28 激怒

 次の日、弟は元気いっぱい学校に向かった。空元気でないか心配だが、心配してどうにかなるならもうどうにかなっているので、あまり心配しないことにした。


 仮に「あおぞらルーム」に入ることになっても、弟はうまくやっていくだろう。


 そう思って、なにか漫画の手ごろな公募がないか探すことにした。どちらかというと少年漫画がいい。わたしは絵柄がわりと少年漫画なのだ。


 調べてみると有名な少年漫画雑誌が再来月〆切の公募をやっていた。これだ。応募要項を確認するとオンラインで投稿できるらしい。つまり郵便局に行く必要はない。


 その公募の公式サイトをブックマークし、さて、となる。


 長い話ならプロットを作って絵コンテを描いたほうがいい。プロットについてはハリウッド式のやつが染みついている。よし、と気合いをいれて、ルーズリーフにまずは設定から書き出していく。


 尺的に主要キャラは四人くらい。敵はどうしようかな。どんな武器が描きやすいだろう。


 そんなことを考えて、気がついたら昼をゆっくり回っていた。


 いかんいかんと冷凍庫を開けて、冷凍パスタを取り出した。レンチンする。


 冷凍パスタはトレイに入っているマルゲリータがいちばん好きだ。皿洗いしなくていいし、チーズたっぷりだし。ずるずるパスタをすすり、またルーズリーフに向かう。


 わたしは「降りてくる」タイプではない。過去の蓄積から面白いアイディアを探すタイプだ。今回はシンプルに「宝探し」で行くことにした。要するにインディ・ジョーンズである。


 少年漫画なのだから分かりやすくてワクワクできる話がいい。そういうわけでインディ・ジョーンズみたいな話を描いてみることにしたのだ。ラブコメ要素なんかも挟みつつ。


 まあ手垢のついた主題ではあるな……と思ったので、なにか目新しいものも欲しい。いろいろ考えてみたがぱっとは思い浮かばない。


 ……休もう。ハーブティーを沸かし、スマホで漫画のアプリを開く。「コミックディファレントワールド」、何度聞いても長すぎる名前だ。


 ちょうどケモギムの最新話が出ていた。どれどれ、と読んでみる。うん、腐女子の大好きなやつだ、といういつも通りの感想を抱く。


 ほかの漫画もいくつか眺めてみる。わりと異世界モノが多い。まあ「ディファレントワールド」というのは「異世界」という意味だからだいたいそうなのだと思う。


 異世界……か。その宝を見つけたら、異世界からこっちに帰って来られる……というのはどうだろう。異世界モノの主人公はだいたい異世界に行って無双するわけで、帰ってくることなどみじんも考えていない場合が多い。


 異世界に行ってなんの力も付与されなかった主人公が、異世界から現実に帰るために、宝物を探す。これ、わりと新しいんじゃないの?


 よっしゃ。その方向で考えていこう。ルーズリーフにカリカリと書いておく。


 どんどんっ、とドアを叩くのが聞こえた。

 開けてみると、ゴブリンさんが「激おこ」の表情で立っていた。


「どうしたんですか」


「あの学校っつうのは腐ってますねえ」


「あの、そう言われてもよく分からないです。なにがあったんですか」


「晴人さんの後をつけて、隠れみのを使って学校に入ったんでさ。そしたら、晴人さんは同じ部屋の連中に『あおぞらルームに行け』『気持ち悪いから教室にくるな』って言われてて。女の子たちもなんだかヒソヒソ話してて。学校っつうのは腐ってますね」


「……」

 思わず無言になってしまった。


 わたしが弟の親なら、学校に電話するのだが。

 わたしが弟の親なら、訴訟だって起こすのだが。

 しかしわたしは弟の姉なのだ、なにもできないのだ。


 自分が絶望して、一方で激怒しているのが分かった。


 そして弟はもっとつらいのだ、いじめられている本人なのだから。


 どこかにお気持ちを表明したい。握りこぶしがぷるぷるする。そうだ、スマホのメモ帳に書いてスクショしてXにUPしよう。そう思ってメモ帳を開くものの、うまくこの怒りを言語化できない。


