河川敷 2

 翌日はちゃんといつも通り登校した。休みたい気分だったけど、やっぱみんなには会いたいし。


「おっはよーネネっち! 今日もかわいいね!」

「おうハル! おっはー! なんだなんだ、今日は一段とハイテンションだな!」


 真ん中に明日斗の席を挟んでネネと駄弁る。


 正直間に明日斗がいたら椅子の足を蹴ったりしてからかったりできたんだけど、やっぱ彼がいないと寂しいな。


「おうハルじゃん! 今日は一段と可愛いなー」

「ちょっとぉ! アタシのセリフパクんないでよ洋介!」

「うげぇっ! ネネが怒った! にっげろー!」


 洋介がアンジャッシュのコントみたいなこと言ってる……。まぁ楽しそうならそれでよし。


 それから午後までずっとこんなテンションだった。ケド時間が経つにつれて、今日の約束をどうしても思い出してしまう。


『こねぇとどうなるかわかってんな』


 圭一の声がアタシの頭の中で反芻する。


 あたし一人で抱えないといけない問題。明日斗は病院にいるし、翔太は今日学校には来ていない。精神的なダメージが強かったんだろうな……。


「……………………………………」


 涙が出てきそうだったけどすんでの所で堪えた。ここで泣いていたら女が廃る。




 明日斗との同居生活が始まって、アタシは気まずさにいたたまれなくなったときも何度かあった。


 正直、彼とは友達だ。そしてかつて振った相手でもある。気まずいってもんじゃない。


 それでも明日斗はアタシに対して距離をつめようとしてくれた。少なくともそれを感じないほどアタシはバカじゃないよ。


 けど、アタシはそれに応えることができない。


 風邪を引いたときもアタシのことを気遣ってくれた。アタシのためにプリンだって買ってきてくれた。ささいなことだけど、一緒に住んでる人がこんなにも優しくしてくれるなんてこと、アタシには今までなかった。


 アタシってチョロい女なのかも知れない。自己肯定感が低くて、どこまで行っても幼い女。


 きっと大人になることができない。子どものまま大人になっていくんだろう。


 そんな気がする。


 だから現実に向き合いたかった。アタシは自分の力で立ち上がりたかった。


 空はあいにくと曇っていた。


 あたしは一人の男の前に立った。かつてあたしの父親だった男。母親に見限られ、次いで娘にも見限られようとしている一人の男。


 こいつに未来はない。だからアタシはこいつのことをどこか見下していた。


 自分の力でどうにかなると、そう思っていた。


「ついてこい」


 林商店は随分前に閉店している。近隣住民の間では有名だった。そのシャッターの前から立ち去ろうとする男の背中をアタシは追った。


「どこにつれてく気?」

「じきにわかる」


 アタシはついて行った。彼との話をつけるために。


 アタシがもしここに来なかったら、狙われるのは翔太だ。ううん、翔太だけじゃないかも知れない。明日斗にだって危険が及ぶかも知れないし、もっと言えばお母さんやおとうさんにだって被害が及ぶかも知れない。


 この男はそれくらいなにを考えてるかわからない。なにをしでかすかわからない。


 止められるのはアタシだけだ。娘であるアタシ。お母さんじゃきっとこいつの顔を見ただけで発狂するだろう。


 アタシの首の裏がズキズキと痛み出した。古い傷跡だと思っていたのに。




 ドクドクと心臓が鳴っていた。


 道を歩く。人通りの少ない路をあえて選んでるらしい。


 心が落ち着かなくなってきた。どこに……あたしは連れて行かれるんだろう? なぜ歩く必要がある?


 疑問で一杯だった。


「ねぇ、ホントにどこに行くつもりなの? べつに人に見られない場所だったらここでもよくない?」

「……」


 答えなかった。アタシの質問なんて答える価値なんてないと思っているらしい。


 元父の背中は、汚いコートに覆われていた。まるでホームレスのようだった。


 ……いや、


 アタシは急に怖気が走るのを感じた。


 

 ――こいつもしかしてホームレスから服奪ったんじゃないのか?


 

 そんな予想が胸をよぎる。まさか!? けどこいつならやりそうだ。犯罪者が、自分の服装を特定されている場合、選ぶ手段はひとつだ。そう、服を変える。


「ねぇ、あんたよからぬことしてないでしょーね? ……………………ねぇ!! 答えなよ!!」

「るっせぇな!!」


 アタシは頬をぶたれた。ばちん!! と甲高い音が響き渡る。路地には誰もいない。


 風が虚しく吹いていく。


 アタシは足下をふらつかせて、打たれた頬を抑えながら圭一の顔を見た。


 ――悲愴。悲観。すべての人間の負の感情がそこには表れたいた。


 どうして……そうなってしまったのだろう。わからない。


 ケド目元を緩めて、今にも泣きそうなその男の顔は、何よりも惨めだった。


「黙ってついてこいと言っただろう」


 その声は落ち着いていて、どこか震えていた。アタシは怖くなった。逃げ出したくなった。


「………………ッ!!」


 駆け出した。怖い! 怖い怖い怖い! やっぱり間違いだった! そもそもこんな男に話し合いが通じるなんて、アタシはなんで信じたんだろう! 死ぬ。殺される!

