27 訴訟

「晴人くん、先生の偏見とクラスメイトの意地悪にダブルでさらされてるのか。あんなに賢いのに」


「わたしがこんなんだからでしょうかねえ……」


「それは違うぞ。晴人くんと斗雨子ちゃんは別の人間だ。斗雨子ちゃんが漫画家志望のアマチュアでも、稼ぎがなくても、晴人くんがいじめられていることには関係ない。悪いのは学校」


「そう言ってもらえてホッとしてます」


「訴訟だな。学校を訴えて賠償金を払わせて、そのお金で情報中のお受験しよう」


 情報中というのは川向こうの街にある「社会情報中学校・高等学校」という中高一貫校のことだ。お受験をしないと入れないので、民度が高いことで有名である。


「もう遅いですよ。お受験のシーズンは終わってます」


「そうなのか? とにかく学校をぎゃふんと言わせないと腹の虫がおさまらん。ちくわちゃんかオーヤマブラザースにネコカイチュウをうつされたのかもしれん」


 二代目は笑った。

 それにつられてわたしも少しだけ笑みを取り戻した。


 夕飯ができた。テーブルに並べる。親父殿は比較的調子がいいらしく、よっこいしょと座椅子に座った。


 弟とゴブリンさんもテーブルにつく。

「いただきます」


 みんなで手を合わせて、夕飯を食べる。

「うおっ、肉うまっ」


「二代目手製の豚生姜焼きだぞ。うまいに決まってる」


「ちょっとしょっぱいんじゃないか」


「親父殿、いまさら塩分なんぞ気にしてどうする」


「うまいですねえ。こんな料理はじめてでさあ」


「おいひーれす」

 平和な食卓であった。


 夕飯をご馳走になったついでにテレビまで観た。大食いのタレントが異様なデカ盛り料理を食べるやつだ。お約束として、パスタやご飯を食べ進めると下から肉の塊が出てくる。


 親父殿は若いころ、たいそう太っていたらしい。こういう食欲で、とにかく食べまくったそうだ。それはそれでうらやましい話である。


「すげー。これふつうの量食べたい」


 弟はぼーっとテレビを見ている。デザートにハーゲンダッツが出てきた。


「去年の大晦日食おうと思って買ってきて食いきれなかったやつだ。遠慮しないで食え」

 というわけで、わたしと弟とゴブリンさんはハーゲンダッツをモグモグパクパク食べた。


「晴人さん、いったいなにごとだったんで?」


「あー……うん、なんでもないぞ!」


「なんでもなくない顔してますぜ。なにごとだったんで?」


「晴人の学校の先生が、晴人を一方的に困った子供扱いして、学校に馴染めない子供を入れる教室に移るように言ってきたんです」


「なんで馴染めない子供扱いされたんで?」


「姉を漫画家だ、って言ったのが、ウソをついているのだととられたんです。それにそのせいでクラスの友達とも折り合いがよくないみたいで」


「ちょ、姉貴、あんまりゴブリンさんになんでも話すな」


「黙っててもいいことないよ?」


「まあそうなんだが……でもさあ、仕方ないのかなあって思うんだ。おれ、バカだから」


「バカはテストで百点取りません」


「そうなのか? あんなに簡単なのに?」


「そうです。あれを簡単って言える時点でバカじゃないのよ」


「そうなのか。ふむ……でも『あおぞらルーム』もそんなに悪いところじゃないのかもな。木村美琴も『あおぞらルーム』に行くらしいし」


「木村美琴ってクラスでいじめられてた子?」


「おう。勉強も運動も得意じゃないんだって。そんでアトピーで体じゅうかさぶただらけで、それでいじめられてたんだ」


「そっかあ。確かにそういう事例ならいじめっ子がいないところに行くのはいいアイディアかもしれないねえ」


「でもおれはべつにいじめられてないんだよなあ。ウソつきだと思われてるだけで」


「でも先生にハブられたりしてるんでしょ? それはだめだよ。先生にいじめられてる」


「先生もいじめなんかするのか? 先生なのに?」


「するよ。めちゃくちゃするよ。ありえないくらいするよ」

 それは実感のこもったことだった。


 先生というのは本来公正であらねばならぬ存在である。だが先生も人間だし、いろいろと事情があるわけで、本当に子供たちをひいきしたり嫌ったりせずに付き合える先生というのは、実のところいないのではないだろうか。


