第3話
昼間に嗅いだ匂いと同じであると気付いたが、小夜は聞けなかった。黙って頭巾を見上げていると、彼は手を繋いだまま小夜に言う。
「女子一人で歩かせるのは心配やから送ったる」
雪月花の屋台は歩いて数秒の距離なのだが、先ほど起きた事もあり小夜は素直に従った。握られる頭巾の人物の手は小夜よりも大きくて温かい。
(どきどきするのは、さっきの事があったからだよね)
心臓が早鐘を打つのは、決して手を繋いでいるからではなく、先ほどの出来事があったからだと小夜は自分に言い聞かせる。そんな事を思っていると、雪月花の屋台まで戻っていた。すぐそこの距離なのに、あんなことが起きるなど信じられない。悪い夢を見ている気分だ。
行燈に照らされた小夜の着物は、転倒した時に泥がついてしまったらしく美しい柄が土で汚れてしまっていた。
「小夜! どうしたんだい、その格好……何かあったのかい?」
父が小夜を見るなり驚いて声を上げる。小夜は先ほどあった出来事を父に全て話した。
「あぁ、なんてことだ。小夜に何かあったら私は生きていけないよ」
小夜の話を聞き、顔を青くしたり赤くしたりした後、父は大人げなく涙を流しながら小夜を抱き締めて呟いた。父の気持ちが小夜の心に響くと同時に、悲しませてしまった事に罪悪感を覚える。
少しでも心配事を軽くしようと、小夜はあえて明るく父に言う。
「わたしは何もされていないから大丈夫だよ。この方が助けてくれたから」
言いながら背後に居た頭巾の人物を父に紹介しようと振り向く。
「あれ?」
しかし、頭巾の人物はいなかった。小夜は首を傾げる。
「さっきまでそこに居たはずなのに……お父ちゃんも見たよね?」
「いや、私は小夜しか見えていなかったから。誰か居たのかい?」
「うん。その方がわたしを助けてくれたの。ちゃんとお礼も出来ていないのに……どこに行っちゃったんだろう?」
きょろきょろと辺りを見渡す小夜。彼女の頭にぽんと父の手が乗せられた。
「また今度会った時にお礼をしよう。今日は早めに切り上げて私と帰ろうか」
父は小夜の返事を聞かずに片づけを始めた。申し訳なさや罪悪感やらなんとも言えない気持ちを抱えながら小夜は父を手伝うのだった。
*
翌朝、顔を洗って支度を済ませると雪月花の店舗へ向かう。掃除用具入れから箒とちりとりを取ると、玄関を開け昨夜に溜まった土埃をはらっていく。
「お父ちゃん、おはよう」
珍しく父が店の前に立っていた。手には何か書かれた紙を持って店の壁を眺めている。父は小夜の姿に気がつくと、優しく微笑み、おはようと言った。
「手に持っているのは何?」
「これは用心棒募集の張り紙だよ。昨日の事もあるから」
父は言いながら古紙に糊をつけて壁に貼る。父の力強い字で『用心棒募集のお知らせ』と書かれていた。
(わたしが迂闊だったせいで)
小夜は唇を噛む。女子が夜に出歩くことを甘く見過ぎていた。ほんの少しだけ、近くに屋台はあるからと重く考えていなかった。自分の行動のせいで父に要らぬ心配をかけてしまっている事に罪悪感がむくむくと育っていく。
そんな小夜の気持ちに気が付いているのか、父はいつものように優しい笑みを浮かべ頭を撫でる。
「小夜のせいじゃないよ。最近、物騒な世の中になって来ているから用心棒はもともと雇おうと思っていたんだ。酔っ払い客や強盗の相手をするには、私は老いすぎたからね」
「お父ちゃん……」
「良い人が来るといいね。さぁ、小夜。支度を始めようか」
小夜は父の言葉に頷いた。箒を持つ手に力が入る。優しい父とこの店をずっと守っていきたい。小夜の夢を叶えるためにも。
その日の朝もいつものように慌ただしく時間が過ぎていった。早朝から作り始めた料理はもう空っぽになっている。器に山のように盛り付けられた品が綺麗に無くなっているのを見ると嬉しくなった。
閉店した後、床几を濡れた雑巾で拭いていると扉の方から男の声が響く。
「すみません、表の張り紙見た者ですけど」
独特の発音は小夜の耳に馴染みがあった。
「用心棒募集の張り紙のことだね? 君は腕に自信があるのかい」
奥で洗い物をしていた村雨が表に出てきて言う。青年の体格を見て少し心配になったのだろうか。
青年は日の光を浴びて輝くような白い髪に、宝石のような美しい紫の瞳を持つ端正な顔立ちをしていた。身長は高いが、体格は細めなので用心棒業務が出来るのか父は気になったようだ。
「腕に自信が無かったら応募してませんよ」
しかし、青年は父の言葉ににやりと笑うと面白そうに言い返す。
「それもそうだね、失礼した。私は
「よろしくお願いします」
父の紹介を受け、小夜は青年に頭を下げる。青年も丁寧に礼を返した。
「僕は“一徹”言います。よろしく頼んます」
彼は父と小夜に向かって手を差し出した。小夜も手を伸ばすと、力強い手に包み込まれぎゅっと握られる。
ふわっと一徹からほろ苦く甘い香りが鼻孔をくすぐった。
(この感触……この匂い……もしかして)
小夜は視線を一徹に向けると、確信を持って聞いてみた。
「もしかして昨日助けてくれた方ですか?」
すると、一徹は目を少し見開くと口角を上げ答える。
「さぁ? なんのことやろう」
彼は知らないという態度を取っていたが、昨日男から助けてくれた頭巾の青年と一徹は同一人物だろう。だが、ここで『知らない』という態度を取るという事は、深く聞いて欲しくない事なのだ。小夜はぐっと気持ちを押さえ、何事も無かったかのように一徹へ微笑みかける。
「人違いだったかも。一徹さん、これからよろしくね」
「えぇ、よろしく。あと、お嬢ちゃんは僕のこと呼び捨てでええよ。雇い主の娘さんに“さん”付けられたら気恥ずかしいし」
一徹は笑って言う。優しい笑みがどことなく父に似ているような気がした。
こうして雪月花に新しい仲間が増えたのだった。
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