第2話
窓の外が白む。
一晩中ソファの上でベストポジションを探しているだけの不毛な時間がそろそろ終わることに安堵する。
脳幹から響く鐘の様な頭痛のせいで満足に寝られないのだ。
「最近眠れていないようだが」
「ああ、薬が買えなくて」
「どこか悪いのかい?大事にしなくてはいけないよ。まずエンゲル係数を見直して薬を優先させるべきだ」
「エンゲル係数って、主に君のピザのせいなんだけどね……
「別にいいさ。それより
「ここらじゃ珍しいもんじゃないよ。頭痛。関東エリアの風土病だよ」
「風土病?」
「うん。関東エリアの成人の95%が発症する原因不明の頭痛。たまに他のエリアでも発症するから厳密には風土病とは言えないけど」
「成人のみが発症するのかい?君は?」
「この前小学三年生の女の子が発症したってニュースになってたな。でも成人の病気。少なくとも普通高校生からしかかからない病気だよ」
「大人だけがかかる病気」
「このピザ、上手く切れてないね。包丁とってくるよ」
「もう手遅れだが、あまり包丁に触らない方がいい」
「え?」
「恐らくその少女は小さい頃から家事をやっていたのだろう。そして君は一人暮らしだ。君、大人は日常的に扱うが子供は触ることを許されない物といったら、何を思い浮かべる?」
大人なら当たり前に使う物。子供は触れない、触ったら危ない物。
「包丁」
「関東エリアのキッチン用品メーカーはhorseが95%のシェアを持っている。練馬家の企業だ。奴らは包丁の取っ手にでもウイルスを塗布し頭痛を起こさせ、自身が独占している
「……凄いね。警察も原因がわかってないのに、僕の話を聞いただけで感染源を当てるなんて」
「警察は気づいているだろう。圧力だな──なにせ私の中にはシャーロック・ホームズが『混じって』いるからね。君はどうやらボクを穀潰しの鼻持ちならない貴族だと思っている節があるがこの程度で驚いて貰っては困る。よし、君の飲んでいる痛み止めを貸したまえ」
ぼくは残っていた痛み止めを一錠彼女に手渡した。
「レキセット。クオリア遮断系か、フン、こんなもの」
そういって夕姫は紙に何かを書き始めた。
「これ、ドラッグストアに行ってこれに書かれた物を買って来い」
紙には咳止め、目薬、漢方、アレルギー薬、洗剤漂白剤エトセトラの銘柄が並んでいた。
規則性は全く見いだせない。
言われた通りに品物を持ってくると夕姫はセーブリングから実験器具を取り出し、薬を溶かしたり混ぜたりし始めた。
フラスコやビーカーの中の液体をレンジでチンしたりミキサーにかけたり、鍋で茹でているところは実験をしているような料理にも、料理をしているような実験にも見える奇妙な光景だった。
最終的に濾過して乾かした粉を小瓶に詰め、メジャースプーンですくってぼくの口に運ぶ。
「君、あーんだ」
「ユウキ、流石に無理だよ」
「無理というから無理なのだ」
夕姫はぼくの鼻をつまむ。耐えきれず口を開けるとスプーンをねじこまれた。
飲み込んだ瞬間、脳の最深部から響く痛みがすぅっと消えていく。
「これ、
「即効性のある改良型だ。さっきついでに包丁も調べたんだがあちらは
なんだ、この少女は。
シャーロック・ホームズは500年後の技術をランチでも作るかのように再現出来るか?
「……ありがとう。これでピザを食べられる日が増えるね」
ぼくは努めて冷静に礼を言った。
「おどろいたかい?」
「おどろいたおどろいた」
「尊敬したかい?」
「尊敬した尊敬した」
「穀潰しの鼻持ちならない貴族ではなかったろう」
「最初からそんなこと思ってないよ」
いじめと頭痛。この少女は僕が壊せなかった物を軽々と壊していく。そんな少女が壊せない檻とはなんだろう。それはいかなる悪意か。どんな人間の腐った欲望か。
──それは、ぼくが壊せるものだろうか。
もう行くね、と僕は立ち上がる。時刻は昼過ぎ。学校は昼休みが終わった頃だろう。遅刻を通り越した遅刻である。
「ボクも学校行こうかなあ」
「つまらないよ」
「授業には興味無いが、同年代の少年少女が一つに集められた環境には興味がある」
「来るなよ?絶対来るなよ」
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