閉じたセカイで獣は吠える

透瞳佑月

第1話

妊娠線や腐敗し膨らんだクジラの死体をイメージしてほしい。

これに穴を開けたいという、生理レベルの感情。

壊すことは快楽である。それがどんな結果を呼ぼうとも。膨らんだ肉がはちきれる前の生傷を例にだすなら、一本の生傷は女性器のようであると。それを抉りたくなる本能的欲求。

胸の奥の、さらに奥で感じる熱。

お約束に従い、ヘッセを引用するならば。

「卵は世界だ。生まれようと欲するものはひとつのセカイを破壊しなければならない」



時折、極彩の空に酷くイライラすることがある。500年前突如日本と外国の間を断ち切ったこのオーロラが嫌いだ。現実と自分の間に薄い膜を感じるぼくがリアリティを持って憎めるのはこのうっとりするほど美しい檻だけだ。

別にフランスやアメリカに憧れを持っている訳ではない。「この国から出られない」ということそのものに僕は言いようのない怒りを覚えていた。

本当はただの八つ当たりなのかもしれない。僕が学校という逃げ場のない社会でいじめられていることや、舶来物アウターオブジェクトの痛み止めを飲まないと頭が割れそうな痛みに襲われるこの風土病のことや、一五歳というあまりにも無力で、なにも変える力の無い自分への苛立ちを、オーロラにぶつけているだけなのかもしれない。

「おーい。おーい。そこの心優しそうな少年。ボクに食べ物を持って来い。ついでに君の家に泊めたまえ」

 空から目を落とし、横を見ると絹のような黒髪と白い肌、薄い身体つきの美しい少女が血塗れで倒れていた。

 華族。一目でわかる。東京湾に浮かぶ「モノ」と「電波」だけ海外とやりとりできる唯一の島、「出島」から輸入される舶来物アウターオブジェクトを独占する特権階級。

 貴族特有の傲岸さが彼女の全身からにじみ出ていた。

 なのに、どうしてだろう。

 この子はまるで迷子の猫だ。

 ずっと家の中で飼われていたけれど、残酷な外の世界に放りだされたあまりに無力で可憐な仔猫。

「華族が食べ物に困るの?」

「初めての返答が嫌味とは、君はなかなか性格がねじ曲がっていると見えるね。見てくれよこの姿を。血塗れだぜ?訳アリだぜ?」

「それ、自分の血?」

「もちろん!ボクは完璧に100%、どこに出しても恥ずかしくない被害者さ」

華族は嫌いだ。けれどぼくは気づいたら彼女を孤児寮の自室に運び、宅配ピザを彼女の為に注文している。

紙の箱を開けると油とチーズの匂いが広がり、少女の目が光り輝いた。

「なんだこの食べ物は!パンにこんなにたっぷりのチーズと肉を乗せて焼くだと……栄養管理のことなどハナから考えていない罪深き食物……しかしその罪にボクは酷く惹かれている!」

「いいから早く食べろよ。ピザは時間が経つほどまずくなるんだぜ」

 そういうと彼女はピザに手を伸ばす。具が零れないように細心の注意を払っているのが、彼女の育ちをうかがわせる。

「怪我は大丈夫なの?」

「ああ、もうふさがった」

舶来物アウターオブジェクトか。五百年で技術が飛躍的に進歩した海外の超科学技術。

「なんで倒れてたの?言いたくないなら別にいいけどさ」

「ボクは一宮家に対する人質なのだよ。小さいときからずっと練馬家の座敷牢に囚われ、つまらない仕事をやらされていた。隙を見て逃げ出したのだが追手に銃撃されてね。それでも必死に走ってようやく奴らを振り切り、へたりこんだのが君と出会ったあの路地だったというわけさ」