 

 こいつは道連れを探しているのではないか――!! せめて自分の生きた証として、自分の娘を殺す。


 ありえる。アタシは生唾を飲み込んだ。走れ! 走れ走れ走れ! じゃないと殺される! 本当に命があぶない! 


「――――――――ッ! はなして!」

「いいからこいってんだよ!」

「誰か!! 誰か助けて――――――!!」


 あたしは叫んだ。悲痛な叫びだった。その声は虚しく響き渡ってやがて空気に溶けていくかのように消えた。


 な、んで………………?


「ここは人がこねぇんだよ。ザンネンだったな」


 ヤバい。ヤバいヤバいヤバい! どうしよう! マジで甘かった。アタシはこれからなにされんの!? 足が震えて手が震えた。まるで激しい痙攣を起こしたかのように震えた。


 こいつは今からなにをしようとしてるのか? 考えただけでもぞっとした。


 助けて。本当に助けて。


「いいから歩けってんだ! このばか娘!」


 ばじっ! と顔を殴られた。鼻っ柱に強烈な痛みが走った。


 思い出す。こいつが酒瓶を振り回して暴れ回っていた頃のことだ。幼いアタシは為すすべもなく――!


 いやだ! いやだいやだいやだ――! 思い出したくもない記憶が蘇ってくる。殴られる。蹴られる。畳中に広がった血。為すすべもなく襲われる。痛い、痛い痛い痛い。死にたい。逃げられない――! ケドアタシは動けない。なんで? 女だから!? 子どもだから!? 


「――――――――はぁ、……………………………………はぁっ………………………………」


 胸が急に苦しくなる。痛い。胸郭が痛むほどに肺が膨らむ。痛い痛い痛い。なに、これ――!? 昔の記憶が蘇ったから? 


 目がかすむ。視界がだんだん赤くなってくる。眩暈、頭痛……すべてが一緒くたになって襲ってくる。


 見れば圭一はアタシの髪の毛を掴んでいた。意識が遠のく。


 引きずられるようにしてアタシは圭一に連れて行かれる。どこに行くの? 聞く気力もなくなっていた。心拍数が急激に上がる。アタシはこのまま倒れるんじゃないか? そうも思った。


「ほらっ!」


 アタシは地べたに投げ捨てられた。


 どこだろうここ? 落ち着かない頭を無理矢理に稼動させて周りを見た。川……? あぁそっか、河川敷か。


 昨日の大雨で増水したせいか、川の流れはいつもより数倍早かった。落ちたら流されるだろう。海まで運ばれたらきっと命はない。


 怖い。また胸がカッと熱くなる。アタシはここでなにをされるのか?


 ケドからだが動かない。なん……でよっ!! 恐怖でトラウマが蘇ってきているからか?


 圭一がにやりと笑った。虫歯だらけの歯。いつの日かこいつは言っていた。配信者は歯が命なのだ、とかなんとか。くだらないプライドだった。そんな配信誰が見るのか、と母もアタシもずっと思ってた。


 こいつが満たされるのはアタシを投げ飛ばすときだけだ。なんで、アタシはこんな奴と話し合いができると思っていたのか。バカじゃん! アタシは本当に自分の幼さ、未熟さを嘆きたくなる。


 ケドここまで来てしまった。


 おわりだ。


 連れ込まれた時点で負けだったのだ。


 アタシは女で、こいつは男。生まれたときから差が決まっている。男女平等を謳う社会は、けれど法の下の平等しか謳ってない。


 そしてこいつはすでに法の下から出ていた。


「――――――ぇ」


 河川敷には倒れたホームレスたちで一杯だった。もともと病気持ちだったのだろうが、呻いたり苦しんだりしている。中にはアタシの姿を見て怯えている者もいる。


 違う。


 圭一に怯えているのだ。今から襲われそうになっているアタシを見て、怯えているんだ。この世の果てでなにが行われようとしているのかに、心の底から恐怖している。


 アタシのこめかみに圭一の靴が刺さってきた。痛い!

 

 容赦がなかった。


 アタシの中のトラウマがさらに蘇ってくる。圭一はこうやって暴力を加えてきた。


 そのときの彼の顔はどこか楽しそうで、どこか寂しそうだった。自分には能力がないことを知っていて、けれどアタシを痛めつける能力だけはあった。


 それだけが生きがいだった。


 なるほど……最後の晩餐に、あたしってこと……? はは、なにそれ、笑えないんですけど。 ぼろぼろと涙が出てきた。悔しい。鼻から透明な液体がこぼれてくる。台無しじゃん。アタシの可愛い顔。


 ケドそんなことはもう、言ってられなかった。


 アタシは圭一の顔を睨み上げた。あの顔だ。恐怖に彩られながらも、自分は悪いことをしているという愉悦に浸った顔。


 なんども見てきた。


 目が歪み、死んだように生きてきたことを物語ってきた。口元は緩みきっていて、今にも泣きそうだった。ケドアタシが欲しい。欲しくてたまらない――



 こんなの……ないよ………………



 けっきょくアタシは最期の最期までこいつのエサでしかなかった。家畜でしかなかった。こいつに虐げられる運命は覆せなかった。


 トラウマって言うのは、刻印だ。刻まれたらもう一生治ることのない傷跡。アタシはそんな十字架を背負って生きていかないといけない。


 けど………………本望じゃん?


