第3話 忙しい時に、眠い(BY坂口安吾)

 忙しい時に、眠い。これは坂口安吾の名言。

 朝の図書室。清い空気が流れていて好きである。香る本の、あの独特の香り。それが僕の心臓を落ち着かせる。


 そして何よりも朝の図書館は人がほとんどいない。

 大抵の人は朝練をしているか、時間ギリギリに通学してくるか。そのどちらかである。


 その中で、1人。図書室の長机に座って寝伏している少女がいた。

 その机の上にはセーラー万年筆。(種類はレアロ)と桝屋の原稿用紙。ツバメノートが転がっている。その原稿用紙の途中、「そうして君と私はキ……」のところで文字が途絶えていた。その様子を見るとどうやら文章を書いている途中で寝てしまったようだ。


 その少女。涎を垂らしながら寝ている。

 尾野翠。それが彼女の名前。僕と彼女は中学の頃から知っている。そして唯一仲のいい女子であった。


 僕はその少女の頭を触る。


「おい、起きろ!!」


 そうすると、尾野は頭を起こした。そうして不機嫌そうにこちらの目を見る。


「何なのさ。折角人が気持ちよく寝ていたのに」


 目の下にはクマ。瞳はドロンと泥が詰まったように濁っている。明らかな睡眠不足であった。


「昨日も夜遅くまで執筆活動していたのか?」


「えぇ。3時間ほど」


「そうか。それで何文字書けた?」


「1000文字」


「それは重症だな。またスランプがやってきたのか」


「えぇ。絶賛スランプ中よ」


 と彼女は欠伸をした。

 尾野の親、尾野満開は小説家である。そのせいか、彼女の将来の夢は小説家。僕が初めて会った頃から彼女はそう言っていた。


「次こそはきっと名作になる。そう思って書いたのに。また原稿が進まなくなってしまったわ。ねぇ、太郎君。今度さ鎌倉行かない?」


「鎌倉? 神奈川県のだよね」


「そうそう」


「随分遠いところまで行くじゃないか。どうして」


「一緒に心中しないかなと思って」


「何を言っているんだ。アホ」


「まぁ、冗談よ。私が太宰治に憧れているからそう言ってみただけ。だけれども小説家って凄いよね。本当尊敬する。そりゃ、みんな若くして死ぬわと思う。だってストレス半端ないもの」


 とため息を吐いた。


「昨日、1日中家で引きこもって小説を書いたんだよ。だけれども結局1000文字しか進まなくて。本当こんなのやっていられないよ」


「それじゃ、小説を書くのをやめればいいじゃないか」


 事実。僕は昨日やめた。


「いや、書ける時は本当に気持ちいいぐらいに書けるんだけどね。それが本当に気持ちいいの。頭のドーパミンがドバドバ出るというか」


 もう一回ため息を吐く。


「いつか、太郎くんと私。2人で芥川賞と直木賞取りたいわね」


「僕はもう小説書くのやめたぞ」


「嘘」


「本当だ。昨日、自分の才能の無さに気づいて。はい」


「それで、小説サイトのアカウント消した? パソコンの中に入っている今までの駄作の小説達全て消した?」


「消すもんか」


「それじゃ、1週間もすればまたあなたは小説を書き始めるわ」


「ふん。そんなわけあるはずがない」


 僕は彼女の隣に座る。そうして机の上に散らばっている小説を手に取った。


「それで今回はどんな小説を書いた?」


「言いたくないわ」


「何故」


「だって……」


「分かった。異世界転生もの! は違うかー。だって異世界転生ものは万年筆で書いたりするほどのものではないもん」


「太郎君……随分と失礼ね」


「それじゃ、神戸市が聖杯戦争に巻き込まれる話とか」


「違う、違うわ。恋愛ものよ。ちゃんとした現実的の」


「五つ子と恋愛するものか?」


「そんなんじゃない! みんなが涙する感動的話よ!」


「あーそれ絶対に涙しないやつだ」


「涙するもん。みんな、絶対に。冴えない主人公がヒロインの恋心に気付かずにずっと困惑する話よ」


「あぁ、ありきたりだな」


「ありきたりとか言うなし!」


 すると彼女は顔を真っ赤にしていた。

 僕はその彼女の顔を見続ける。そうしてこの場合、一体どのような表現をしたら正解なのか。と言うことを考えた。赤い顔。紅葉。いや、今は春だ。それで紅葉という表現はおかしい。それじゃ。うん。


「茹蛸みたい」


 と咄嗟にでた言葉がそれだった。すると尾野の顔はますます赤くなる。そうして激しく鼻息を立てながら、原稿用紙や万年筆を鞄に詰めた。そうして

「ふん、ふん。何よ、何よ。どうせ私はキスを知らないガールですよ」


 と言い放ち、そのまま図書室へ出ようとする。


「おい、どこへ行くのよ」


「走るのよ」


「何故」


「このままここにいても、何もいいアイデア浮かばないから!」


 と。そのまま消えていった。

 再び、図書室は静寂に包まれた。その中で


「おぉ……」


 と僕達のその光景を見ていた人がいた。本棚のところ。今朝の少女。

 パチパチと拍手をしている。


「これが青春……」

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