗚咽交じりに呟く父の背中を撫でながら、もう危険な事はしないと心に誓ったのだった。
小夜達の活躍で紅鳶の町に平和が訪れる。いつもの日常は翌日にはもう訪れる。
「今日は休んでも良かったんだぞ」
いつものように身支度を終え、店へ出ると先に準備を始めていた父が苦笑を浮かべながら言う。
「ううん、じっとしていると暁闇が心配でそわそわしちゃうから」
小夜は父に笑いかけると、客が食べる時に使う長机を濡れた布巾で拭き始める。
辻斬りの男と対峙した暁闇は腕を斬られていた。駆け寄る小夜に大丈夫だからと強く言っていたが、押さえる手の隙間からぽたりと血が流れていたのを思い出す。本当に大丈夫なのだろうか。岡っ引きである彼にとって腕のケガは大事ではないだろうか。暁闇を案じ始めると奉行所に乗り込みたくなる。
(でも、行っても邪魔になるだけだからわたしが出来ることをやろう)
奉行所で腕の良い町医者が暁闇を診てくれているらしい、という一徹の報告が唯一の救いだ。小夜は目の前のことをやろうと意気込んだ。
父がのぼりを出すと同時に雪月花は開く。客はいつものようにやって来る。変わらぬ日常が愛おしいと思うと同時に、守れて良かったと小夜は心から安堵した。
配膳を行いながら、手伝ってくれている一徹の方へ視線をやる。あの出来事があってからどうも彼が気になって仕方がない。どこで生まれたのか、本当に雷獣の半妖なのか、聞きたいことが山ほどできる。しかし、どれも消化できないまま時間は過ぎていくのだった。
(わたしはそこまで踏み込んで良い間柄じゃない)
一徹との仲は良いと思う。彼も小夜と同じ感想を抱いてくれているといいが、少なくとも嫌われてはいないと感じる。だが、小夜と一徹は雇用主の娘と従業員の間柄だ。どれだけ仲が良くても小夜に聞く権利はないことが、どうにも心に重くのしかかる。
(どうして知りたいって思うんだろう)
この町では人と妖が共存して生きている。それぞれが誰にも言いたくない秘密を抱えて生きている。お互い深く干渉せずに生きていくのがこの町での掟だ。頭では理解しているはずなのに、一徹を知りたいと叫ぶ自分がいる事に小夜は戸惑っていた。
(駄目だ、仕事に集中しよう)
小夜は出来るだけ一徹を視界に入れないよう、仕事に邁進した。気が付けば朝の営業終了間際になっている。
「いやぁ、今日もお客さんよう
一徹は己の肩を揉みながら笑う。父は腰が痛いのかさすりながら答えた。
「自宅に炊事場が無い人も多いからね。店主としてはいつもお客様は来て欲しいところだし、有難いことだよ」
「商売繁盛ええこっちゃ」
一徹と父が笑い合っている時だった。ごめんください、と聞きなれた声が入り口から聞こえる。
「暁闇! ケガは大丈夫?」
店にやって来たのは暁闇だった。心配していた小夜は、慌てて彼に駆け寄る。腕に巻かれた包帯が痛々しい。
「大丈夫、小夜さん。医者によるとかすり傷だから心配ないとの事で。ちょっと痛いけど全然動かせるから!」
そう言いながら暁闇はケガした腕をぶんぶんと振りまわして見せる。
「大丈夫なのは分かったから、あんまり動かすと傷が開いちゃうよ!」
「平気、平気っ、痛っ」
「……言わんこっちゃない」
小夜は暁闇を店内へ案内し、湯気の立つ湯呑をことんと長机に置く。暁闇はふうふうと息を吐き、少し冷ましてから口に含んだ。喉を少し潤すと、小夜と父を交互に見てから深々と頭を下げる。
「今回は小夜さんのおかげで無事に犯人を捕まえることが出来た。本当にありがとう。それと、危険なことはもうしないで欲しい」
「うん、ごめんなさい」
「あと、これから何があっても俺がいるからね。怖い思いをしないように俺が小夜さんを守るから」
真っ直ぐな暁闇の瞳。小夜の心はざわつく。すると、隣で聞いていた一徹がにやりと意地悪な微笑みを浮かべて暁闇に噛みついた。