 アタシは誰かのために犠牲になれた。明日斗とか、翔太とかの代わりに傷付けられるなら、自分のために傷ついていたあの頃とは違う。


 人間の価値ってのはしょせんちっぽけなモノなんだと思う。


 だからアタシはこいつ以下ってわけ。


 アタシはにやりと笑った見せた。涙が止まらなかった。それでも、アタシはこいつとは違うところを見せてやりたかった。


 アタシは踏みつけられてうまくしゃべれない口を、動かした。声は出なかった。




 かわいそーだね




 瞬間圭一は馬乗りになってあたしに襲いかかってきた。


 殴られる。殴りに殴られる。心がどんどん死んでいく。


 アタシってぼろ雑巾みたい。アタシの価値ってなに?


 死んだ方がマシ。友達づきあいとか考えてるアタシって? けっきょくここに戻ってくる。


 ばかみたい。カメラの前で笑顔取り繕ってるアタシ。学校ではしゃぎ回って明日斗とか大地とかネネに苦笑されてるアタシ。


 全部、偽物だったんじゃん……!


「あんたの用件って、これ?」

「ムショにはいる前にな」


 アタシははっ、と笑った。


「…………………………………………………………………………じぶんのむすめだよ?」

「それがどうした?」


 絶句した。返す言葉もなかった。予想がついていたこととは言え、まさかこんなにもあっさりと肯定されるなんて思ってもみなかった。


 こいつにとって、アタシってそれほどのモノでしかなかったんだ。


 腐っても父親。あたしはそうは思わない。こいつはもう腐っていて、アタシはもうこいつのことを父親だと認めたくない。


「おーおー、可愛い顔してんじゃねぇか。てめぇのことずっとガキだと思ってきたが、いい女になってきたんじゃねーか?」

「……っ!」


 アタシは声を漏らしてしまう。首筋に圭一の舌がはってきたからだ。気色悪い。


 そのままはってきた舌は、やがてアタシのアゴをなめ、頬をなめた。いたぶるように今度は耳の穴にまで入ってくる。


 涙が一筋こぼれた。アタシは一体これからなにをされるのか、よぉくわかったからだ。抵抗できない。


 心が虚しくてしょうがない! アタシは、アタシの価値なんてそんなモノだ。所詮は父親の玩具でしかなかった……! もう壊れるところまで壊れてしまえばいいと思った。


 しにたい


 素直にそう思ってしまう。


 アタシはもがいた。圭一の手から逃れるために。


 だめだ――! びくともしない。圭一の拳が私の手首に入り込む。痛い! アタシは悲鳴を上げることすら許されず、手の動きを封じられてしまった。骨、折れたかもしんない。


「いやだ…………………………っ! やめっ………………!」


 涙が滝のように流れてきた。


 どうして?


 アタシは自問自答する。


 どうしてこんなことになっちゃったの?


 ただ普通に学校生活を送りたかっただけなのに!! 一生懸命生きて、ふつうに家庭を持って幸せになりたい! そう思うことがダメなのだろうか?


 あたしは………………こんな親に育てられてしまったアタシは、もう親になんてなれない気がした。


 きっとどこかで父親のことを思い出して、あぁ、アタシって本当に親をやれてるのかなとか、思っちゃうのかな……。


 悔しい……ッ!! 悔しくて悲しくて辛くて、一人だ。


 アタシは一人じゃ、生きていけない。バカみたい。強がって! あんなに強がって得られたモノがなに一つないなんて!


 なんのために生きるの? アタシはみんなと一緒に、学校生活を送って、楽しい青春を過ごせればそれでよかったのだ。


 拳がアタシの顔面に叩き込まれる。


 ようしゃなかった……


 アタシなんて娘じゃないんだ。


 ぶちいいいいいっ! と凄まじい音が響いた。アタシの着ているシャツがナイフで切り裂かれた音だ。


 ブラジャーがあらわになる。


 今日――あたしの心は死ぬんだろうな。


 楽しかった思い出も、けっきょく汚されたという思い出に侵蝕される――


 いやだ。


 そう思うのに体が動かない。


「おとなしくしろってんだ!」


 圭一の手がアタシの腹を撫でた、全身を鳥肌が包んだ。叫び出したいのに、片方の手でアタシの口はふさがれている。


 アタシはなんて無様なんだろう。きっとこんな姿を見られたらみんなに笑われるだろう。汚された娘として、みんな友達じゃなくなってしまう。


 けれど。


 アタシは一人で立ち上がりたいと思った。そんなのは夢だと知った。


 わかってる。


 アタシの願い。たったひとつの願い。アタシは好きな人に思いを伝えたかった。義理の兄になって、本当はドキドキしてたくせに、そんなこと素直に言えなくて。


 ツンデレもいいとこじゃんか……


 もっと素直に生きられればよかった。いやこれからは素直に生きる。みんなに優しくして、本当の自分はこうなんだって周りに認めてもらう。


 神さま、嘘はつきません。


 だからどうか――



 どうかあたしを……



「たす……………………………………けて………………………………!!」




 すぱぁん――ッッッ!!




