29 オタンチン・パレオロガス

 まっすぐ「カメラの田中」に向かう。

 行ってみると昔写真館として営業していた部屋に煌々と灯りが灯っていた。ドアを開けて、

「こんばんはー」と声をかけると、


「おー斗雨子ちゃんか。入れ入れ」

 と二代目の声がした。どうやらオーヤマブラザースの写真を撮っているらしい。


「ポスター貼りに行ったんじゃないんですか?」


「写真撮るの忘れてたんだわ。さすがにプロが撮れば可愛い写真が撮れて『新しいおうち』が決まるのも早くなるだろ」

 と、そういってカシャカシャやっている。七五三の子供の目線をとるのに使うような、ぴーぴー鳴るぬいぐるみを鳴らしながら、オーヤマブラザースの可愛い顔を探っている。


「うし。こんなもんか……どうした斗雨子ちゃんとゴブリンさん、顔が怖いぞ」


 今日あったことをゴブリンさんが説明し、弟がどんな塩梅で帰ってきたかも説明する。

「……おいおい。それをスルーする先公ってどういうことだよ」


 二代目はカメラをパソコンにつなぎ、撮影した写真を何枚かプリントアウトして、真面目な口調で聞いてきた。


「斗雨子ちゃんのお家はお父さんお母さんがなかなか帰ってこないんだったか」


「そうです。なんの仕事してるんだかよく分かんないんですけど、たまに帰ってこれてもすぐ仕事に行っちゃうので、全くアテにしてません」


「それは親も悪いと思うんだよなあ……」

 二代目は呆れた顔をして、オーヤマブラザースのキャットフードを用意している。


「オタンチン・パレオロガスだ」


「?」


「夏目漱石な。オタンチン・パレオロガス! って叫んでみ、スッキリすっから」


「お、オタンチン・パレオロガス!」

 特にスッキリはしなかった。


「ここいらにはフリースクールってないのか?」


「中学生の勉強を見てくれるところはあるらしいんですけど、小学生はないみたいで」


「そうかー……」

 二代目が真剣に弟のことを考えてくれているのを見て、涙が出てきた。


「そもそも本当なら高校生やってる歳ごろの斗雨子ちゃんにぜんぶ任せてる親が悪いんだよなあ。ヤングケアラーってやつじゃないか」


「そこまで深刻ではないですけど」


「いーや深刻だ。現にどう対応していいかわかんなくなって俺んとこに来たんだろ?」

 その通りなのであった。ぐうの音も出ない。


 二代目は悩ましい顔をしている。

「やっぱり訴訟じゃないか。お受験が季節的に無理なら賠償金でバスの定期つくって、川向こうの街の学校に行くとか」


「さすがにそれは非現実的すぎると思います」


「そうなんだよなぁ」

 二代目は頭を掻きむしっている。よく見ると、髪型でごまかしているがけっこう額が後退している。


「先公がいじめの存在を認めてないっつうのがもう地獄なんだよな……俺は親じゃないから学校になにか言える立場じゃないし」


「弟は本当のところ、学校に行きたいんだと思うんですよね。なんちゃらルームでもいいって言ってたくらいですし。でもそのなんちゃらルームがそもそもいじめのキーワードになってるのが、学校の失策だと思うんです」


「その通りだ。ゴブリンさんはどう思う?」


「あっしは学校っつうものがよく分かりませんがね、誰かが誰かの悪口を言うという状況は、群れの破滅に近づいていくだけだと思いますぜ」


「群れの破滅」

 思わずオウム返ししてしまう。ゴブリンさんは深く頷いた。


「人間にせよゴブリンにせよ、群れを作って生きてるわけで。だれかの悪口を言うのは、その群れが崩壊する兆候でさ」


「群れかあ」


「そうでさ。学校ってのも群れなんですかい?」


「群れだな。年齢が同じで近所の地域から集めてこられたってだけの」

 二代目が眉間を押す。


「よしわかった。斗雨子ちゃん、晴人くんは学校に行かせなくていい。毎日ここによこしてくれ。友達が民生委員やってっからそのルートで学校に圧をかけてみる」


「民生委員ってそんなことできるんですか?」


「おう。俺がガキのころ、学校で悪さして問題になって、可愛がってくれてた民生委員のおっちゃんに『田中くんほどのいい子はいないぞ』って言ってもらってなんとかなったことがある」

