第10話

 後日、白露から準備が出来たと知らせが暁闇を通して届いた。既に暁闇は先に奉行所で待っているらしく、小夜は一徹とともに白露の元へ急ぐ。

 白露と話し合いをした同じ和室に通される。下座にいた暁闇は小夜と一徹の顔を見ると、瞳に明るい光を灯す。


「暁闇ってば嬉しそうね」

 一徹と暁闇に挟まれるようにして小夜は座ると、右隣にいる彼にこそっと耳打ちをした。

「ええ、小夜さんにまた会えて嬉しいです」

「......いい知らせだと良いなぁ」

 弾むような声音で返答する彼の様子を気にすることなく、小夜はつぶやいた。


「お嬢ちゃん、そいつと距離近いんちゃうか。もっと離れとき」

 肩を一徹に掴まれぐいっと後ろへ引っ張られる。男の力に小夜はなすすべなく一徹の体へ倒れ込んだ。


 後ろから抱きとめられるようにして一徹の長い腕が小夜を包む。ふわりと甘くほろ苦い匂いが鼻腔をくすぐった。

(だ、抱きしめられてる!?)

 小夜の心臓はバクバクと力強く鼓動する。視線を上げると一徹の顔が近くにあった。


「おい、小夜さんに乱暴するな」

「僕は用心棒としての仕事を全うしているだけや」

「俺は怪しい奴じゃない」

「どうやろか? お嬢ちゃんに近付かれて鼻の下を伸ばしてたし、いつも口説こうとしてるし、十分怪しい奴とちゃうか」


 白露がやって来るというのに、一徹と暁闇は緊張感もなく言い合いを始める。小夜は気持ちを切り替えるように、頭上で争う二人をどう落ち着かせようかと考え込む。すると、低く威厳のある声が入り口の方から聞こえて来た。


八重霞やえがすみ様の面前だぞ、控えろ」

 白露はぴしゃりと言い放つとぎろりと一徹と暁闇を見る。さすがの威厳に暁闇だけでなく、一徹も口を堅く閉じた。

「まぁまぁ、白露。良いじゃないの、女の子一人を取り合う男の図なんて見ているだけで楽しいわ」

 くすくすと笑いながら白露に続いて部屋に入って来る妖艶な女性。小夜は彼女を見ると驚いた。奉行所という男だらけの場所で与力をやっているのが美しい女性である事はもちろん、彼女の周りの景色がゆらゆらと歪んで見えるのだ。煙でも纏っているかのような不思議な印象を受ける。


 唖然としているのは小夜だけでなく、暁闇も同じだった。このお方が、と呟いているところから察するに彼女と会うのは初めてなのだろう。

 彼らの中で一徹だけはいつもの態度を崩さず、冷静に八重霞を見つめている。

 彼女は小夜達の反応を見ると楽しそうに笑って言う。

「あらあら、眼鏡の坊や以外は驚いた顔をしてくれて嬉しいわ。誰もあたしが白露の上司だなんて思わないわよね。知らない人から見れば夫婦に見えるもの」

「実年齢は我々のご先祖といった方が」

「先祖だなんて! 年寄り扱いしないでちょうだい。そこまで年食ってないわ」

 いつもの無表情で白露がさらりと言った事に小夜はまたまた驚く。小夜とあまり年齢が変わらなさそうな目の前の美女が白露よりも年上?