 アタシの視界をなにかが横切った。黒い影が通り抜けて、それが明日斗の足だと気づくまでに数秒を要した。


 な、んんで……!?


 アタシは驚きに目を見開いた。なんで明日斗がここにいるんだろう? 


 病院で眠っていたはずではないのか?


 しかし明日斗はアタシのそんな疑問は他所にゆっくりと圭一の方に近付いていく。


 圭一は五メートルほど吹き飛ばされて口元を押さえながらゆっくりと立ち上がった。完全に不意を突かれたことに苛ついているのか、彼はギラリと明日斗のことを睨みつけた。


 右手にはナイフが握られている。あたしはとっさに叫んでいた。


「だめ! 明日斗近付いたら死んじゃうよ!」


 しかし明日斗はアタシの声が聞こえているのかいないのか、まったくお構いなしに圭一の方に近付いていく。その足取りは重々しく、その目には強い光が宿っていた。


 おこってるの……?


 アタシはじわっと胸が熱くなるのを感じた。心に空いた穴が埋まっていくような感覚だった。


 アタシのことを思ってくれる人がいる。アタシのことを助けてくれる人がいる。


 なんて素晴らしいことなのか。


 アタシの視界は涙でにじんでいく。


「明日斗ダメだって! そいつ刃物持ってんだよ!? 近付いたら殺されちゃうよ!?」


 あたしは叫ぶ。声を限りに叫ぶ。聞こえてないの……?


 明日斗の口が開いた。



「てめぇおれの妹に手ぇだしてんじゃねぇよッ!! 泣かせてんじゃねぇよッ!!」



 空間を震わせるような声だった。


 アタシにはその言葉がによりも響いた。おれの妹、それはつまりアタシのことだ。


 アタシは明日斗のことを兄として認めないと言った。それはアタシが明日斗への恋心を隠すためでもあった。関係性を変えたくないから、同じ屋根の下で暮らしていてもアタシは明日斗のことを一度もお兄ちゃんと呼ばなかった。


 ただ明日斗とだけ呼んだ。


 だから明日斗もアタシのことを『ハル』としか呼ばなかった。お互いのいつもの呼び名である。


 そしていま明日斗はアタシのことを『妹』とはっきり口にした。


「…………………………ぁ、………………………………あっ……」


 あたしの口から嗚咽が漏れていく。あれ……? なんであたしはこんなに泣いているんだろう? 妹と呼ばれたからそんなに嬉しくなったのか? 助けてくれたから嬉しくなったのか?


 違う。


 明日斗はアタシのことを家族と認めてくれたからだ。


 そのことが溜まらなく嬉しかったのだ。明日斗はアタシのことを家族と認めた。じゃあアタシは? アタシは明日斗のことを家族と認めているのか?


 罪悪感で一杯だった。明日斗は自分のために生きてない。常に周りを見て行動している。そこが彼のいいところでもあり悪いところでもある。もうちょっとわがままになって欲しい。


 周りのこと……つまりアタシも含まれている。アタシのことを常に気に掛けて、アタシが体調を崩してないかとかお腹を空かせてないかとか気にしてくれる。


 あたし……いっつもそんなあすとに甘えてたじゃん……。


 妹という自覚はない。ケド間違いなく、同じ屋根の下で暮らしていて友達以上の関係性には自然となっていたと思う。


 圭一はナイフをくるりと回して、不敵に笑った。その表情には恐怖が浮かんでいた。頬は真っ赤に染まっている。明日斗が後ろ回し蹴りをぶつけたからだ。よく脳しんとうを起こさずに立っていられるものだと思う。


 明日斗はポンポンと跳ねながらリズムを取るなどと言うことはせず、ただ深く腰を落とした。


 あからさまに素人じゃない。


 そういややこいついっつも自慢げに口にしていた。武道だけには自信があると。


 前に路地で圭一と対峙したときも、圭一がもし刃物を持っていなかったら余裕で勝てるくらいの動きは見せていた。


「おとうさん知ってますかね。いやあなたはハルの父親なんかじゃない。本当の父親なら娘を痛めつけるような真似はしない。それが愛だなんて勘違いしない。大馬鹿者のあんたはただの犯罪者にしかなれないんですよ」


 明日斗が容赦なく言ってのける。アタシじゃ絶対に言えないことだった。怖くてそんなことは言えない。どんな目に遭うか、わかんないから。


「ふん、父親かどうかはお前が決めることじゃないだろう」


「あんたバカなんですかー? もうハルのお母さんと離婚してしまってますよねぇ! それなのによくもまぁハルの父親を名乗れるもんだ。それに僕の見間違いですかね。なんではるはあんなに肌の露出が増えてるんでしょうかねぇ――ッッッ!」


 明日斗は本気で怒っていた。今まであんな明日斗は見たことがない。教室でもいつもおどけた顔をしているあいつが、家では真面目にカフェの手伝いをしているあいつが、あんな顔をするなんて思うわけないじゃん――ッ!


