太陽は思ったよりまぶしくない 3

「雨か?」


 おれはふと外を見た。窓の外でぼつぼつと雨が降ってきた。


「みんな、傘持ってきたか?」

「へーき」

「あっ、おれ傘忘れた!」


「もうっ、あんたは本当にドジな奴ね。ほら、私の折りたたみかしてあげる。べつの持ってるから」

「おっセンキュなアリス。お前本当かっこいいな」

「………………今言われて思ったけど、まんざらでもないわね」


 場の空気が一気に緩んだ。

 ふぅ。

 さすがに勉強みっちりやると疲れるな。


「そろそろ切りのいいところで上がるか?」

「そうね、さんせー」


 美琴は一番喜んでいた。勉強会。なかなかに苦労した。


「さて美琴、今日の復習だ。インカ帝国を滅ぼしたのは?」

「そんなの簡単じゃない! アルマグロとニケよ!」

「おいおい、ちゃんと勉強したのかよ……」


 おれはため息をついた。それにしても、アルマグロとニケって。誰だよ。

 ちなみに正解はピサロだ。

 まったくもう。ちゃんと勉強して欲しい。


「あら、あながち間違いじゃないんじゃない?」


 アリスが言った。ん、どういうことだ?


「アルマグロもニケもピサロの協力者よ。彼らはもともと一つの探検隊だったの。アルマグロは粗野な男で、ニケは神父ね。神父さんは文字が書けるから、記録を残すために連れて行ったみたい。


 ちなみにピサロとアルマグロはことあるごとに対立していたらしいわ。インカ帝国が滅びたあとも、黄金の分け前を巡って相当に対立してたそうよ」


 …………………………なんですって?


「テスト範囲じゃないじゃん」


「そうよ。もしインカ帝国を滅ぼしたのがアルマグロとニケだと答えたら、間違いなくペケ食らうでしょうね。まず世界史の先生知らないでしょうし」


「じゃあどっちにしろ忘れろ! いいか、お前! インカ帝国を滅ぼしたのはピサロだって書くんだ!」


「えー、せっかく参考書のコラム読んで覚えたのにぃ……」


「そこでないから! 絶対出ない! そういうところに書いてあるところは絶対出ないって決まってんの!」


「ちぇっ、わかったわよ。インカ帝国を滅ぼしたのはピサロね。ちなみにここで言うピサロって、フランシスコ・ピサロのことで、スペイン人の探検隊には、他にもたくさんピサロさんがいたそうよ。みんな異母兄弟なんですって!」


