34 すき焼き

「そりゃあ……近所で子供だけ二人で暮らしてて、寂しい思いをしてるってんなら助けなきゃ大人じゃないだろ。親父殿にもお前さんらの面倒をみてやれって言われてるしな」


 誠実な大人というのは二代目みたいな人を言うんだろうな、と思った。


「前にも言ったかと思うが俺はバツイチってやつでな、子供ができる前に離婚しちまって、そのままオッサンになったから子供を育てたことはないんだ。だからちくわちゃんを拾ってきてかわいいかわいいーって育ててるし、お前らの面倒を見るので子育ての疑似体験をしている」


 だから楽しいよ、と二代目は笑顔になった。


「で、夕飯どうする? ゴブリンさんも食ってくだろ?」


「そうでさぁね。しかしあっしはこっちの食べ物をよく知らなくて」


「そうか。じゃあガチの豪華なメシ食ってみるか? すき焼きにしよう」


「姉貴、すき焼きってなんだ?」


「お肉の薄切りとかしらたきとかを、甘めのタレ……割り下っていうので煮て、生玉子につけて食べるやつ」


「すき焼き、食べたことなかったか」


「あ、いえ、その」


「しょうがない。子供の二人暮らしだからな」

 二代目は車で買い物に出かけた。よく都会のひとは「田舎のひとは足腰が強い」と言うが、ホンモノの田舎の人間は徒歩三分の買い物すら車でいくのだった。


「すき焼きかあ。どういう味すんのかな」


「楽しみだね」


「あっしも楽しみですぜ。こっちの世界のご馳走が食えるんだから」


 ものの二十分で、二代目が帰ってきた。すき焼き用の牛肉と、しらたき、豆腐、シイタケなんかを買ってきたようだ。すき焼きのタレもある。


 都会から送れること一か月でやっているテレビ番組を眺め、演芸番組を眺め、BSの早い時間の大河を観て、すき焼きを用意した。


 二代目がよく探したところすき焼き用の鉄鍋が出てきたので、カセットコンロを置いて茶の間のテーブルでじゅうじゅうやることになった。牛脂を引き、手際よく材料を入れていく。


「すげえ、うまそう」


「うまいぞー。俺だって久しぶりでワクワクしてるんだから」


「はあ……こっちの世界の牛っつうのはうまそうですねえ……」


「よし。お肉煮えたよ!」

 みんなですき焼きをハフハフ食べた。生玉子がどんどんなくなる。みんなお腹パンパンだ。テレビでは男性アイドルがなんでも作っちゃう番組を流している。


「お腹いっぱいになった」

 弟はたたみに大の字になった。


「久しぶりにおいしいと思ってお腹いっぱいになった」

 わたしも息をつく。


「こっちの世界の生玉子っつうのは腹を下さねえんでさぁね」

 ゴブリンさんも満腹のようだ。


「さて。そろそろ帰れ。風呂に入ったほうがいいぞ」


「汗臭いですか」


「ちょっとだけな。疲れてるだろ」


「そうですねえ……帰ろうか」


「おう。そいじゃな、二代目」


「気ぃつけて帰れよー」

 というわけで家に帰ってきた。大河は早い時間のやつを観たので、きょうは珍しく衛星写真から山奥の一軒家を探す番組を観ることにした。弟が先にシャワーを浴びて、わたしもシャワーを浴びて早めに寝ることにした。


 布団に潜って、スマホでXを開く。


 相変わらずバズっている。フォロワーもえぐい増え方をしている。


 漫画家になるってきっとこういうことなんだろうな。


 書籍化とか商業デビューとかしたら、もっとたくさんの人にフォローされて、いろんなことを言われるのだろう。


 結衣ちゃんはムーメンさんふすまさんと打ち上げをしてきたらしい。高校生だからと早く帰ることになったようで、「早く大人になって打ち上げ最後までやりたい(泣き顔の絵文字)」というのをポストしていた。


 早く大人になりたい……か。


 わたしはどうなんだろう。

 うとうとと眠りに落ちそうになったとき、メッセージが来た。二代目だ。


「寝てたらすまん 親父殿が亡くなった」


 えっ。息が詰まる。手が震える。


 なんで? わりと穏やかそうだって言ってたじゃん。そう思ったが穏やかなまま徐々に死んでいくというのもあり得ることなのではないかな、と思う。


 二代目はもろもろ連絡する相手があるだろうし、とりあえず既読をつけてしまったので、

「ご冥福をお祈りいたします」

 とだけ返信して、布団を被った。


 怖かった。身近な人が亡くなるのは人生で初めてだ。結局その晩は一睡もできず、目の下に盛大なくまを拵えてしまった。


 朝だ。弟に朝ごはんを食べさせなくては。布団を這い出る。


「どうした姉貴、睡眠不足の顔してるぞ」


「うん、なんでもないよ」


「きょうも二代目のところに行けばいいのか?」


「いや……えっと、二代目きょうはちょっと用事があるから、家にいてくれ、ってメッセージくれた」


「……本当か?」


「やだなあ本当だよ。姉貴を信じなさい」


「用事があるってんならきのうのうちに言うんじゃないか?」


「なんかすごく急な用事らしいよ」


「……親父殿になにかあったのか?」

 弟は自分でシリアルを用意しながらわたしの顔をうかがう。


「やだなあなんもないよ」


「……そうか。じゃあ、河原で鳥の写真でも撮るか」


「そのカメラじゃ撮れないんじゃなかった?」


「カワセミみたいにちっちゃいと撮れないんだ。サギとかだったら撮れるぞ」

 弟はナップザックにカメラを詰めて、家を出ていった。


 河原に出る道中には「カメラの田中」がある。忌中の札が立っていたらばれてしまう。


 だったら素直に教えたほうがよかったかもしれない。


 弟は、人が死んだ、ということに、耐えられるだろうか。

 いや、わたしですら耐えられないのに、弟に耐えられる道理はない。


 泣き出したかった。悲しかった。つらかった。

 それでも公募の〆切は着々と迫ってくるわけで、どうにか二十ページぶんのプロットを作った。もしそのまま連載になっても続きが描けるように遊びも持たせた。


 黙々と絵コンテを描き、黙々とネームを切り、黙々と手直しする。


 なにか作業するということがこんなに救いだなんて。


 ネームの手直しが終わって顔を上げると、もうすっかり夕方だった。お昼も食べずに作業していたらしい。お腹が空腹を申し立てる。


 とりあえず冷蔵庫をあさるとオレオが入っていた。適当に取り出してバリバリ食べる。夕飯どうしようかな。なにかおいしいものを食べたい。買い物にいかないと。

 近所のスーパーで買い物をしてきて、陽が長くなったなあ、とこれからの夏を思う。猛暑になったりするんだろうか。

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