第5話
「今日、お客さんが教えてくれたんだが、紅鳶に歌舞伎役者が来ているそうだ。良かったら一徹君と観てきなさい」
小夜に硬貨が入った財布を渡しながら店を出ようとする二人に父は教えてくれた。
街を案内するついでに歌舞伎を見ようということで、二人は紅鳶の中心地へやって来た。
ここは流れの役者や芸者が自らの芸を売る芝居小屋が立ち並ぶ、いわゆる娯楽の場所である。他にも子ども向けに紙芝居や風船、凧揚げの販売などがあり、祭りに来たような高揚感を覚えるのだった。
隣に歩く一徹は、並ぶ店を物珍しそうに見ている。猩々緋にも似たような店通りはあると思うのだが、一徹は興味深そうに一つ一つじっくりと見ていた。きらきらと目を輝かせて、時折これは何だと小夜に聞く様子は幼子のようで微笑ましい。彼の様子に小夜は思わずくすりと笑ってしまう。
「お嬢ちゃん、旦那が言うてた歌舞伎って何?」
途中、欲しそうにしていたので買ってあげたりんご飴を大事そうに舐めながら一徹は聞く。
「役者が演目に合わせた衣装を身に纏って舞踊を披露したり演じる劇なの。それぞれの芝居小屋で出演する役者の名前を看板にして、表に出しておくの。庶民は好きな役者が出る芝居小屋を見つけてお金を払って観劇するのよ」
小夜は看板が外に並べられた芝居小屋を指差しながら説明をする。この場所では、芝居小屋が目玉なので人が多い。みな、看板の名前を見て楽しそうに会話をしている。
「って事は、あそこは人気の役者が出る芝居小屋ってわけか」
一徹が指差した方向には、他と比べ物にならないほど人が集まっていた。小夜はつま先立ちで看板に書かれた演者の名前を見る。
そこには力強い字で『
「そうだよ。不撓不屈と合縁奇縁というかなり有名な歌舞伎役者が来ているの」
彼らは男女双子の役者で、まばゆい程の美貌と高い演技力から真朱国で最も人気のある役者である。
「四字熟語が名前なん?」
「うん、この国で芸を売る仕事をしている人は“こうなりたい”とか自分の信念を表した四字熟語を芸名にするの。四字熟語の意味を体現できるようにっていう覚悟を表しているんだって」
小夜の説明を一徹は興味深そうに聞いていた。彼は小夜よりも年上のようだが、こうした庶民の遊びなどは詳しくないようだ。
「それにね、不撓不屈と合縁奇縁の二人は“御前役者”だから紅鳶で見られるのはとても幸運な事なんだ。だからみんなこぞって見に行っているの」
「御前役者って?」
「丹朱元君お抱えの役者のこと。首都で芸を披露出来る限られた人だよ」
「誰でも出来るわけやないの?」
一徹は手に持っていたりんご飴を齧ると、ぼりぼりと音を立てて歯で砕く。
「うん、首都で芸者をやるには丹朱元君に認めてもらう必要があるの」
芸を極めた者の中でも、選りすぐりの限られた才能の持ち主しか認められない。そんな御前役者が紅鳶に来たとあれば、これほどの人が集まるのも無理はなかった。
「気になるなら観てみる? 早めに行かないと観覧席が埋まってしまうかも」
「それなら急ごか」
小夜達は人込みを掻き分け、注目の役者が出る芝居小屋の席売りに話し掛ける。これからやる演目は、既に観覧席はほとんど埋まっており、小夜達は一番安い土間で観る事になった。
土間は観覧席とは違い立ち見である。その為、人が入るだけ入れられるので人気の芝居小屋だと他人と密着しながら観なければならない。
(人で押しつぶさそうだわ!)
さすがは御前役者が出る芝居小屋。小柄な小夜はぺちゃんこに押しつぶされるのではないかと思うくらい、土間は人で溢れていた。
行燈の火が消され、舞台の上の屋根が外される。小屋の中で一番明るくなった舞台上に不撓不屈と合縁奇縁の二人が上がると、観客からは大歓声があがった。
(わたしも見たいけどそれどころじゃない……)
臓物が口から出てしまうのではないかと思うくらい人で押されている。観客のほとんどは舞台にいる役者に夢中なので、誰も小夜の事を気に留めない。何とか人との間に空間がある場所を探すが、なかなかうまくいかなかった。そんな時。
「お嬢ちゃん、こっち」
小声で一徹に話しかけられたと思った途端、腕を掴まれた。そのままぐいっと引き寄せられると、小夜は気付けば一徹の腕の中にいた。
(えっ!?)