「いらない。その情報もいらない。回答欄にはピサロとだけ書け」


「えー。せっかく勉強したのに」


「いらないところを覚えるな。必要なところだけを知れ。でないと、人間評価されないぞ」


 おれは言い切った。あまり本人の努力を否定したくないが、わざわざ覚える必要のないところまで覚えるべきじゃない。


 だが美琴は不服そうだった。頑張って勉強したのにー、とブツブツ呟いている。


 ――思えば不穏な空気は、ここから湧き始めたのかも知れない


「へー。でもインカ帝国制服の裏に、そんな事情があったなんて知らなかったな」


 恵が人差し指をアゴに当てて、言った。

 まぁたしかに。面白い話ではあるな。


 この話を長く続けると日が暮れそう(っていうか外は雨だったが)だったので、おれたちはひとまず店を出ることにした。


 お会計を割り勘で済ませ、店の外に出る。店にはひさしが掛かっていて雨水を防いでいるが、ジメジメとした空気はなんかいやだな。


「美琴、濡れてないか?」

「ん? へーき。へへっ、風太郎って優しいんだね」

「風太郎が優しいのはみんな知ってることだよ」

「へー、さすが女たらしですなー」


 腰に手を当てていじわるそうな表情を浮かべる美琴。

 なかなか様になっている。

 今日の勉強会で、おれたちの仲はもっと深まったと思う。

 リア充メーターがあるのなら、多分十くらい一気に上がった。




 各自解散という形になった。

 おれは颯太と一緒に帰ることにした。帰り道が一緒の方向だからだ。

 たまには男同士で帰るのも悪くないだろう。


 歩道橋を渡る。


 すれ違った女子高生が可愛い声で「ねぇ今の二人めっちゃイケメンじゃなかった?」「ね。マジやばい」と囁いているのを聞いた。


 ちょっと嬉しかったね。


「うーん、悪くない気分だ」

「おいおい。あまり調子に乗るなよ」

「いやー、モテる男って言うのは気分がいいねー」


 だいぶ雨足が強くなってきたな。風も強くなってきている。

 喫茶店を出たのが夕方だったか。そろそろ本格的に嵐が来そうだ。

 天気予報だとそんなことは言ってなかったような気がするが、春の空は女心より気まぐれである。


「……なにを笑っているんだい君は?」


 おれは颯太にたずねた。

 こんな雨の日に奇妙な笑いをたたえている男って言うのはなかなかに不気味である。

 こいつ将来魔女とかに弟子入りしそうだな。


「いや、さっきの美琴のはなし、すっごい面白かったなって思ってさ」

「あはは。まぁたしかになー。なんだっけ? ま、マグロ?」

「アルマグロとニケだよ。ふつうあんなところまで読まないって」

「だよなー」


 おれたちにとっては何気ない会話だった。


 そのまま歩道橋を歩いて行く。


 階段を降りる。雨水がおれたちよりも早く下へ下へと下っていく。


 歩道を歩く。


 焼き肉屋もんじゃ屋ケーキ屋和菓子屋消防署……あらゆる施設が軒を連ねる。


 いや消防署って軒を連ねるに加算してしまっていいのか?


 まぁ細かいことはどうでもいいか。

 街中は今日も平和だった。

 雨が強いせいで人は少ないけどな。


「まぁでも、あそこまで覚えてもしょうがないよなぁ」

「まぁな。むだ……とは言いたくはないけど、正直むだではあるよな」

「だな」


 もう一度言う。おれたちにとっては、本当に何気ない会話だった。

 べつに誰かを貶めようって言うわけじゃない。

 おれたちは世間話をするような勢いで、友達について語っているだけだ。

 他意はない。決して他意はない。


「三浦さんもだいぶおれたちになれてきた感じだったな」

「だな」

「あとは自己肯定感が問題だな。アリスと話してるときも、ちょっと怯えてる感じあったからな」

「あーそれな。今後の課題ってとこだな」


 何気ない会話。日常の一幕。

 おれたちはゆっくりと歩を進めていく。

 風で電線が揺れ、空に稲妻が走った。

 どごーん、と凄まじい音がする。


「ほう、これは嵐だな」

「嵐だねぇ。まぁ急いで帰って転んでもしょうがないから、のんびりいこうや」

「なかなかの度胸だな。ケドその度胸、おれは嫌いじゃないぞ」


 おれたちは、あはははは、と笑い合う。

 男の子同士だから、たまには童心に返っていいだろう。

 ここに女子がいたら、「ちょっと男子、雨足強くなってきたんだから早く行くよ!」と言われるところだろう。


 おれは背後をとある女子生徒が追いかけていることに気がつかなかった。

 しかしおれたちは何気ない会話を続けていく。


「三浦さんも、これから学力アップしていかないとな。今度のテストで赤点取ったら、女王の座陥落もあり得る」

「あはは。それはあるなー。なんせ自己紹介であーんなに大見得切っちまったんだからな!」


「今日の三浦さん、やけに楽しそうだったよな」

「そうだな。けど美琴の奴、あんなに必死にどうでもいい情報を読み込んじゃうって――」


 俺はくすりと笑ってその言葉を口にした。



「――まるで子どもみたいだよな」



 ばさり、と。

 背後で音がした。


「………………美琴?」

「……………………な………………んで?」


 おれと颯太は振り返って、そこにたたずむ美琴の姿を見た。

 バサリと音を立てたのは、美琴が落とした傘だった。

 美琴は絶望したような表情でおれたちの方を見ていた。

 藍色のブレザーが一気に紺色に塗れていく。


「なんで、なんでなんでなんでッ!」


 おれと颯太は目を見合わせた。

 まさか自分たちが美琴を傷付けた、なんて思ってもいなかったから。


「あんた……たちは、あたしのこと、そうやって、バカにしてきたの?」

「ん? おれはべつにバカにしてなんかいないが」

「ざ、いあくかんとか……いだかないわけ?」


「罪悪感って言うか、もしかしておれが今子どもっぽいって言ったことに対して腹を立てたのか? あれはべつにお前を貶めるために言ったわけじゃない」

「うそ。あんたあのとき笑ってたじゃん……」


 美琴の目が暗くなっていく。

 雨足がどんどん強くなっていく。視界が白くぼやけて、おれは目を細めざるを得ない。


「あんた、アタシのこと今までそう思ってたわけ?」


 怒りに満ちあふれた声。だがそこにほんの少しの悲しみが混じっていた。

 美琴の瞳には涙が浮かんでいた。

 雨宿りしている人たちは何事かとおれたちの方を見てきている。


「バカにしてるつもりはないって言ってるだろ? それに、子どもっぽいって言ったところのどこが悪口なんだ? 友達同士ならこれくらい言ったっていいんじゃないのか?」

「と、もだち……? ともだち……?」


 美琴が壊れたように、同じ言葉を繰り返した。

 美琴の唇が寒さからか、それとも恐怖からか、震えだした。


「へーそう。友達なんだー。そうなんだー。あたしもそう思ってるけど、あんたたち、今アタシのことバカにしてきたじゃん! ふざけんな! アタシちゃんと聞いてたから! あんたが鼻で笑ってたところ、ちゃんと聞いてたから!」