 行儀よく食事を飲み込んでから一気に答える。華族同士で利害が対立したとき、身内の者を人質として差し出し牽制しあうという話は聞いたことがある。

「本家に帰るわけにはいかんし、しばらくこの狭い部屋でお世話になることになるね。名乗り忘れていたが私は一宮夕姫という。君は?」

なし崩し的に居座ろうとする彼女に内心溜息をつきながら、ぼくは応える。

「……狗藤真琴」

そう言って、僕は立ち上がり窓のカーテンを閉める。

今日に限って満月より明るく輝くこの空を視界から消す。

殺気だった視線を見てとったのか、

「オーロラが嫌いと見えるね。今日は特に鮮やかに見える」

「ぶっ壊してやりたい」

「ボクもさ。オーロラだけじゃない。この世界は理不尽な檻と鎖にあふれている。血筋のしがらみ。階級社会。ボクはボクを閉じ込めて支配するそのすべてを壊してしまいたい」

「わかるよ。ぼくは華族じゃないから事情は違うけど、ぶっ壊してやりたい物が沢山ある。いつか壊してやる」

「いつかっていつだい?」

ぼくは応えなかった。

それが二人っきりの革命前夜であることを、ぼくはまだ知らない。





「うえーい!自分の鞄で殴られる気分はどうだ」

「なんだそれ」

「ぎゃは」

美少女と同棲をはじめようと、ぼくの日常は変わらない。

橋川にパンツ一丁で羽交い絞めにされ、床にぶちまけた教科書の代わりに水の入ったペットボトルを詰めた鞄で頭を何度も殴られていた。

制服は生ごみのゴミ箱に突っ込まれている。

鼻から血が出て、口の中を切ったあたりで解放された。

 孤児でありながら勉強が出来たから富裕層の集まる進学校に進学したのが間違いだった。浮きに浮きまくり即、いじめのターゲットになっていた。




「ど、どうしたんだねマコト!追手か?ここを嗅ぎ付けられたのか?」

「いや、これは君とは関係ないよ」

「ではどうした」

「……」

「マコト?ボクは気になることがあるととことん追求したくなる性分でね」

夕姫が意地悪そうな顔を浮かべる。

こんな可愛い娘にいじめられていることを告白するのはキツかったが、簡単にことの次第を話した。

「殺せよ。戦え。壊せ」

 ぼくの話を聞くやいなや、夕姫は真顔でそう言った。

「簡単に言うなよ。相手は大勢だぜ?スポーツやってて身体もでかいんだぜ?」

夕姫は不機嫌そうな顔になって黙る。不機嫌なのは橋川たちに怒っているのではなく、不甲斐ないぼくに失望しているからなのがわかり、ぼくはしんでしまいたい気分になった。

 数刻沈黙。

「ようしわかった」

夕姫はひとさし指にはめられた指輪を親指でなぞると、空中に現れたホログラムを操作する。

「練馬家から逃げる時、いくつか使えそうなものを失敬してね」

手の上に小瓶と錠剤を落とした。

確か物質を情報に変換して記録し、その情報をまた物質に変換する鞄代わりの舶来物アウターオブジェクトだ。「セーブリング」とか言ったか。街中で華族が使っていたのを見たことがある。

「この瓶はサイケボム。空気に触れると気化し、吸った物は酷いバッドトリップを起こす幻覚剤兵器だ。こっちの薬はそのアンタゴニスト――サイケボムが効かなくなる薬だ。もうわかるね?君」

ぼくはその武器を受け取った。

「殺せよ。戦え。壊せ。君が頭を踏みつけられて、そいつをぶちのめしたいのなら、ぜひそうすべきだ」



体操着があるはずの場所にそれはなく、「野球部部室」と書かれた手紙だけが入っていた。

殺せよ。戦え。壊せ。

戦闘開始。


「早かったじゃあん真琴きゅん」

「なに、そんなに俺らと遊びたかった?」

体操着は袋から出され炭酸飲料がかけられていた。

「ねえ、お前の体操着にジュース零したんだけど。ベンショーしろやベンショー」

 ぼくはポケットの小瓶を確認する。そしてぼくの弱さを自覚する。いじめとは相手が抵抗できないことで成立する。ぼくは本当に抵抗できなかったか?教室には椅子がある。ここには金属バットがある。どちらもその気になれば一人くらいは頭をかち割れるし、仲間の頭をかち割った人間はもういじめられないだろう。舶来物アウターオブジェクトなんてものを持ち出す必要は本来無い。結局ぼくが恐れていたのは学校という社会だ。十代の学び舎という小さなセカイだ。当然人の頭をかち割れば警察沙汰だが、学校側は穏便にすませようとするだろうし、ぼくがいじめられているのは皆知っているから退学にはならないだろう。しかしぼくは学校というセカイの秩序を破壊することを恐れていた。

殺せよ。戦え。壊せ。

「黙ってんじゃねえよ泣かすぞコラ」

ぼくはポケットの小瓶を床に叩きつけた。

熱した鉄板に油を注いだような蒸発音が響く。

「おい!なんかやったぞこいつ!」

「換気だ換――」

換気でどうこう出来る兵器とは思えないが、三輪が窓に辿りつく前に僕以外の全員がへたりこんだ。全身から汗を噴き出し、痙攣して、橋川は嘔吐した。

「こっちに来るな!頼む、来ないで、おねがいおねがいやめろやめろやめろおおおおおお」

「おれが、おれがこの世界?神、いやだ、そんなに寂しいのはいやだ!だれかだしてよおお」

「落ちる!落ちる!落ちる!落ちる!ああああああ止まらない止まらない止まらないああああああ」

ぼくはその様子を撮影していく。通話を繋げた夕姫は大爆笑だ。

「あっひゃっひゃっひゃっひゃ」

「ユウキも性格悪いよね……」

ぼくは地獄にトリップしている連中が目を覚ましたら見える場所に、「違法薬物使用の証拠 あり」とだけ書いてその場をあとにした。




「いやあ、マコトはやれば出来る男だと信じていたよ。今日はピザパーティだな!」

「ユウキがピザ食べたいだけだろ」

「ピーザ!ピーザ!ピーザ!」

「はいはい」

この世には沢山の理不尽な檻と鎖があって、鎖国状態のこの国でもそれは変わらない。今日、ぼくは一つのセカイを壊したがはっきり言って最高だ。


――こんな楽しいこと、やめられません



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