後ろから一徹に抱き締められるような恰好になっている。
「これならお嬢ちゃんを守れるし、芝居も観れるやろ?」
小夜の頭上に一徹の息がかかる。自分の後頭部で彼の喉仏が動いているのが感じられた。
(近い、近すぎる!)
一徹に後ろから抱き締められる状態の小夜。これなら小夜は他の人に潰される事も、一徹とはぐれることもないから安心だが、何しろ近すぎる。肌と肌はもう触れ合っているし、彼の鼓動も背中で聞こえてくるのだ。
そんな状態で男性と手を繋いだ事もない小夜が芝居に集中できるはずがなかった。
*
「いやぁ、面白かったなぁ」
芝居小屋を出た一徹は背伸びをしながら楽し気に言う。
「ソ、ソウダネ」
芝居は三時間もあった。つまり、三時間も一徹に後ろから抱き締められた小夜は芝居中の記憶がほとんどない。小屋から出た今も地に足がついているようないないような、ふわふわした感覚に酔っている。
「お嬢ちゃん、お腹空いた?」
目が点になっている小夜の様子に気付いているのかいないのか、一徹は今まで通り変わらない態度で接してくる。
「う、うん。ちょっと空いたかも」
「ならあの甘味処で甘いものでも食べる?」
「そうする」
軽い足取りで甘味処に向かう一徹についていきながら、小夜の心臓は爆発しそうだった。
小夜達のように芝居小屋で演劇を見た後、甘味処に入って休憩するという人は多いらしく、店内は既に埋まっている。小夜達は外に設けられた食事場所で甘味に舌鼓を打つことにした。
小夜が頼んだのはおしるこ、一徹が頼んだのはみたらし団子だった。
「僕、みたらし団子食べた事ないねんな~。はぐっ、うまいなぁこれ!!」
たれがたっぷりかかった団子を器用に食べながら一徹は幸せそうに笑う。彼の横顔を見ながら小夜は、自分の顔がどんどん熱を帯びていくことに気付く。
(これはさっきの事で恥ずかしいからであって。決して一徹が気になるとかじゃなくて……。でも、恋人同士でもないのにあんなことって)
先ほどの出来事を考えれば考えるほど、小夜は赤く熟れていく。
ふいにみたらし団子を頬張っていた一徹が小夜の顔に気付いた。
「お嬢ちゃん体調悪い? 顔、赤いで」
「えっ、そんなことないよ!! 大丈夫、元気だから」
一徹に顔を覗き込まれて小夜は慌てながら体ごとそらす。
(近くで見るとまつ毛が長いし、目も綺麗だった……肌も陶器のようだったわ。って、わたしったら何を考えているの!!)
自分で自分の頬を叩き始める小夜を一徹は心配そうに見つめる。
「お嬢ちゃんは楽しかった?」
突然、一徹が聞いてきた言葉は小夜を現実に引き戻した。彼が呟いた言葉には、嬉しさだけでなく寂しさも混じっていたような悲し気な響きを持っていた。
「僕、こういう遊びした事なかったからめっちゃ楽しかったわ。またお嬢ちゃんと来れたらええな」
遠くを見てしみじみと言う一徹に、小夜の胸はきゅうっと締め付けられる。
(何で悲しそうなんだろう)
彼にそんな顔をして欲しくなくて、小夜はまだ口をつけていないおしるこの器を一徹に差し出した。
「わたしもとっても楽しかった。一徹は雪月花の一員なんだから、これからいっぱい今日のように遊べるよ。ほら、みたらし団子を食べた事が無いならおしるこも無いんじゃない? 食べてみる?」
「……ありがとう、お嬢ちゃん。君は優しい子やな」
一徹はおしるこを受け取ると、小夜の頭をよしよしと撫でた。
せっかく正気に戻ったというのに、小夜はまた顔を赤くすることになったのだ。
(わたしはこんなに恥ずかしいのに、一徹は平気そうなのが悔しいな……)
彼も自分のように照れくさくなる事はあるのだろうか、と小夜は思いながら彼の横顔を見つめた。
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