「……それは違うぞ美琴。べつにおれは、いやおれたちは、お前を貶めようなんて思ってない。友達だからこそ、こうやっていじったりとかするんだよ」


「いじる? も、もしかしてアタシが悪いてってわけ? そうやって人を小馬鹿にしたような笑みの、いじり?」


 おれは美琴の目を見ながらゆっくりと近付いた。


 そっと腕を取る。


「………………なに?」

「いいか美琴、いじりといじめは違うぞ」

「あたしにとっては……一緒だもん……」


 おれは思う。

 どう声を掛けたらいいかと。

 たしかにおれの言葉が美琴を傷付けてしまった。それは間違いなく真実だ。


「悪かった。おれの言葉がお前のことを傷付けてしまったのなら、謝る」

「………………謝ったって……………………う、裏切られたみたいで……」


 美琴の言葉は支離滅裂だった。

 だが言わんとすることは分かる。

 友達だと思っていた人間に裏切られたような気分になってしまったのだ。


 だがな、美琴。


 この先お前が生きていくに当たって、学校生活を送っていくに当たって、一番乗り越えていかないところはそこなのだ。


「確認しよう。おれと颯太の会話の中で、お前を貶める意識はなかった。完全にない。何気ない会話だと思ってくれ。

 おれは美琴のことを、本当に友達だと思ってる。信頼してる」


「………………アタシ………………わかんない。黒野エリカと一緒じゃん。やってること。あいつらも、ああぁぁ、あいつらからも………………あたしはともだちだっていわ、いわ、れたし………………ッ、だから…………あんたらも………………しんようできない」


 美琴はブルブル震えるように言った。

 なるほど。

 おれはこの問題の本質を見た気がした。

 こればっかりは、おれの配慮が足りなかったかも知れない。



 ――美琴はいじめられたことによって、人間を信頼しづらくなっている



 怖いのだ。おれたちと距離をつめることが。

 人を信頼して、その人に頼ることができない。

 いじられたら、いじめだと思ってしまう。

 悪口だと思ってしまう。


 いじられることくらい誰だって経験はあるはずだ。

 だが美琴は、それに対して過剰に反応してしまう。


 繊細さ。感受性の高さ。

 言い換えれば、メンタルの弱さ。自己肯定感の低さ。


 美琴の成長のために、おれはよかれと思ってやって来たことが、ここに来て一気に裏目にひっくり返ってしまったかも知れない。


 白と黒。


 盤面が、局面が、一気に変わってしまっている。

 おれはそう実感した。

 おれたちの築き上げたモノも、完全に揺らぎ始めている。


 ばちん、と、おれは頬を打たれた。美琴は流れる涙もそのままに、振り返って、傘も持たずに駆け出していってしまった。


「ちわげんかか?」

「あの男の人、フラれちゃったのかな……」

「かわいそう」


 なんて声があちこちから聞こえてくる。

 どれも正解じゃない。

 おれの選択が、美琴を狂わせてしまったのかも知れない。


「…………大丈夫か?」


 颯太が雨に濡れた傘を手に取って、おれに聞いてきた。


「あぁ。平気だ」

「三浦さんの抱えてるモノが全部見えた気がした」

「あはは。おれもだよ」


「寒くないか?」

「おっ、プレイボーイは言うことが違うな颯太。やっさしー」

「……冗談はよせ。お前、若干空回ってるぞ」

「………………かもな」


 美琴は雨に煙る街に消えてしまった。


 おれには美琴を引き留めることはできない。そんな権利は存在しない。

 おれは美琴のことを友達だと思っていた。だからこそ、美琴のことを颯太と話して、そして笑った。

 嗤ったわけじゃない。


 だが美琴はそれを聞いてしまって、つらい思いをした。

 美琴にとっては、おれは黒野エリカと同じような存在に見えてしまったのかもな。


 

 だとしたら、もうおれにはどうすることもできない。



 厳しいことを言うが、おれは美琴に対して最善を尽くした。

 それがダメだって言うのなら、そこまでだ。

 戸塚先生には申し訳ないが、美琴の件はダメでしたと言うしかない。


 おれにそこまでの義理は、あったか?


「……はは」


 なんてな。おれはそこまで白状じゃない。



 ――おれはどうすべきだったのか?



 わからない。考えたところでわからない。

 いじりといじめは違う。


 だが現実的には、言った側と言われた側で必ず齟齬が発生する。

 いわば本人がどう思ったのか、の方が大事なわけだ。

 ならば本当に、おれはこの件に対してどうすることもできないな。

 なぜならどうすべきかの答えは、美琴の心の中にしかないのだから。


「これ以上協力するのはよそう。後は美琴にすべて任せる」


 おれは言った。颯太はわかった、とだけうなずいた。

 いい友達を持ったモノだ。

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