 だから。


 だから明日斗があんな顔をしてくれることにアタシは胸が熱くなったんだ。アタシのために怒ってくれる人がいて、アタシのことを家族と認めてくれる人がいる。


 幸せだ、アタシ。


 アタシはゆっくりと立ち上がった。殴られて体の節々が痛む。アザだらけだろうな……明日。また体の傷を隠しながら生活する日々が始まるのかと思うと憂鬱だが、今はそんなこと言ってられない。


「なぁ、そうだよなぁハル? どうせお前のことだ。新しい父親とうまくいってねぇんだろ? 本当は人見知りで、誰かと仲良くなるのが苦手なお前が、まさか新しい父親なんかとうまくいくわけねーよな?」


 …………………………


 アタシはうまく言葉を返せなかった。それは……………………。まさしく図星をつかれた。


 アタシは新しい父親とうまくやれてない。そんなことアタシが一番に知っている。


 だがアタシの代わりに明日斗が口を開いた。


「だからどうした? 実の娘とうまくやれなかったお前が、今さらなに言ってんだ?」


「あぁ? てめぇになにがわかるってんだ? いいか? 親子の縁って言うのはどうあがいたって切れねーのさ。親に特殊な愛され方をした奴は、特殊な愛し方しかできない」


 ぶるっ! 


 体が震えた。


「……………………な、んで………………?」


 からだが震えるのだろう。


 そうだ。怯えてるんだ。アタシってば単純じゃん。そんな挑発に乗るなって思うかもしんないけど、あたしは……あたしには


 ………………本当になにかを大切にするってことが出来るんだろうか?


 ダメだ。ダメだダメだダメだ。今まで考えないようにしてきたことじゃんッ! それなのに頭は勝手に加速していく! 思考がヒートアップして抑えられない! 


 アタシは誰かを、ちゃんと愛せるの?


 愛し方って……? 誰かをきちんと認めることができるの? 本当に?


 学校でだって上っ面な関係性しか気づけなかったアタシが? できる……わけない。偽物ばかり手にしてきたけど、その偽物がアタシにとっては何よりも美しかった。


 だからアタシは自分も偽って生きていく。それがきれいな生き方だと思うから。


 欲しい物は、手に入らない。欲しいと思えば思うほど指のすき間から零れ落ちていく。


 圭一がにやりと笑った。その笑みが、アタシには痛かった。アタシはこいつに勝てない。なにもかも。親だから。アタシがどうしようもなく子どもだから。


 いくらこいつのことを見下そうが、アタシがこいつから受けた傷は消えない。トラウマになっている。だからこいつの言っていることは、たとえ真実でなくてもアタシは真に受けてしまう。弱い心がどんどん弱っていく。


 ついに核心を突かれた、と思った。


「お前、そんな性格じゃねぇモンなぁ。偽物の自分を創り上げて他人とうまくやっている。そうだろ? 女ってのはいつもそうだ。自分の弱さをどこかに隠してかねーと生きてけねー。ザンネンだよ」


 はは、と乾いた笑いを圭一は響かせた。なんでこいつは人間の心を細部まで見通すことができるのに、こんな人間になってしまったんだろう。もっと真っ当な生き方ができたんじゃないのか。


 違うな。人の心の細かいところまで見えてしまうからこそ、こいつは人を信用できなくなったんだ。


 弱い。どこまでも弱い人なんだこの圭一という男は。いざ抱こうと思ったら、選択肢に自分の嫁か娘しか入らないような男なのだ。


 だけど、圭一の言っていることは、アタシの胸に深く深く突き刺さってくるのだ。

 …………やっぱ、むりじゃん……………………!


「……………………ぁあっ…………!」


 ほらまた涙が出てきた。本心って言うのはどうやっても繕うことができない。演技、うまいと思ってたのになぁ……ッ!

 

 今まで積み上げてきたモノがあったはずなのになぁ……ッ! どうしてこうなってしまったんだ? 考えれば考えるほどドツボにはまっていく。


「はる、聞こえるか?」


 アタシは涙を隠すことなく明日斗の方を見た。なんでかわからない。無視したってよかった。諦めたってよかった。ケド明日斗の声って、すっごく安心すんだよね。


 聞いてて心から安心する。


 だから顔を上げた。


 そしたら明日斗の、おれを頼ってくれとばかりの笑顔が浮かんでいた。


 

「らしくねーぞ」

 


