第12話
八重霞に先導されるように小夜は店舗の方へと足を進める。
(いつもの着物と違って動きにくいなぁ……)
姫君の着物は何枚も重ねて着るうえに、一枚一枚がしっかりとした作りのため重量感がある。一日中身に着けているだけでも肩が凝りそうだった。
(裾が長いから引っかけて転ばないようにしないと)
小夜は下を向いて着物を踏まないよう慎重に歩く。重いうえに動きにくさもあって小夜の動きはぎこちない。
(まさに服に“着られて”しまっているなぁ)
心の中で苦笑する。
(そういえば昔にも着物に着られた時があったわ)
思い出すのは三歳の時。紅鳶では三歳、五歳、七歳を迎えると神社や寺に詣でる文化がある。小夜が三歳になった、初めての七五三で着た服もいつも着ているものとは違って装飾品が多く、何枚も重ねて着るから小柄な彼女は服に着られたようになっていた。
(あの時は雪だるまが歩いているなんてお父ちゃん馬鹿にするんだから)
涙を浮かべて笑い続ける父に小夜は怒ったのを覚えている。ごめんごめん、と謝りつつもまだ笑いを止められない父に結局は小夜もつられて、二人して笑い合ったものだ。
「みなさんお揃いね」
前を歩く八重霞が声を上げた。彼女の背中に隠れるようにしながら店舗を見ると、一徹と暁闇が集まっている。
「さあ、お姫様の登場よ!」
いきなり目の前にいた八重霞がくるりと振り返り、小夜を二人に見せた。
(は、恥ずかしい……!)
着飾った姿を誰にも見せた経験がない小夜は、照れくさいやら恥ずかしいやらで真っ直ぐ二人を見る事が出来ず、視線を下に落とす。
「お嬢ちゃん……」
「小夜さん……」
一徹と暁闇が小夜を呼ぶ。
(わたしじゃ変なのかな。もしかして似合わない?)
なんと言われるのか怖くて小夜はぎゅっと拳をつくる。
「めっちゃかわええやん! もともと別嬪さんやけど、もう天女やで!!」
「あぁ、あぁ。分かるぞ、一徹。俺は小夜さんの美しさに死んだかもしれない」
「大丈夫や暁闇、生きとる。鼻血は出てるけど」
「そうか、一徹。お前も鼻血が出ているぞ」
二人してきゃあきゃあと騒ぐ様子に小夜はほっと胸を撫でおろす。
(良かった、変じゃなかったみたい)
ふっと息をつくと隣に立っていた八重霞がくすりと笑って話し掛けてくる。
「どんな反応されるか緊張したんでしょう」
「はい、こういうの初めてで」
「ふふ、大丈夫。自信を持って。好きな人からの誉め言葉ってどんなまじないよりも力が出ると思わない?」
八重霞の言葉を小夜は反芻する。分かるような、分からないような。
ただ二人に褒めてもらったおかげで自信はついたのは確かだ。
「さあさ、あなた達おしゃべりはそこまでにして。もう陽が昇って町も賑わっている頃よ。これから町を歩くのだけど、身元が割れないよう小夜ちゃんとあなた達には顔を隠してもらいます。それと人が集まりだしたら逃げて。人込みに犯人が紛れていて斬られるかもしれないし、周りにも迷惑がかかるからね。二人とも絶対に彼女を護るのよ、かすり傷一つ負わせないで」
八重霞の強い言葉に一徹も暁闇も険しい表情で頷いた。
(ただ歩くだけど、緊張するというかちょっと怖いな)
今更止めるとは言わないが、尻込みしてしまうのは事実だ。
(でも、二人がいるから大丈夫だよね)
小夜は息を吸い、前を見据える。
目の前に白い布が近付く。ちょうど顔を覆い隠すようにした布には紐があり、頭の後ろで結べるようになっている。布を身につけると前が見えなくなるのではないかという不安もあったが、中からはうっすらと外が透けて見えるようになっているので問題はなかった。
「それじゃあ行ってらっしゃい」
「気を付けてな、二人とも小夜を頼む」
雪月花に残る八重霞と父に見送られ、小夜達は店を裏口から出る。雪月花から出てきたところを見られないようにするためだ。人通りの多い道まで裏道を通る。自然なような形で人々に紛れ込むと、あっという間に小夜は大衆の注目を浴びた。
(顔を隠しておいて良かった……こんなの恥ずかしくて耐えられない)
ある者は立ち止まり、ある者は仕事の手を止めて小夜を見る。
「お嬢ちゃん緊張してる?」
隣を歩く一徹がこそっと耳打ちをする。小夜は重い頭を縦に動かす。
