第8話
翌朝、珍しくいつも起きる時間に寝過ごしてしまった小夜は慌てて顔を洗い、店に出る支度を整える。雪月花の店舗に行くと、朝の営業時間内のはずだが店内には父の村雨と暁闇、一徹しかいない。三人とも険しい表情を浮かべて何かを話し合っており、いつもと違う雰囲気に小夜は思わず唾を飲む。
「あ、お嬢ちゃんおはよう。よう眠れた?」
小夜に気が付いた一徹は柔らかい微笑みを浮かべ、声を掛けてくれる。
「うん、おかげさまで。みんな怖い顔してどうしたの?」
小夜が聞くと一徹が暁闇と村雨に視線を送り頷いてから事を話してくれた。
昨夜、薬問屋をしている桔梗屋の主人である
蓋世は紅鳶でも大きな薬問屋をしており、小夜も風邪を引いたときはよくお世話になっていた店である。その蓋世は、珊瑚瑠璃の花魁を贔屓にしているそうで、昨日も遊女遊びに訪れていたらしい。
蓋世の死体を発見したのは遊郭の大門を見張る門番だ。紅鳶の遊郭は一般庶民が住む区画と遊女らがいる遊郭とで区別されており、それぞれに大門と呼ばれる大きな門がある。ここを通るには門番に身分をあかさねばならない。
死体を見た門番によると、蓋世を見送った後すぐに彼の悲鳴が上がり、見に行くと大門近くの茂みで足だけを出すようにしてうつ伏せの状態で倒れていたという。
死体には首からわき腹にかけて刀傷が真っ直ぐあり、出血量からして致命傷になったと考えられる。黄梅と違うのは刀傷が一つだけという点である。
同じ日に死体で発見された珊瑚瑠璃の主人、風花は店の裏手で倒れていた。珊瑚瑠璃で働く遊女らの証言によると、風花は営業終了間際にその日の売り上げを確認する為、店の裏手すぐにある自宅へ銭を運び数えるのだという。
当日も銭の入った箱を持って裏手から自宅に向かう風花が目撃されている。
「黄梅さんの事件を真似た盗人の仕業という可能性は無いの?」
一徹の説明を聞いた小夜は疑問に思っていた事を投げかける。風花がどうなのかは小夜には分からないが、少なくとも蓋世は桔梗屋という大きな店を抱えた成功者であり、金銭も他の庶民より多く持っている事は明白だ。
黄梅も同心という社会的に成功した部類の立場の人間であることから金目当てという可能性も否めないのではないか、というのが小夜の考えだった。
しかし、小夜の考えは暁闇に否定される。
「いや、蓋世も風花も金銭は漁られていないんだよ。黄梅さんも同じ。あの後、財布が見つかったけど手つかずだった」
「そうなんだ……。でも、蓋世さんっていつも用心棒を連れていなかった?」
小夜は何度か紅鳶を歩く蓋世を見た事がある。大男二人に付き添われるようにして歩く小さな中年男性の姿が思い浮かんだ。
「遊郭に行く時はいつも一人なんだ。護衛はつけない」
「まぁ、おったら邪魔やもんな」
一徹はそう言いながら煙管を取り出し、火をつけた。すうっと息を吸いこみ、ふうっと煙を吐き出す。あの、ほろ苦くて甘い香りが小夜に届く。
「ちなみに風花って人の死体の傷は?」
一徹は煙を吐き出しながら暁闇に問う。暁闇は一徹の吐く煙を嫌そうに顔を顰めるが、彼は気にしない様子だった。
「死体の顔に十字の傷、他には全身に刀傷があったそうだ」
「蓋世さんには無かったのに……」
「おそらくやけど蓋世を殺した時、斬りつける時間は無かったんと違うかな。暁闇、刀傷は一致してるんか?」
一徹の質問に暁闇は頷いた。
「あぁ、同じものだ」
「う~ん、ここれからは僕の予想やけど。犯人は裕福な人だけを狙って刀の試し切りをしてるんちゃうか」
人差し指を立てて片目を閉じて見せる一徹。彼の言葉に小夜と父は怪訝そうに顔を見合わせて首を傾げる。
「一徹君、こう言っちゃなんだが刀の試し切りに人を選ぶなら襲いやすい人を選ぶんじゃないかな。裕福な人って警備も厚いだろうし」
村雨は考え込みながらぽつりぽつりと言葉を選ぶようにして吐き出す。
「普通はそうやと思う。でも、犯人なりの“信念”があるんやろうな。無差別に見えてちゃんと選んどるのは間違いない」
犯人は裕福な人を狙って襲っている。次、狙われそうな富裕層を犯人より前に選出しようにも、大きな都市である紅鳶にはそんな人はたくさんいるから選びようがない。それなら――、小夜は反対される事を前提で三人に語りかけた。
「止められるのは承知で言うんだけど、わたしが良い所のお姫様に扮して犯人をおびき出すのはどうかな?」
小夜の発した言葉に、その場にいた三人の男の目が点になる。お互いの顔を見合わせた後、みな慌てて小夜に駆け寄った。
「何を言っているんだい、小夜。そんな危ない事を娘にさせられるはずがないだろう!?」
「旦那の言う通りやでお嬢ちゃん。そんな生き急がんでもええと思う!」
「小夜さん不安になる気持ちは分かるが、この暁闇が君を守るから心配しなくていい」
小夜は想像していた通りの反応をする三人に申し訳なさを感じつつ、上目遣いをして目を潤ませる。
「一徹も暁闇もいるから大丈夫だよね、二人とも強いんでしょ? それにこのまま犯人を野放しにしてお父ちゃんに何かあったら、わたしは耐えられないよ」
「うっ……可愛い子に期待されると男って弱いんよな……」
「あの小夜さんが俺を頼っている……!!」
「小夜、私のことをそこまで心配して……!」
ある男は照れながら煙草をふかし、ある男は嬉しさを噛みしめ、ある男は娘の気持ちに涙を流す。
押すべきタイミングはここだ、と小夜は最後の一押しをする。
「じゃあ、そういうことでわたしの護衛よろしくね」
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