 たったそれだけだった。


「………………………………ぁ」


 アタシは泣き崩れた。心臓の鼓動が止まるかと思った。


 アタシはこの瞬間、もう完全に明日斗のことが好きになっていた。今までの好きとは違う。兄としても、アタシの好きな人としても認めた瞬間だった。


「圭一、だったか。てめぇには二つ言いたいことがある」


 圭一はナイフを握る手に力を込めた。明日斗は軽く彼に近付いて、言った。


「まず一つ。ハルを傷付けたことは絶対に許さない。なぜならこのおれ、島崎明日斗は国枝ハルを世界で一番愛しているからだ」


 ちょっ――――――――――! なに言ってんのあんた!? あたしは思わずむせてしまった。よくもそんなタイミングで恥ずかしいセリフが出てくるモノだと思う。


 圭一は案の定鼻で笑った。


「はん……クサいドラマじゃねぇんだ。お前はおれを笑わせる作戦に出たのか? だとしたらあいにくおれにはそういったセンスがねーんでな。ちっとも笑えねーぜ」


「べつに、笑われるために言ったわけじゃねーからな」


 明日斗は真顔で言う。だ、だからなんで真顔なの? ちょっとは恥ずかしがるとかしたらどうなんだろうか。


 けど、アタシは嬉しかった。その言葉に顔を真っ赤にするくらいには嬉しかった。


「そしてもう一つだ。お前はハルが得てきたモノは全部偽物だって言ったな」


 ざっ!! 凄まじい音を響かせて明日斗は圭一の元へと駆けよった。一瞬だった。あれが武道をやっている人間だと知らなければ、ほとんど人間業だと信じて貰えないような速度だった。


 明日斗は圭一の懐に入ると、ナイフを持つ手を掴み上げた。取っ組み合いが始まる。だが明日斗の方が一枚上手だ。すぐさま観念したように圭一が動かなくなる。


「てめぇになにがわかるってんだ!! 勝手なこと言ってんじゃねぇこの三下が! お前は知ってるのか? ハルが学校で築き上げたモノを! あいつがどれだけ苦労して友達を手にしてるのか、わかってんのか!」


 だいたいだな! と明日斗は付け足した。


「おれたちのグループ、つまりおれたちの友達づきあいには、本物しか存在しない! 偽物なんてねぇんだよ! なんでわかるかしってっか? おれがそのグループのリーダーだからだ。そしておれはハルからも、そしてみんなからも信頼されてるし、おれはあいつらのことを誰よりも尊敬してるし信頼もしてる! てめぇみたいなやつにはわかんねーだろ!」


 言い切った。明日斗はさらに強く踏み込んだ。


「――――――ぐっ!」


「あーあーザンネンだったなカス。お前はしらねーんだろ。学校でもどうせ友達いなかったんだろ。お前が知らねー世界をおれたちは知ってる。本物を見てきた。なんでてめぇが人間関係の真贋を判断できねーのか教えてやろうか!? てめぇが偽物しか見たことねーからだ。強がって生きてきたんだろ? 強がって強がって、けっきょく誰にも認められねーとか思って生きてきたんだろ? 周りの目はそうでもねーのに、『おれがうまくいかねーのはあいつらのせいだ』とか思って生きてきたんだろ?」


 圭一の目がはっきりと揺らいだ瞬間だった。図星だ。明日斗は今彼の図星をついている。


 あぁ。ふだんの明日斗はここまで見ているのだ。人間の細かいところを見ている。見ていて、黙っている。それは人間関係を壊したくないからだ。


 けど、明日斗は今完全に圭一の人間性を暴き出した。それはアタシが傷付けられたことに対する報復だ。言葉による復讐だった。


 あたしが言えなかったこと――それを今、明日斗は口にしている。


 うれしかった


 あすと、ありがとう


 圭一の目元が曇った。


 彼は今なにを思っているのだろう? なにを考えているのだろう? 


「…………………………るせぇよ」


「あん?」


「はん。てめぇが偉そうな口叩きたがるのはよぉーくわかった。だが坊ちゃんよ。おれからすれば甘ちゃんだぜ」


「なにいって――」



 明日斗の体が一瞬宙に浮いた。



 アタシの位置からはよく見えなかった。ケド、圭一が今なにをしているかくらいわかった。


「あす…………………………と……………………!?」


「あははは! ざまぁねぇなぁ! 油断しただろ!」


「――ぐ、がっ!」


「明日斗!」


 あたしは叫んだ。明日斗が宙に浮いた理由、それは――


 圭一が明日斗の腹をコートの裏に隠してたであろうもう一本のナイフで刺したからだ。ぐりぐりと押しつけられるたびに明日斗の胸から血が零れ落ちていく。


 う……そ……………………!? 明日斗が刺された……!? 


 圭一の顔が醜悪な笑みに彩られていく。アタシはもうこいつのことを絶対許さないだろうと思った。


 人間どこまで落ちれば気が済むんだよ――ッッ!!


 アタシは明日斗のもとに近寄った。走る。体が重かったけど、明日斗のためになりたかった! なにをすればいいのかわからないけど、せめて明日斗の近くにいたかった……!


