39 茹ですぎたそうめん

 ゴブリンさんのいなくなった世界で、弟が無事にやっていけるかはわからないが、とにかく水曜日の朝がきた。弟はシリアルをモグモグすると、元気いっぱい学校に向かった。


 とりあえずゴブリンさん漫画にケリをつけねばならない。描きかけのものを仕上げてUPして、最終回に取り掛かることにした。


 ゴブリンさんがもとの世界に帰っていく。それだけだがなかなかいいネームが切れた。ネット小説界隈では「エタる」という言葉があり、続きが書かれず完結しないまま止まっていることを「エタる」というらしい。その状態がよろしくないのは分かる。


 完結させることは経験値を大量にゲットできる。ゴブリンさん漫画も、ゴブリンさんが異世界に帰ったのだから完結させねばならない。


 ネームを切っていると父さんからメッセージが来ていた。


「誕生日プレゼント、なにが欲しい?」

 液タブとか使い心地のいい机とか椅子とか欲しいものはたくさんあるのだが、しかしそれより必要なものがあった。


「わたしはいいから晴人にスマホ持たせてあげて。なるべくカメラの性能がいいやつ」


「斗雨子は欲しいものがないの?」


「いっぱいあるけど、晴人と連絡が取れないと困ることもあるし、毎日性能のいいカメラが欲しいってダダこねられてる」


「わかった。お母さんにも連絡してみて、OKが出たら当日契約に行く」


 よかった。弟がカメラのいいスマホを手に入れれば、ずっと撮りたかったカワセミだって撮れるだろう。外付けの望遠レンズだってあるはずだし。


 そろそろお昼だな。なにか食べようかな……と思っていると二代目から「そうめん茹ですぎたから食べにこないか?」とメッセージをもらったので、ありがたくご相伴にあずかりにいく。


 二代目は写真館スペースの片付けをしていたようで、古い設備を処分したり新しい設備を入れたりしていたようだ。そのあとそうめんをうっかり茹ですぎたらしい。


「写真館、本格的に再開するんですね」


「おう。ちくわちゃんだけじゃなくてオーヤマブラザースのご飯代も稼がなきゃなんないからな」


「里親探し中止したんですか?」


「うむ。うちで面倒見ることにした。俺もちくわちゃんもすっかり情が移っちまって、って獣医さんに言ったら『そうなると思った』って言われたよ」


 見ると相変わらず竹林院はオーヤマブラザースにふみふみこねこねされている。完全に母猫と子猫だ。


「で、だ。斗雨子ちゃん、写真館を再開するにあたって、ショーウィンドウに昔撮った写真をいくつかサンプルで並べるつもりなんだが、晴人くんのお宮参りの写真おいていいか?」


「どんな写真ですか?」

 見せてもらう。両親と小さなわたし、赤ん坊の弟が写っている。二代目によるとお宮参りの写真というのは赤ん坊を祖母が抱くものらしいのだが、我が家には祖父母がいないのでそうならなかったようだ。


「もちろんいいですよ。わたしこのころから根暗の顔してたんですね」


「そうか? あのときは元気な子供に見えたけどな。よし」

 二代目はそうめんを出してくれた。つゆにつけるのでなく上に刻み野菜に味付けしたものが乗っている。山形のだしというやつだ。


 そうめんをずるずるすする。


「おいひーれす」


「だろ? そうめんには山形のだしだよ」

 そんな話をしたあと、弟にスマホを持たせる話もした。子供だからSNSなんかには触れないように、親は保護者ロックをかけるつもりだと思う、と説明する。


「いいんじゃないか? スマホ、最近のはカメラがめちゃめちゃいいからな。修正機能みたいのもあるだろ」


「たぶん弟は写真が撮れたらそれでいいと思うんですよね。誰かに見てもらいたいって思うかもしれないので、そこは気をつけなきゃですけど」


「そんなら俺が見てやるよ。親父殿ほどの才能はないがいちおうカメラの専門学校を出た人間だからな」


 竹林院が「ぎゃんっ」と叫んだ。乳首を噛まれたらしい。なんにも出ないのに。


 おいしくそうめんを頂いたあと、二代目に頭を下げてから自宅に戻る。ゴブリンさん漫画最終回の下描きを始める。


 きょうは下描きまででいいか。公募のほうも進めなくちゃいけないし……と思っていると、ドタバタと弟が帰ってきた。


「姉貴! 友達連れてきたからおやつ出してくれ!」


「あんたもう友達できたの!?」


「おう! 木村美琴っていうんだ!」


「初めまして。お邪魔します」

 大人しそうな女の子が入ってきた、この年代の子供にありがちな、女の子のほうがちょっと背が高い……という感じの、細くてひょろっとした印象の女の子だった。


 肌はあちらこちらにかさぶたがある。どうやらアトピー性皮膚炎らしい。

「あのっ。天川先生。わたしに漫画の描き方を教えてください」


 いきなりの先生呼びに仰天しながら、パルムとアイスコーヒーを出す。弟にもおなじものを出してやった。


「先生なんて上等なものじゃないよ。斗雨子でオッケー」


「わかりました」

 木村美琴ちゃんは緊張した顔をしているが、パルムにかじりついたら表情が緩んだ。


「わたしアマチュアだけど、なんでわたしに教わろうと思ったの?」


「兄が、Xでバズってるよってゴブリンさんの漫画を見せてくれたんです」


 なるほど……読者だ。


 簡単に、基本的なパースの取り方を説明した。美琴ちゃんはニコニコしながら、「一点透視図法」「二点透視図法」を覚えて、さっそく落書き帳に描いていた。筋がいい。


 美琴ちゃんがニコニコして帰ったあと、弟にはスマホはサプライズのほうがいいだろうな、と黙りつつ、弟と夕飯の買い物に行くことにした。


 いつものスーパーではレジに結衣ちゃんがいた。軽く挨拶する。


 結衣ちゃんは商品のバーコードを手早く読み取りながら話しかけてきた。


「高校、隣町の通信制に行くことにしたんだ」


「え、なんで」


「いま行ってる高校、サボってここでバイトしてるとおり嫌なところでさ。だったらやりたいことしながら勉強できたらいいんじゃないかなって」


 そういう手があったのか。じゃあね、と声をかけてスーパーを出た。

 遠くでひぐらしが鳴いている。

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