 ずいぶん事例が古そうだが、しかし民生委員というのは学園祭なんかにも来るので、案外効果はあるかもしれない。


「きょうは遅いからとりあえず帰るといい。作りすぎた切り干し大根の煮物持ってくか?」


「ありがたくいただきます」


「よしよし。子供はそうやって素直でないと」

 二代目はタッパーウェアに入れた切り干し大根の煮物を持ってきた。ありがたくいただく。頭を下げて「カメラの田中」を出た。入れ違いに訪問看護の看護師さんが入っていった。


 家に帰ってくると、弟はレトルトのグリーンカレーを温めてご飯にかけて食べていた。


「案外元気そうじゃん」


「……おう。からいなこれ」


「ほーら言わんこっちゃない」


「二代目んとこ行ってきたのか?」


「二代目の知り合いで学校に圧力かけられるひといるんだって」


「へえ……でもその程度のことでなんか変わるのかな。変わんねえよな」


「諦めるのも悲観するのもまだ早いよ」


「あーあ。学校火事になんねーかな」


「あんたねえ……火事ってなにでなるの。あんなクソデカ建物、ちょっとやそっとじゃ燃えないよ」

 そうだ、と付け加える。

「二代目が、明日からうちにこいって言ってたよ。これが落ち着くまで、学校いかないでカメラの田中に行きな。学校なんて行かなくていい」


「……まじで?」


「マジだよ。いじめられるところに無理に行けとは言いません」


「そう……か。わかった。そうする」

 弟はひとつ、似合わないため息をついた。


 弟の中にも葛藤とか絶望があるのは、少し前のわたしなら「またまたぁ」と言ってしまうことかもしれない。でも、弟だって葛藤するし絶望する。一人前の人間だからだ。


 弟に、わたしみたいな敗北人生を送らせてはいけない。

 弟は高校を出たらカメラの専門学校に行きたいと言ったのだ。なら行かせてやるのが筋である。高校を出るには中学をクリアして高校に入らなければならない。


 だからわたしみたいな敗北人生を送らせてはならないのだ。


 わたしも夕飯に、グリーンカレーをぱくぱくと食べた。確かにからい。


 夕飯のあと、通知を切りっぱなしにしているせいで最近存在感の薄いXを開いた。


 まだまだゴブリンさん各話がバズり続けている。半日分溜まったタイムラインを、速度を上げて眺めていく。


 見ているとDMがきた。見てみると結衣ちゃんからだ。

「ムーメンさんからこの間の写真現像したって連絡あったんだけど、撮影者はなんて名前でUPすればいい? コスROMにも名前載せるし」


 弟にそこを訊ねてみる。

「おれの名前じゃだめなのか?」


「あんた、世の中に堂々と実名晒す気?」


「だって岩合さんは岩合さんだろ。なんで偽名を使わなきゃいけないんだ」


「偽名ってあんた」


「あ、姉貴は漫画描くときになんだっけ、天川アメリって偽名名乗ってるな。そんな感じで、天川ハルとでも名乗ればいいのか?」


「それでいいんじゃない? 良かったらその旨連絡するけど」


「よっし。写真家の名前は天川ハル!」

 それを連絡する。「わかりましたー」と返信がきた。少しして、


「ムーメンさん、アメリちゃんの弟の写真ベタ褒めだったよ」


 とも送られてきた。

 それを教えてやると、弟は少し目に光を取り戻した。

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