「うふふ、びっくりした? あたし、実は妖なの。蜃気楼を作る妖、しん。眼鏡の坊やは気付いたようだけどね」

 そう言い、八重霞は赤の混じった茶色の長い髪を指先で弄ぶ。口角を上げている紅の唇は、彼女の陶器のような肌に映えて美しい。


「それで早速本題だけど、あなた達が言っていた策。協力出来るわよ」

 八重霞の言葉に小夜は一徹と暁闇と顔を見合わせて、笑みを浮かべる。

「あたしのお上に話を通すとね、藩主の娘さんが協力してくれるって。ぜひ自分の着物を使ってくれと衣装をくださったの。実際の姫君が使う着物だからとっても豪華よ」

 そう言い、彼女は外で控えていた下男らしき男に指示すると、藩主の姫がくれたという着物を持って来てくれた。


 衣紋掛けに吊るされてきた姫君の着物は、あっという間に小夜の心を掴んだ。

 鮮やかな青色に浮世絵のような絵柄が刺繍されている。近くで見てみると、小夜も読んだことのある話を描いているようだった。間着は白に近い水色で青の打掛によく似合う。帯にも細かな刺繍が施されており、いつの間にか小夜だけでなく、一徹もまじまじと近くで見ていた。


 小夜のすぐ隣りにある一徹の顔。まじまじと見つめてしまう。

(まつ毛長いな......)

 薄い紫色の瞳は透き通ったガラスのよう。目の周りを縁取るように長く、先に向かうにつれて上を向いているまつ毛が瞬きに合わせて動く。鼻筋はしっかりとしていて、計算し尽くされた彫像のようだ。


(一徹ってよく見れば端正な顔立ちをしているんだな......)

 小夜はそんなことを考えながら着物と一徹を交互に見やる。脳裏に浮かぶのは先程の出来事。かあっと頬に熱が帯びる。

 そんな彼女の様子に気付いていたのか、八重霞のくす、という息が聞こえて小夜は意識を一徹から離した。


「これでもくだけたお着物なんですって、庶民には驚きよね」

 なんて八重霞の言葉に驚いたのは言うまでもない。藩主の姫君は着物だけでなく、簪や扇まで一式全てを渡してくれたそうだ。使い終わったら着るなり売るなり好きにして良いと言ってくれているのだとか。


「めちゃくちゃ豪華やな。お姫さんにはくだけたとか正式な服装とかあるやろうけど、僕ら庶民には全部一緒ですわ。くだけててもこれだけええ着物やったら金持ってるのは明白です。作戦実行は早い方がええ、明日早速お嬢ちゃんに着てもらって街を練り歩きましょ」

 一徹の言葉に八重霞は頷いた。

「そうね、犯人は昼間にアタリをつけているでしょうし。奉行所の連中を使ってやんごとなき御方がお忍びで来ていると噂を流しましょう」

「では小夜さんの警護は俺がやります」

 小夜の隣に立つようにして暁闇が八重霞と白露に向かって告げた。彼らが頷く前に一徹が食ってかかる。


「君の腕でお嬢ちゃんを護れるんか? 心配やなぁ」

「そう言うお前もどうなんだ。でかい口だけ叩く男なんじゃないか?」

「へぇ、そう見える? なら腕試しでもしてみるか?」

 また二人の間に火花が散りそうになる。小夜は困ったように眉を下げ、どうしようかと悩んでいるとにやついた表情の八重霞が軽快な音を立てて両手を合わせた。


「だったら二人で護衛すれば良いじゃない。簡単な話よ。じゃあ、明日小夜ちゃんの着付けはあたしがするから店前で集合よ。白露、念のために岡っ引きの奴らを何人か目立たないように付けておいて」

 てきぱきと指示する彼女に男性陣は口を挟む事も出来ず、言われたことに頷くしかなかった。


 小夜は渋々といった表情でお互いを見やる一徹達を見ていると、耳元で妖艶な声が響いた。

「ねぇ、小夜ちゃんはどっちが好きなの?」

「えぇっ!? そ、そういう気持ちは……」

 ふうっと耳に息を吹きかけられる。一徹の吸う煙草とは違う甘い香りに頭がくらくらするようだった。

「自分の気持ちに素直になりなさいな。あなたはもう大人へと羽化し始めているのよ」


 くすくすと笑いながら八重霞は離れていく。耳に残った言葉と彼女の香りは離れなかった。

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