32 バナナ
「もう入院の手続きは終わったんですか?」
「おう。ちくわちゃんとオーヤマブラザースの世話、ありがとうな」
竹林院が二代目の足に首をすりすりとしている。とてもかわいい。
やっぱり竹林院にとって飼い主は二代目なのであろう。二代目が茶碗に炊き込みご飯をよそって食べ始めると、竹林院はあぐらをかいた脚によっこいしょと入っていった。
二代目は炊き込みご飯の鶏肉の、味のうすいところを竹林院に食べさせながら笑う。
「ハマちゃん怖くてびっくりしたろ」
「まあまあ怖かったです」
弟の正直な感想に二代目はハハハと笑った。それから、三人で動物病院に持っていくオーヤマブラザースの写真を選んだ。さすがプロが撮っただけあってべらぼうに可愛い。
そのあと、親父殿が昔一冊だけ出せた動物写真集をみんなで眺めた。親父殿は本職の動物写真家を目指していたそうなのだが、経済的に安定せず川っぺりの街で写真館を開いたそうだ。
「で、俺は安定を求めて、写真館の二代目になったものの、不況で写真館を経営するのは厳しくなりました……と」
「じゃあなにをして稼いでるんだ?」
「写真プリントとか、フォトブックとかオリジナルカレンダーの作成だな。要するにカメラメーカーの末端のお店をやってるんだ」
なるほど。
夕方になったのでとりあえず帰ることにした。弟は、
「次の日曜日、親父殿のお見舞いにいこうぜ」と言っている。
「いいね。いこう」
そう答えて家のドアを開けた。夕飯を支度して、それなりにおいしく食べた。
飛んで日曜日。
親父殿が入院しているのは川向こうの街の大きな病院である。思いっきり仏滅なので、結衣ちゃんから朝一番で「イベントいかない?」とメッセージが来たが、「きょうは用事があるから」と断った。ありがとう親父殿。
川向こうの街の大きな病院に向かうバスに乗り込む。「仏滅日曜友の会」をやっている結婚式場の近くに向かうバスなので、一般参加やコスプレ参加と思しき人たちもちらほら乗っている。
そして案の定、結婚式場のあたりでそうらしい人たちはぞろぞろと降りていった。
「姉貴、あの人たちみんなドージンシソクバイカイにいくのか?」
「だと思う。でもなんでそう思った?」
「こないだの写真撮ったときの人たちにちょっと似てたから」
小学生にもオタク・スメルは分かるらしい。
大きな病院に到着した。入口には「面会時間です 時間をお守りください」という看板が出ていた。たぶん会いに行って大丈夫だろう。弟はナップザックのなかのバナナを気にしている。
中に入って、受付の事務員さんに親父殿――田中福太郎――の部屋を聞いたところ、
「申し訳ありません、子供さんだけの面会は受け付けていないんです」
と言われてしまった。
そうか。それならば諦めるしかない。そう思って、帰ろうと声をかけようと弟を見ると、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「なんでだよっ。お小遣いでバナナだって買ってきたんだぞっ」
「とにかく子供さんだけの面会は受け付けておりませんので」
「なんでだよっ。理由を教えろよ」
「子供さんだけの面会は受け付けていないんです」
事務員さんは最後まで、子供だけで面会できない理由を教えてくれなかった。あるいは、理由なんてないのかもしれない。
弟はぼろぼろと泣いていた。理由すら教えてもらえないほど、わたしたちは子供だということだ。
帰りのバスまでまだしばらくあるが、同人誌即売会を覗いてみようという気は起こらなかった。無理だ。人混みには行きたくない。
「せっかく川向こうの街に来てるんだし、無印良品行ってみる? バスまで一時間半くらいあるよ」
「いい。ここで待つ」
弟は完全に拗ねていた。
拗ねた弟に付き合って、ベンチに腰掛ける。
「今度二代目に連れてきてもらおう」
「……おう」
「きょうの大河楽しみだね」
「……おう」
なにを言ってもこのリアクションのようだ。スマホを開く。弟はコンデジを取り出し、いままでのデータの確認を始めた。
Xを開いてみると、結衣ちゃんが「きょうは『仏滅日曜友の会』でケモギム併せしてます、あたしはカイくんです! 気軽に絡んでください!」と、堂々と自撮りをUPしていた。コスプレイヤー界隈のひとは躊躇なく顔をさらすなあ……と思った。
その「仏滅日曜友の会」の公式アカウントのポストもリポストされていた。白地に明朝体で「仏滅」と書いてあるアイコンだ。分かりやすい。
「本日はお日柄もよく仏滅です! みなさまのお越しをお待ちしております!」
とのこと。ちょっと面白そうなので見てみると、ドール展示コーナーの様子や、コスプレコーナーの様子、各サークルの情報など、小規模なイベントだからできるのであろう丹念な情報発信がなされていた。
同人誌即売会に行く気はないが、楽しそうな気配は伝わってきた。
「だめだ」
と、弟がつぶやいた。
「どうした?」
「このカメラじゃカワセミは撮れない」
「そっか」
「バスまだかな」
「まだだね」
弟は深いため息をついた。
「なあ姉貴、親父殿は戻ってくるよな?」
「それを祈るしかないねえ」
「祈るってなににだ? おれたちに神様はいないぞ?」
「なんで神様がいないって思うの?」
「おれたち日曜日に教会に行く人じゃないし、仏壇も神棚も家にないし。っていうか神様を信じると百万円払わなきゃいけないんだろ?」
宗教組織の献金問題で宗教というものを誤解しているらしい弟に、神様というのはお金で買うものではなく、特定の宗教を拝んでいなくても神様の存在は信じていいのだと説明した。
弟は難しい顔をして、
「そういうものなのか」
と、呟いた。その三分後バスが来たので、乗り込んで川っぺりの街に帰ってきた。二代目が出かける支度をしていたので声をかけた。二代目は写真つきの貼り紙を持っていた。
「よお。これから動物病院に貼り紙しに行くんだが、お前らもくるか?」
「……おれはいい。なあ二代目、親父殿の病院に行ったのに子供だけじゃお見舞いできないって言われたんだ。なんでなんだ?」
「俺もよく分からん。理由なんてないんだ、きっと」
「そっか。しょーがねーな。姉貴、バナナ凍らせていい?」
「いいけど銀歯とれても知らないからね」
「なに、お前らお見舞いのバナナまで買ってったのか? っていうかなにで行ったんだ?」
「バスです」
「本数少なくて大変だったろ。俺は出かけるから、ちくわちゃんとオーヤマブラザースの相手でもしてるといいぞ」
「わかった」
「そうします」
二代目は「カメラの田中」のガレージに停めてある車でぶいーんと出かけていった。わたしと弟は「カメラの田中」の中に入り、竹林院やオーヤマブラザースと遊ぶことにした。
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