河川敷 1

 ――大嫌いな父親。


 よく親のことを悪く言うなとか、親なんだから必ずそこに愛がある、なんて言ってくる人がいるけど、アタシはあれは嘘だと思う。


 道徳的に正しそうなことを言って他者からの共感を得たいだけだ。


 ………………ごめん。アタシいつもよりかなりとげのあること言ってると思う。


 ケドこれはあたしの心の中だ。本当にそう思っているからこそ、こうやって書いてる。


 アタシはあの父親が本当に心の底から嫌いだし、憎んでいる。




「ハルちゃん最近どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」

「えぇ、なんかちょっとふさぎがちになっちゃって……」


「まあむりもないな。………………あの事件が原因か。明日斗だけでなく、友達までやられるとはな」


 下の方でアタシについての話をしている。本当はあそこに混ざって食事するべきだけど、アタシにはそんな勇気なくなってしまっていた。


 お母さんは今日は休みらしい。だから食事の時間を合わせているのか。


 アタシは布団を被った。最近やけに気分が落ち込む。明日斗がいないからってのもある。


 明日斗……心配なんだけど。アタシはもちろん定期的に明日斗のお見舞いに行っていた。彼は優しいから気丈に振る舞ってくれてはいたけど、本当は傷だって深いはずだ。


 ……ごめん。


 最近そればっかりを口に出している。やめないといけないってわかってるのに自己嫌悪が止まらない。生理の時だってこんなに落ち込まないのに。


「……………………んんっ」


 アタシは倒れ込んだ。………………これからどうしたらいいんだろう。



 そんな時、電話が鳴った。



 アタシはビクッとなった。ライン通話とかならよくするけど、今回の電話は普通に電話番号から端末に掛けてきたものだったからだ。


 アタシはスマホを取り落としそうになった。見知らぬ番号だ。アタシはおそるおそる、通話のボタンを押した。


 せすじがぞわっっ! となった。全身が凍り付いたかのようだった。



『よぉ、元気か?』



 五月中旬である。今もまだ警察に捕まってない男からの電話だった。


 アタシは暗い部屋でスマホを取り落としそうになった。こいつと会話したくない。素直にそう思った。


 けど、これは絶好の機会だった。アタシがけじめをつける、もしかしたら最後のチャンスかも知れない。


「なに?」

『おーおー冷てぇじゃねぇか? 兄貴は元気にしてんのか?』


「お前には関係ない」

『ほんっとに冷てぇ女だ。お前モテねぇだろ、見た目の割りに』


「……………………用件を言って。きるよ?」


『なるほど、成長したじゃねぇか。いいかよく聞けよ? 明日の午後五時。五時ジャストだ。おれは林商店の前まで行く。一分間だけ店の前に現れる。そこにこい。用件はそこで言う』


「あんたそれずるくない? って言うかお前今どこにいんの?」

『教えられねぇな。こちとら追われる身なんでよ』


「お前バカじゃないの? アタシはもちろんその時刻にお前が現れること警察に言うけど、いいの?」


『あっはは。言えるモンなら言ってみな? もし近い時間帯に警察が林商店の近くを警戒してた場合、おれは容赦なくお前の友達を、本気でやる。名前は何だったか、アァたしか翔太くんだったっけっか? 見た目はわけぇのにやたら自信のねぇ青くせぇガキ。おれは本気でそいつをやるぞ。あいつの家の場所は知ってるからな』


 アタシは震える声で聞いた。そんなバカな脅し……アタシに通用すると思ってんの?


「………………一応聞くけど、やるって、どういう意味?」

『殺る』


「………………うそでしょ? あんた殺人犯にでもなるって言うの?」

『そのとーり。どーせムショに入れられんだ。短くても長くても変わらんよ』


 正気か? アタシは聞こうかと思った。ケドこいつは本気で言っている。


『第一おれには金がない。知ってるだろ?』

「まぁ、もちろん知ってケド」


『ならムショ生活も悪くない。生活が安定してるからな』


 キツい冗談のように聞こえた。頭の悪さもここまで来ると笑えてくる。


 けど………………万が一翔太の身に何かあったら? アタシは一生後悔するだろう。アタシのせいで翔太は死んだと、悔やむことになるんだろう。


 こんな刑事ドラマみたいな展開、本当に起こるなんて思ってもみなかった。


 翔太が死ぬなんて、いやだった。だからアタシは言った。


「おっけー。わかった。明日の五時、林商店の前。あたしがそこに行けばいいってことっしょ?」

『そうだ。ジャストにこい。遅刻も早退も許されない』


「あんたって本当に面倒くさいよね。わかった、行く」


 アタシは電話を切った。心と体が震え上がった。どうしてこんなことになってしまったんだろう?