「お嬢ちゃんは僕が守ってるからお前はいらん」
「何だと?」
「今回も僕が夜通しお嬢ちゃんを側で守ってたし」
「夜通し!?」
「せや。旦那公認でお嬢ちゃんの家に泊まったからな」
暁闇が一徹の言葉に飲んでいた茶を噴き出す。長机に飛び散った茶を布巾で拭き取りながら、小夜は苦笑いを浮かべた。
「俺の知らない間に小夜さんと一徹がそこまで進展していたとは……」
唖然とする暁闇に一徹はくっくっくと喉を鳴らして笑った。
「お嬢ちゃんからは……花の香りがしたわ」
「ちょっと一徹!?」
「は、破廉恥……!」
一徹の爆弾発言に小夜は慌てふためき、暁闇は顔を真っ赤にして動きを止めたのだった。彼の悪ふざけを終わらせたのは、父の咳払いだった。一徹は目にもとまらぬ速さで後ろを振り返る。見ると一徹の背後には包丁を持った父が立っている。
「一徹君……護衛をしてくれとは確かに頼んだが、小夜に手を出すのは許可していないよ?」
ゆらりと立ち、一徹に一歩近づく父。手には魚を捌く時に使う包丁だった。一徹もそれで捌こうというのか。
普段、温厚な父から発せられる殺気に、さすがの一徹も顔を青くしていた。頭をぶんぶんと激しく横に振りながら違うんですと叫んでいる。
「旦那、猩々緋流の冗談です!! 決してお嬢ちゃんに手を出すなんて事はしてません! 女神様、元君に誓ってしてません!」
いつも飄々としている一徹が珍しく慌てているのは新鮮だったが、さすがに可哀想になったので小夜は助け船を出してやることにした。
「お父ちゃん、わたしは何もされてないよ。一徹の冗談を真に受けちゃ駄目」
小夜の言葉に血走った眼を一徹に向けていた父は、憑き物が取れたかのように優しい表情を浮かべた。
「そうか、そうだったのか。いやぁ、すまないね一徹君。早とちりだったようだ」
「……い、いえ、こっちこそ、すんません」
「一徹、あまり村雨殿を怒らせない方が良いぞ」
「肝に銘じるわ……」
項垂れる一徹の肩を暁闇が小突く。小夜は話題を変えようと暁闇に問いかける。
「あの後、どうなったの? 犯人の身元は分かった?」
すると、暁闇は神妙な面持ちになり静かに語り始める。
「一般人にはまだ公表してない内容だけど、犯人は閃という三十路の男だ。もともとは花街の用心棒や荷馬車の護衛などをしていたらしいが……突然、辻斬りを始めた理由についてはまだ不明なんだ」
「今までは真面目に働いていたのにどうしてだろう?」
「まぁ、人生どこで挫けるか分からんからな。ただ何があっても人殺しはあかん」
一徹はぽつりと呟くように言った。彼の瞳はここではないどこかを見ているようで、焦点がはっきりしない。小夜は言いようがない不安がむくむくと沸き上がってくるのを感じる。ある日、彼が突然居なくなるのではないかという思考が巡っていく。
(そんなはずないよね、一徹はちゃんとしている人だもの)
彼はお金を貯める為に用心棒をしている。必要額が貯まれば、いずれここを出て行くだろう。だが、一徹なら辞める前は事前に話してくれるはず。不安が首をもたげないように、小夜は己に強く言い聞かせる。
「そうだ、暁闇。お腹空いてる? 鶏肉と大根の煮物ならあるけど食べる?」
小夜は床几に座って湯呑を無事な方の手で持ってすする彼に問う。
「頼んでいいかな?」
「もちろん」
小夜は炊事場へ行き、鍋に火をかける。以前までは火をおこすのが大変だったが、火を研究している妖怪が二百年かけて発明した発火棒のおかげで随分と楽になった。発火棒をやすりのついた箱に擦りつけるだけで火がおこせる。その為、冷めた残り物を温めるのに苦労しなくなったのだ。
(……いつも通りに過ごそう)
温まるのを待ちながら小夜はぎゅっと手を握り締めた。
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