 学校に殴り込みをかけるべきだろうか。


 二代目に相談するべきだろうか。


 分からない。


 とにかく言語化できないことには殴り込みも相談もできないので、ビークール、ビークール、と唱えて落ち着くことにした。ゴブリンさんは無表情だ。


「ゴブリンさん、弟はどうしてました?」


「気にしてない顔を取り繕っていましたがね、きっと内心では悲しくて悔しくて腹立たしいんだと思いますぜ」

 それはそうだろう。


「先生はなにかいじめの犯人に対応してましたか」


「いえ? 無視してましたね。いじめがそもそも発生していないと思っている感じ」

 やはりあの学校はクソだ。わたしのときはここまでひどくなかったのに。


 誰か大人に助けてほしい。


 しかしうちの親はさっぱりアテにならない。なんせ帰ってくることがめったにない。だから弟がいじめられていることも知らないわけだ。


 わたしが中学でいじめられて、学校というところに恐怖感を持ち、高校に進学したくない、と言ったときだって、大して考えもせず三者面談で、わたしが言ったとおりのことを言った。


 でもさすがにこれは連絡していいのかもしれない。


 でも連絡したら迷惑だよなあ。


 しばらく悩んだ。


 思うに弟はあの小学校なる場所に行くより、自然の中でカメラを構えているほうが楽しいのだと思う。だからそういうことを支援してくれるフリースクールがあるならそちらに行くべきなのだろう。


 しかし悲しいことにここは田舎だ。川向こうの街に行ってもフリースクールなどない。


 いや、ないと言い切るのもおかしいか。ちょっとググってみると中学生向けのところはあるようだったが、小学生が行くところは出てこなかった。


 弟は行くところがないのだ。


 先生に提案された「あおぞらルーム」にしたって、悪口の材料になるようなところなら、行ったって仕方がない。ますますバカにされるだけだ。


 とにかく弟にはわたしのようになってほしくないのだ。ちゃんと進学して、夢である写真家になるべく教育を受けてほしい。むしろそればかり願っている。


 ゴブリンさんは激怒の顔になって、鼻息を荒くしていた。

「なんなんですかい。子供がちゃんと勉強に専念できる国だっていうから素晴らしい国だと思っていたのに、その手先の教師があの体たらくとは」


「教師というのはお金がたくさんもらえるので、そこにあぐらをかいているんでしょう。あるいは自分の教室でトラブルが起きるとキャリアに問題が出るから無視してるとか」


「なんにせよろくなところじゃねえのがよく分かりました。あんなところ行かなくていい」


「そう言ってやりたいんですけどね、ほかに教育を受けられる場所がないんです。隣の校区は遠いから、わたしには送っていくこともできないし」


「悲しい話でさぁね」


「弟がなにを言うか、ちゃんと聞いて考えないと」

 お茶を淹れた。ゴブリンさんはお茶をずずっと飲んだ。


「晴人さんのことだから、空元気でごまかすんじゃないですかい?」


「そうでしょうね……」

 クソデカため息が出る。


 弟が正直に「学校に行きたくない」というなら「行かなくていいよ」と答える用意はある。


 しかし弟はそんなこと言わないだろう。なんとなくだがそう思う。


 激怒しながらゴブリンさんとしゃべっているうちに夕方になった。弟が帰ってきて、わたしとゴブリンさんは笑顔を取り繕い、


「おかえり」


「おかえりなせぇ」


 と声をかけた。


「……おう」

 弟は真っ直ぐ自分の部屋に行き、ランドセルをどさりとおいて布団に入ってしまった。


 これはわりと重篤な症状ではないか。

「お腹空かない? グリーンカレーあるよ」


「いらね」

 弟は相当ダメージを受けている。

 ゴブリンさんと、


「二代目に相談するべきですか」


「それがいいんじゃないですかい」

 という話をして、弟に「お腹空いたら適当に食べてて」と言って家を出た。

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