 そして思う。アタシはなんてちっぽけな存在なんだろうと。アタシは昔の父親に怯えている。他の人だったら父親に怯えるなんてことないんだろう。ケドアタシは違った。


「………………………………こわい………………こわいよぉ……」


 アタシは誰もいない部屋に一人呟いた。その声は誰にも届かず、寂しげな月明かりだけが部屋の中にほんの少しだけ入ってきていた。




 夕ご飯も食べる気にならなかった。お母さんに相談してもよかったけれど、アタシの友達カンケイに被害が及んでる以上、お母さんまで巻き込むのは申し訳なかった。


 雨が降っていた。まるでヘミングウェイの小説のようだ。


 ベッドの上でぐったり寝転んでいる。暗。なぁんかあたし、昔に戻っちゃったみたい。


 アタシはラインを開いた。明日斗のプロフィール画面をタップする。


 あたしは明日斗のことが好きだ。


 あいつ隠してるつもりだろうけど、実はオタクなんだよね。にっしし、本当にバカ。あれでバレてないと思ってるんだから明日斗って本当にバカだよね。


 あっはっは! アタシに見破れないモノはない! どうだ明日斗参ったか!


 ………………はぁ。こんなことしても意味ないーっつうの。はぁ。なんか明日斗のこと考えるとよけいにつかれてきた。もー、明日斗のせいだー。


 なぁんてね。そうやってあいつに対して心の中でグチを言えることも、あいつに対して深い信頼があるからだ。


 いつから好きになったんだろ? わかんねー。友達として接しているうちに、だんだんと好きになっていった。


 あいつにはいいところがたくさんある。不器用なくせにクラス全体のところを見てることとか、アストクラブのことをアタシ以上に思ってるところとか。


 アタシはあいつの笑い方が好きだ。図星をつかれると顔を真っ赤にしてひたすら言い訳を垂れて、けっきょく照れくさそうに笑う。そんなあいつが好き。


 アストクラブのメンバーの悪口を聞くと、たとえ先生だろうが怒るところも知ってる。あいつはああ見えて仲間意識が強い。白ひげ海賊団並みだ。


 あいつのクッソくだらない話が好き。クラスでする話もそうだけど、食卓でする話とかもちょーすき。本当にくだらない話。今日見た雲が死神に見えたとか、なんでそんなこと食事中に話すんだって突っ込みたくなる。でもそれを本当にあいつは楽しそうに話す。


 あぁーーーもう! 考えてるうちに顔が熱くなってきた。恋の病……なのかこれが!?


 アタシは今までこんなに熱くなることはなかった。元から明日斗のことを好きだったけど、この間病院で自分の話をしたときくらいから、なんかあいつのことばっかり考える。なんか、四六時中頭をよぎる。


 ただアタシは彼とはそのままの関係性を望んでいた。


 何もかも壊したくないから。


 ケド今になって思う。


 自分の気持ちは早めに伝えといた方がいいんじゃないかって。


 アストに今この気持ちを伝えとかないと後悔するんじゃないかって。


 その反面あたしはこうも思う。思いを伝えない方が幸せだ。明日斗と相思相愛になってしまったら、ますますあたしは明日斗のことを好きになる自信がある。


 だから大事にしたくなる。失いたくないと思う。


 けどあたしはなにかをいつも傷付けてしまう。あたしがいることで。誰かに迷惑を掛ける。


 ……………………あぁ、そっか。アタシはこの件に対して、明日斗を巻き込みたくないんだ。


 不安で不安で今日の夜は眠れなかった。お母さんが心配してノックしてくれたけど、アタシはその声を頭のどこか遠くの部分で聞いていた。


 怖い。


 ケド、ここで逃げてたらなにも始まらない。



『ごめんね明日斗。やっぱりあたしなんていなかった方がよかった』


 

 暗い部屋の中あたしはラインを送信した。まるで自分が空っぽになったような気分だったけど、それでもあたしの指は勝手に動いていた。


 まるでメンヘラ女だ、と自嘲する。けど指は止まらない。


 

『アタシの友達でいてくれてありがとう。立派な兄貴になろうとしてくれて本当にありがとう。けど、あたしは妹にはなれそうにない。だって……お兄ちゃんに頼っていい存在じゃないから』


 周りを巻き込んで不幸にしてしまう。不幸の渦中に自分がいる。それだけが許せなかった。


 責任を自分に押しつけて酔っているだけなんじゃないか、と周りの人は思うかも知れない。いや実際そうだ。


 けど、どうしようもないのだ。事態は進行してしまっている。


 あたしがいたせいで明日斗は傷ついた。あたしがいたせいで翔太が傷ついた。


 雨音がさらに大きくなる――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る