「……………………く、るなはる……」


「なんでぇ――ッ! なんでよっ!」


「あっっははは! お前に大事なことを教えてやるよ! てめぇが今相手取ってんのは生粋の犯罪者なんだぜ! そうだな、おれはもうすでにコンビニ強盗をやらかしてる。これはバッチリカメラに撮られているから、サツもおれを追いかけてんだろうな――!」


 それがどうした、といってやりたかった。


 圭一は楽しそうに続けた。


「お前らは飛んだ甘ちゃんだよなぁ――! 世の中にいい奴しかいないとか思ってるバカだろ! あははは! おもしれぇ! 最高だぜぇ――ッ! そんなわけねーだろバーカ!」


 落ちた。


 完全に落ちたと思った。


 アタシはこいつはもう、元には戻れないんだなと思った。ただそれだけだ。


「死ねよガキ。てめぇはちょっと喋りすぎだ」


「――――――がばっ!」


 明日斗が口から血を吐いた。マジで! マジでマジでマジで! 死んじゃうよあんた……! なんで逃げようとしないわけ? なんでアタシを止めるわけ!?


「あーあ。大人ってモンをなめすぎなんだよ。お前あれだろ。大人になれば人生自由に生きられるとか思ってるクチだろ? ザンネンだな。だいたいはもう社会でうまくやってけるかなんて、中学生くらいん時にわかっちまうんだよ。アァこいつはうまくやれるだろうけど、こいつはもう人生ダメだろうなって。おれは教室の隅から見てたよ。もちろんおれもダメな奴だってわかってた。そうだ、お前が言ったように、おれはろくでもねー学校生活しか送れなかったよ」


 ぞわり、アタシは鳥肌が立った。人間……を見てるのだろうか。


 アタシは、こいつの娘…………なのか。


「それでも子どもくらいは残せた。一人の女見つけてセックスして、ガキ一匹作れるくらいの人生にはなれた。どうだ? そこにいる底辺の奴らとは違うだろ?」


 彼は傍らにいるホームレスを指さした。なに……言ってんだこいつ? アタシは不快感で一杯だった。


 気持ち悪い。


 吐きそうだ。


 涙がまた溢れてくる。実の父親、ろくでもない人間だったとしても、ここまでのことは言って欲しくなかった。


「悪いな。人間うまくできてねーもんでな。おれはどうせろくな人生歩めなかったよ。認めてやる。ケドな、おれにだってできることくらいはあるんだぜ? わけー奴の人生潰すってことくらいはな! おれはもう終わった。犯罪者だ。

 五十歩百歩って言葉しってっか? まぁ本当の意味とはちげぇかも知んねぇが、おれの言いたいこと分かってくれるよなぁ?」


 やめ……………………ろ……………………! 本当になにを考えているんだ! あたしの兄を、こいつは殺そうとしてるのか!?


「明日斗逃げてよ! お願いだから!」


 明日斗はしかし、アタシの言葉とは裏腹にそのナイフを掴んだ。


 な、に考えてんのあんた……!? 死ぬんだよ? 


 明日斗がなにを考えてるのかアタシにはまったく理解できない。


 だが明日斗は、あろうことかナイフを掴んだのだ。いや正確に言うのであれば、圭一のナイフの柄を握っている拳ごと。


 まるで包み込むように。なにかを諭すように。


 明日斗はニッと笑った。


「引かねぇよ。バカじゃねぇの? おれがこんなことで死ぬと思ってんのかよ」


 明日斗は今にも息が絶えそうだった。しかしその目は、光を失ってはいない。


 さらに笑みを深めて明日斗は言った。



「――そんな傷でおれの心臓は止まらねぇぞ?」



 明日斗の目は揺らがなかった。しかし圭一の目は、あからさまに揺れ動いた。恐怖の感情だろう。


 明日斗はナイフで刺されているというのに、不敵な笑みを崩さない。なんて……精神力なのだろう。


 それくらいに明日斗の意志は強い。


「な、なんだよ……! おいっ! うご、かねぇ――――――――ッ! なんだこれ! お前! クソ離せ! 離せっつってんだよ!」


 明日斗はさらに笑う。笑う笑う笑う。圭一の顔が引き攣っていく。


 明日斗はその体勢からまたさらに一歩踏み込んだ。


 なにを……するつもりなの?


 アタシの疑問は一瞬ののちに解消された。明日斗は踏み込んで、拳を圭一の顔面に叩き込んだ。


 いったいッ!


 あたしは思わず目を背けたくなった。明日斗の胸がナイフでガリッとその拍子に抉れたからだ。


 倒れ込んだ圭一は恐怖に支配された目で明日斗を見上げた。まるで怪獣に殺されかける一秒前の哀れな市民のように。


 明日斗は圭一の上に乗ると、拳を容赦なく振り上げた。


「や、やめ――ッ!」


 どごっと音がした。


 殴った。


「いてぇか――!? いてぇよな――――――――――ァ!! そりゃそうだろう。だがな、てめぇよりも遥かにいてぇ思いしてる奴がいんだよッッ!! てめぇの娘だよ。おれの妹だよッ! てめぇが傷付けた紋は、そんな軽いもんじゃない。おれはそれを絶対に許すつもりはない」