「えぇ、みんなから注目を浴びるのなんて初めての経験だから」
「みんなお嬢ちゃんの雰囲気にのまれてるんよ。顔出さへんのは正解やったな。顔出してたらもっと見られてたと思う」
まぁでも、と一徹は続ける。
「お嬢ちゃんは美人さんやから普段から注目されてるんやけどな」
「そんなことないと思うけど」
「あれ、気付いてへんの? みんなお嬢ちゃんを目で追ってるで」
一徹の言葉に小夜は唸る。そうだったかしら。
二人の会話に暁闇が入って来る。
「お前、小夜さんを見る男達に殺し屋みたいな目で睨んでるじゃねえか」
「そうやったっけ?」
「みんな小夜さんを見たいし話し掛けたいけど、いつも隣にお前がいるから出来ないんだぜ。俺も最初、堅気がこんな目するのかって驚いたくらい殺気立ってからな」
暁闇はじとりと一徹を見て言う。苦虫を噛み殺したような顔をしている。
当の一徹は飄々とした態度でけらけらと笑っていた。
「ねぇ、何だかわたし達の周りに人だかりが出来てない?」
なんだか歩きにくいなぁ、と感じていたのだが着物だけじゃなかった。今や小夜を見ようと人が押し寄せ、三人を取り囲むようにして集まって来ているのだ。おかげで三人は前にも後ろにも進むのが難しくなっていた。
「せやなぁ、ちと集まりすぎた」
一徹は考え込む。暁闇は警戒しながら集まる人々の顔を見やって小声でつぶやく。
「この中に犯人が紛れていてもおかしくはない。それにこれ以上、集まってこられると他にも迷惑がかかってしまうな」
いつの間にか一徹が小夜を護るように立ってくれていた。彼の動きに合わせて暁闇も背後を護るようにして、小夜の後ろに立つ。
「そうやな、さすがに戦線離脱したいところやわ」
どないしようかな、と一徹は独り言ちる。一徹は考え込む。その間にもどんどん人は集まって来る。
(どうするんだろう?)
護られる立場の小夜には口を出す事は出来ないが、一徹の答えを待っていた。
「せや!」
ぱちんと指を鳴らして一徹は振り返る。
「暁闇、僕が合図したら真っ直ぐ雪月花に戻れ。そこで落ち合うで」
「分かったが、お前と小夜さんはどうするんだ?」
「僕に任しとき」
一徹はそう言うと顔を隠していた布を取る。いつもの眼鏡をかけた一徹の顔が現われる。彼は眼鏡を外し、すうっと息を吸って大きく吐いた。瞼を閉じ何かに集中している様子だ。
「今や、暁闇! 走れ!!」
一徹が叫ぶのと同時に分厚い鈍色の雲が空を覆い尽くしていた。ごろごろと太鼓を叩くような音が鳴り、ちかっと閃光を走らせる。その瞬間、ざあっと激しい音を立てて大粒の雨が降り出し、また閃光を走らせた。今度は鼓膜を強く叩くような音とまばゆい光がした。近くで雷が落ちたのだ。
人々は見物どころではなくなり、蜘蛛の子を散らすように小夜達から離れていく。暁闇は一徹の合図で雪月花の方向へと走りだすことが出来たようで、小夜の背後で軽快な足音が聞こえて来た。
(わたし達はどうするんだろう?)
と思いながらぼうっとして立っていると、小夜の体がふわりと浮いた。
「堪忍やで。ちょっとだけ我慢してな」
「えっ? えぇ!?」
小夜の体は一徹に抱き上げられていた。膝に手を入れ、背中を支えて抱き上げる状態。これは――。
(お姫様抱っこ……!)
緊急時なのだ、仕方がないと思いつつも小夜の心臓ははち切れんばかりに鼓動を打つ。一徹は軽々と小夜を抱き上げると、地面を力強く蹴り近くの建物の屋根に着地した。人間離れした動作に小夜は驚く。
(それにわたし達だけ濡れてないわ)
雨はざあざあと勢いを増していくのに、自分達だけ濡れていないのだ。まるで彼らだけを避けるかのように水滴は落ちてこない。それにあんなに晴れていたのに都合よく雨が降るのだろうか。
小夜は布越しに一徹を見上げる。
「一徹。あなた、もしかして妖?」
すると、一徹は薄い紫色の瞳を小夜に向ける。にいっと笑うと彼は答えた。
「半分正解やな」
「この雨もあなたの力?」
「せやな。落雷を操る雷獣の力や」
一徹はそれだけ答えると、瓦の屋根を飛び越え雪月花へと走っていった。
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