 かくいうわたしも中学時代いじめ犯が先生のお気に入りだったせいで適切な処置を受けられず、そのまま真っ当な人生からドロップアウトしたわけであるが。


「そもそもいじめられてる側をよそにやろうっつうのがおかしいだろ。普通どう考えても犯人のほうをカウンセリングする必要がある」


 二代目が腕を組む。


「やっぱり情報中受けるしかないんじゃないか? あそこ民度めちゃめちゃ高いって聞くぞ。キラキラネームは入れないとか」


「だからお受験のシーズンは終わってるんですってば」


「そうなのか? 先に推薦があってあとから一般とか」


「おれには無理だよ」

 弟は笑った。


「なにも無理なことはないぞ。晴人くん、きみは素晴らしい才能を持った人だ。無理だと諦めるより先に、やりたいことをやるといい」


「いや親父殿、情報中の入試は終わってるんだと」


「そうなのか? まああそこの生徒になったら大学進学が前提になるらしいからなあ。晴人くんの素晴らしい才能を大学なんかに行かせて潰されちゃたまらない」

 親父殿は悪い笑顔になった。


「親父殿、おれ高校終わったらカメラの専門学校に行きたいと思ってるんだ」


「いいぞいいぞ。私なんかよりよっぽど上手く教えてくれるだろう。そうしなさい」


「そういう希望のある人間を、学校の隅っこに追いやって、まともに勉強させないってのが間違いなんだよ。畑仕事と動物の世話を通じて人間性を高めます、って書いてあるけど、晴人くんはもともとすげえ人間性の塊だからな」


「にんげんせい?」


「いや言った俺もよく分からんのだが」

 二代目がそう言い、「カメラの田中」の茶の間はのどかな笑みに包まれた。


 竹林院がこちらの様子をうかがっている。お腹でも空いたのだろうか。


「じゃあちくわちゃんもご飯にしような」


「んまー」


 二代目がキャットフードを用意した。竹林院はそれをモグモグガツガツ食べている。


 とても清々しい食べっぷりだった。

 そのあとオーヤマブラザースにもご飯を与えた。相変わらず劇的にかわいい。ちょっと大きくなって悪いことも考えるようになったようだ。


「そろそろ貰い手を探したほうがいいかもなあ」


「なにで探します? やっぱり動物病院の壁ですか?」


「それが一番いいと思うぞ。ネットは虐待目的の変態にもらわれてく可能性があるからな」


「人間はこんなに猫を可愛がるのに、猫をいじめる人もいるんですかい?」


「いるぞ。クロスボウで撃つとか水に漬けるとか」


「こっちの人間はおかしいひとばっかりですねえ」


「まあ猫を虐待して喜ぶ変態なんてごく一部だよ。猫が好きな人間か猫が嫌いな人間のほうが多い。で、猫が嫌いな人間はそもそも猫に興味がないんだ」


「へえ……」

 ゴブリンさんはしみじみとオーヤマブラザースを見つめた。オーヤマブラザースは元気いっぱい、段ボール箱の中をうろうろしたり、中に敷いてある毛布をふみふみしたりしている。


「ゴブリンさん、猫怖くないんですか?」


「慣れやした」

 それはよかった。


「晴人、そろそろ帰ろっか」


「そうだな。あんまり遅くまでいると親父殿も困るよな」


「私ぁ困りゃせんが、よその家にずっといるのはご家族に心配をかけるからな」


「おれたちの父さん母さん、めったに帰ってこないけど」


「それでも家でないところにずっといるとバレたら面倒だろう」


「それは確かに……」


 というわけで帰ることになった。二代目はあした、動物病院に貼り紙をしにいく、と言っていた。オーヤマブラザースがどういう人にもらわれていくのかは分からないが、きっとうちで暮らすより幸せであろう。

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