 声が、でなかった。アタシは明日斗の言葉に、胸を撃たれていた。


 圭一は抵抗できずに殴られる。


 その拳にはいったいどんな思いが込められているのだろう。


 けど、一つだけわかることがある。


 アタシのために彼は拳を振っていると言うことだ。


「逃げてばっかの人生だったろ。はっ!! 笑っちまうぜ! てめぇの人生ザコ以下だよ。魚の方がまだマシな人生送ってるよ! ざまぁねぇな? あ?」


「――わ、わかったッ!!」


 圭一は泣き叫んでいた。あまりにも惨めで見ていられない。


 やがて明日斗は拳を振るう手を止めた。うっ、と痛む胸を押さえた。


 出血量が尋常じゃない。


「あすとっ!」


 アタシは明日斗の名前を呼んだ。


 だが明日斗は胸を押さえることすらせずに、ただじっと圭一を見下ろしていた。


 顔面がぼこぼこに腫れた圭一の姿があった。


「もがいてもがいて、本物を得ようとしてる奴あざ笑ってんじゃねぇよ」


 止まらない。明日斗の声が、思いは、アタシに痛いほど届いていた。


 ありがとう


 あたしの心は熱を帯びていた。


 忘れていたわけじゃない。ケド改めて認識せざるを得なかった。


 明日斗は、彼はあたしのお兄ちゃんなのだ。


 あたしの愛すべき人。


 アタシは決めた、この瞬間から彼について行くと。


 圭一は涙をぼろぼろ流しながら明日斗を見上げていた。


 明日斗は乾いた唇を何とか開いて言った。


「てめぇがこれからどういう人生歩むのかはしらねぇ。だがなっ!!」


 明日斗は思い切り息を吸い込んだ。それから圭一の胸ぐらを掴み上げた。ビリッと音が響いたが、明日斗は構わずに言った。


「……今度おれの妹に――いや、おれが惚れた女にてぇだしたらゆるさねぇぞ?」


 アタシは口をパクパクさせていた。


 あまりにも不意打ちだった。


 だけどアタシの思考はそこで止まった。


「明日斗……? 明日斗………………ッ!!」


 ぐらっと明日斗の体が傾いた。どうやら力がもう入らなくなってしまったらしい。


 むりもなかった。なぜなら辺り一帯血だらけだからだ。


 そんな状況でよくもそこまでのセリフが言えたもんだよ、あんた


 あとで散々に叱ってやるから! だから覚悟してろよ!


 アタシは駆け出した。好機と捉えた圭一がナイフを掴もうとする――そのわずか直前にアタシはナイフを蹴り飛ばした。


 そのときだ。


「おいいたぞ!」


「あそこだ! ちっくしょう病院から逃げ出しやがって!」


「お、おい! 倒れてんぞ! 急げ! 急げ急げ急げ! なんであんな出血してんだよ!? え? あれ? 誰かもう一人倒れてる? わけがわからん!」


「おいこっちだ! タンカ持ってこいタンカ!」


 どうやら病院の職員らしき人たちが大勢やって来た。


 明日斗がいなくなったことを心配して駆けつけてくれた……のかな?


 ぞろぞろと彼らがやって来て、あたしたちの状況を不思議そうに見てきた。


 圭一はあたしの顔を見上げてきた。パンパンに腫れた顔。アタシはひっ、とあざ笑ってやった。


「……無様じゃん? ねぇ、まだ続ける?」


 アタシは悲しみで胸が満たされていた。どうして父親にこんなこと言わなくてはならないのだろう。


 ゆっくりと目を伏せる。あたしは重っ苦しい思いを断ち切るように言った。


「さよなら」




 そのあとのことをちょっとだけ付け足して書いておく。


 まぁ、アタシのケガは大したことなかったよ。問題は明日斗だった。あいつやべーくらいに重傷だったらしい。


 手術は七時間ほどぶっ続けで行われて、なんとか一命を取り留めた。


 もう……心配掛けんな。


 アタシは安堵した。最終的にはお母さんと、新しい父親――公太さんとも抱きしめ合っていた。


 こうやって家族の絆って作られてくのかな?


 ケドアタシは今日のできごとで、家族との距離がぐんと縮まったような気がした。


 もちろん明日斗とも。


 ラノベでありがちな病院で目覚めたらヒロインが座ってました、って言う展開あとでやってやろ。


 …………………………ってちょっと待って! それじゃあアタシヒロインってことぉ!? だめッ! ダメダメダメッ! そ、それは心の準備が~~~~~~ッ!!


 なんてね。


 ……ま、まぁしょうがない。やってやろうじゃん。


 って言うか明日斗ってまだアタシのこと好きなんかな……? い、いや、惚れた女って言ってた。じゃあ今でも好きなんじゃね!? 


 は、はあああああああ~~~~~~~ッ!! 目覚めたらあいつの顔見れる自信ないかも! ヤバい! 


 アタシ完全に恋に落ちたヒロインじゃん……。 


 え、え? ケドちょっと待ってよ? アタシはよくよく考えれば明日斗の妹なわけじゃん? ってことは、べつに目覚めたとき傍にいても不思議じゃなくない? 


 そ、そらきた。妹が兄貴の心配すんのあたりめーじゃん。や、やってやろーじゃん。


 よしっ!



 そして数日後を迎えた。

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