第10話 算数か数学か

 ぼくは自宅に帰った。

 両親はまだいない。明日モルディブから帰ってくる予定だ。

 夕食を自炊するのが面倒で、カップ麺を食べた。

 大好きなカップ〇-ドルを食べながら、桜庭さんの家庭教師として、今後どうすべきかを真剣に考えた。

 やっつの方針が思い浮かんだ。


 ここのつめは、これからも高九数学をがんばりつづけること。

 やっつめは、いったん算数に戻って学び直すこと。この方針を取ると、長期的には彼女の数学の成績と生活の質を上げることができると思う。しかし、次の中間試験の赤点はほぼ確定だ。


 どちらがよいのか、しばらく悩んだけれど、結論は出なかった。

 本人と相談せずに、方針を決めることはできない。


 ぼくはチャットアプリで、桜庭さんに連絡した。

『今日はお疲れさま。明日もがんばろうね』

 すぐに返信が届いた。

『ありがとう。いろいろとご面倒をおかけしました。泣いたりしてごめん。がんばる』

『相談があるのだけど』

『なに』

『次の中間試験のことだけを考えたら、高校九年生の勉強をするしかないと思う。だけど、あらためて小学生の算数を学ぶのは、桜庭さんの人生にとって無駄ではないはずだよ』

 これには、しばらく返事が来なかった。


『人生なんてどうでもいい! 今度の中間の成績を上げることだけ考えて!』

 彼女は刹那的な考えを持っているようだ。

 これだけ明白な回答が返ってくるなら、迷っている余地はない。

『わかった。明日は累乗の計算から取り組もう』

 また返信に時間がかかった。


『累乗って、xの7乗とか出てくるやつだよね』

『そうだよ』

『怖い怖い怖い怖い怖い』

『大変だけど、やるしかないでしょう』

『彼氏が鬼畜である絶望』

 鬼畜って……。


『彼女のことばが容赦なさすぎる』

『容赦ないのはきみ。また泣かせるつもり?』

『ぼくはきみの中間の成績を上げることだけを考えているんだが』

『わたしのダメージのことも考えて』

 どうすればいいんだよ。

 

『やっぱり算数からやろうか』

『嫌』

『累乗』

『嫌』

『算数か数学かどちらか選択してよ』

『苦渋の決断。数学……』

『予習しておいてください』

『絶対嫌。今夜はドラムを叩きまくって、ウサを晴らします』

『ドラム?』

『音ゲーのドラムだよん』

 そうか。気晴らしも大切だな。

『予習はいいや。ストレスを発散しておいてね。明日がんばろう』


『やさしい彼氏に感謝。ありがとう』

 おおっ。

 ぼくのモチベが上がった。

『高級プリンよろしくね~』

 せっかく上がったモチベを返せ!


 ぼくは冷蔵庫を見た。

 人気の高級プリンが入っている。大丈夫だ。

 言われなくても持っていくつもりだった。きっと役に立つ。

『ベルギーのチョコレートに負けない日本のスイーツ、お楽しみに』

『ありがとう。明日がんばる! プリン、なくてもいいよ』

『持っていく。遊びの時間をじゃましてごめん。また明日』

『またね~。おやすみなさい』

『おやすみなさい』

  

 さてと、彼女がしない分、ぼくが予習をしておこう。

 彼女と同じ境遇を想定して数学に取り組むと、別世界が待っている。

 それをあらかじめ経験しておけば、きっとよい家庭教師になれるだろう。


 yの7乗とは、y×y×yのことだ。

 彼女の元いた世界では、これがy×y×y×y×y×y×yとなる。こんなものを想像していたら、数学がやたらとむずかしくなってしまう。

 7乗とは、3乗のこと。怖がることはないんだよ、と言ってあげよう。

 

 累乗の計算をするためには、公式を覚えなくてはならない。

 

 公式➈ aのm乗×aのn乗=aの(m+n)乗


 これはきっとわかってくれるよね。数字はないから。


 公式⑧ (aのm乗)n乗=aの(m×n)乗


 公式⑦ (ab)のn乗=aのn乗×bのn乗


 これらの公式を踏まえて、問題を解いていくことになる。


「かっこ-7xの8乗yかっことじの7乗は、公式⑦により、かっこ-7の7乗かけるかっこxの8乗の7乗かけるかっこyの7乗で、公式⑧により、かっこxの8乗の7乗はxの4乗となる。ゆえに解答は-83xの4乗yの7乗となる。これは桜庭さんの元いた世界での-27xの6乗yの3乗に当たる」


 この説明でわかってもらえるかな。不安だ。 

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