第9話

 小夜、一徹、暁闇の三人は雪月花を出た後、椿区画にある奉行所へと足を運んでいた。ここには暁闇の上司にあたる白露の同心がいる。

 彼女の作戦を実行するには、白露の力添えがないと実現出来ないという暁闇の意見から奉行所を訪れたのだった。

 普段、まっとうに生きている小夜にとって奉行所は馴染のない場所である。暁闇は次々に出入りしていく男達に笑みを浮かべ、一言二言交わしていく。雪月花にやって来る暁闇しか知らない小夜にとっては、彼の新しい一面を見た気がする。


 ちらりと隣に立つ一徹を見ると、眼鏡の奥の瞳に冷たい光を宿し、険しい表情を浮かべている。煙草を吸いたいのか、煙管の入っている胸元をしきりに撫でていた。落ち着かない様子に緊張しているのは自分だけじゃない、と小夜はほっと一息つく。


 奉行所の玄関で数分待たされた後、まだ岡っ引きの見習いなのか若い男子が小夜達を部屋に案内してくれた。部屋に入ると、正座をしてこちらを見る男がいる。

 男の顔には皺が深く刻まれ、険しい顔つきはそのまま貼り付けられたかのように動かない。髪は白と黒が混ざり合った色で綺麗に後ろへ撫でつけているのを見ると、几帳面な性格をしているのだろう。


「白露の親父、忙しいのにすみません」

 暁闇が一礼をして部屋に入る。小夜と一徹も彼に倣った。

「小夜さん、一徹。こちらが白露の同心」

「よろしくお願いいたします」

 小夜は一礼をしたが、一徹は白露と視線を合わせるだけで微動だにしない。まるで先に動いたら負けだというように頑なな態度だ。小夜は彼に礼をするよう目配せするが、一徹は従おうとしない。やがて白露の方から口を開いた。


「二人のことは聞いている。煮売り屋の娘さんとそこで用心棒している青年だね。一徹と言ったかな、君。混じっている・・・・・ね?」

「それは今、関係ない話ちゃいますか」

 白露の言葉に一徹は底冷えするような怒気をはらんだ声音で返す。小夜は驚いた。いつもの柔和な笑みを浮かべている彼がここまで怒りを露わにしているのを見た事が無い。

 一徹に凄まれても白露は動じなかった。失礼、と短く答えただけですぐに話題を変えた。


「ところで暁闇から聞いたが、お嬢さんが囮となって辻斬りの犯人をおびき出すという話だが……」

 白露は見習いの男子が運んできてくれた茶を三人に勧めながら話を続ける。

「私は反対だ、というか非力な女子を囮にするなど刀持ちとして認めるわけにはいかん」

 彼の鋭い視線は暁闇へと注がれる。凄みのある視線に暁闇はびくりと体を震わせた。


「暁闇、そんな策を講じて卑怯だと思わないのか」

 白露の問いに答えたのは一徹だった。

「白露の旦那ぁ、時には卑怯さも必要になるのが世の中ってもんです」

 いつの間にか胸元から出していた煙管を取り出し、火をつけてぷかぷかと吸っている。ふうっと吐く息には煙草の煙が乗っていて、匂いと共に白露の足元へ向かう。白露は煙の匂いに少し顔を顰めただけで咎めようとはしなかった。


「お嬢さんには指一本触れさせへんし、僕にはその自信もある。白露の旦那があかん言うても僕らは勝手にやるだけです。それとも旦那の部下は僕よりも劣ってるってことですかね」


 一徹の言葉は暁闇を指していたのだが、暁闇は動じなかった。彼はわざと挑発している事を見抜いていた。

 一方の白露は瞼を閉じ、より一層額の皺を深く刻み込む。しばらく考えていたが、やがて大きなため息をついて少しだけ苦い笑みを浮かべた。

「もし、お前達が手柄を取っても取らなくても、犯人を捕まえる為に動けば町の者からの奉行所への非難は避けられないだろう。本当に嫌な事を言う小僧だな」

 白露は撫でつけた髪が崩れるのもお構いなしに頭を大きく抱えた。


「はぁ……面倒な事を言い出しおって。分かった、八重霞様に取り合ってみる」

 ぱあぁっと花が咲いたような笑みを浮かべて暁闇は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、白露の旦那!!」

 小夜も暁闇に続き、頭を深く下げる。横目でちらりと一徹を見ると少しだけ頭を下げていた。無礼だが下げているだけマシなのだろう。


 白露からは、今日のところは下がれ。また連絡すると言われたので、暁闇はこのまま岡っ引きの仕事に戻り、小夜と一徹は雪月花に戻る事にした。

 奉行所で暁闇と別れ、店への道を歩いている時、ふと小夜は気になって一徹に聞いてみる。

「ねぇ、白露さんが言っていた“混じっている”ってどういうこと?」

 隣を歩く一徹を見上げながら問うと、いつもの柔和な笑みを浮かべて一徹は答えた。

「ん? お嬢ちゃんにはまだ早い話やな~大人になってからや」

 そう言い、小夜の頭にぽんっと大きな手を置きそのままぐしゃぐしゃと撫でた。おかげで髪の毛があちらこちらに跳ねてしまう。


「もう!! わたしのこと子ども扱いして! 立派な大人ですから」

 ふんっと頬を膨らましてそっぽを向いてみる。一徹は怒っている様子の小夜に慌てる事もなく、げらげらと笑いながらリスのように膨らんだ彼女の頬を指でつつくのだった。

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