第11話 累乗パンチ
5月4日、ゴールデンウイークの最終日、ぼくは午前1時に桜庭家へ行った。
玄関で出迎えてくれた彼女は、黒のロングスリーブTシャツを着ていた。丈が長く、ボトムスを隠していて、なにを穿いているのかわからなかった。シャツを着ているだけに見える。美脚がきわどく露出して、ものすごくエロい。
目のやり場に困る、と思ったが、しっかりと下半身を見つめてしまった。
シャツのロゴは白で「逃避行」。どこで売っているんだ?
「おはよう。今日もきれいだね」
「おはよう。男の子の視線がどこを向いているか、女の子は敏感だからね」
「あえて言うよ。きみのおみ足を見ていると」
「あはは。彼氏だけへのサービスだよ」
今朝は彼女の両親の姿が見えなかった。
「親は早朝から近場の山へハイキングに行ったよ」
「そうか。健康的な趣味だね」
「だから今日はふたりきり。うれしい?」
彼女はシャツの裾をつまんだ。ボトムスが見えそうで見えない。まさか下着だけじゃないよね?
「きみが煽情的すぎる。理性をなくして、おそってしまうかもしれない」
「もしそうなったら、責任を取って結婚してね。わたしは理系の勉強を完全に放棄して、きみに依存して生きるよ」
合意がないうちは、絶対に清い交際をしようと決意した。
高級プリンの入った箱を彼女に渡した。
「これ、冷蔵庫に入れておいて」
「ありがとう。早速食べる?」
「まだだめ。しっかりと勉強した人へのご褒美だよ」
「そうだよねー。わかってるよー」
彼女は冷蔵庫を開けてプリンを仕舞い、かわりに500ミリリットルのお茶のペットボトルを8本取り出した。
ふたりで彼女の部屋に入った。
ちゃぶ台を前にして座ると、ようやく彼女のボトムスが明らかになった。デニムのショートパンツ。
「にひひ。ちゃんと穿いてました。がっかりした?」
「ほっとしたよ」
桜庭さんは学校では、清楚系に見せている。親しくなって、印象ががらりと変わった。女子ってこういうものなのだろうか。それとも彼女が特別なのだろうか。初の恋人を得たばかりのぼくにはわからない。
「では、数学の教科書を出してください」
「嫌」
彼女に勉強の準備をさせるだけで、また騒動が起こってしまった。
毎回こうなるの?
累乗の計算のページを開かせるまでに、90分かかった。
「累乗とは、指数の数だけ数字をかけ算することだよ。yの7乗は、きみの元いた世界の3乗のことで、y×y×yだからね。むずかしくはないよ」
「むずかしく見えてしまうんだよー」
「簡単だって」
「綿矢くん、11乗は簡単だと思う?」
「とてつもなくむずかしいよ」
「わたしにとって、yの11乗はy×y×y×y×y×y×y×y×y×y×yだけど、きみにとっては」
「言わなくていいよ」
「yの11乗パンチをくらえ! y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y×y!」
「ぐはっ、やめてくれ!」
「はあ、はあ、はあ、累乗嫌い」
「妙な消耗戦はやめよう。累乗の公式の説明をするよ」
ぼくはていねいに説明した。
「ねえ、公式⑨、⑧、⑦というのが、気に入らないんだけど」
「は?」
「公式くらい、①、②、③の順番で並んでいてほしい」
「そこは慣れてよ」
「仕方ないなあ」
「公式を使って、この問題を解いてみて」
彼女は眉間にしわを寄せて、教科書を睨んだ。
「いいこと思いついた!」
そう言って、彼女は不意に口角を上げた。
「かっこ-7xの8乗yかっことじの7乗は、かっこ-3xの2乗yかっことじの3乗で、公式⑦により、かっこ-3の3乗かけるかっこxの2乗の3乗かけるかっこyの3乗となり、公式⑧により、かっこxの2乗の3乗はxの6乗となる。ゆえに解答は-27xの6乗yの3乗だね。これはこの世界での-83xの4乗yの7乗に当たる」
すらすらと解いてみせた。
彼女の快挙に、ぼくは仰天した。
「正解だよ! すごい!」
「へへーん。わたし、別に頭は悪くないのよ」
「でも、なにその解法?」
「最初に問題をわたしが元いた世界の数字に変更して、解答を導き出した。それをこの世界の数字に変換した。これがわたしにとって、最速の解法」
「それで答えが出せるなら、赤点回避の光明が見えたよ。他の問題もやってみよう!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます