ゴブリンさん激怒する
26 偏見
弟の担任教師は、夕方薄暗くなったころにやってきた。部活の指導とかそういうことがあったのだろう。開口一番、
「親御さんは」
とわたしの保護者力を値踏みするように言った。
「両親とも仕事が忙しくてめったに帰ってこないんです」
「そうですか」
「で、なんの御用ですか?」
「天川晴人くんが、学校になじめていないようなので、『あおぞらルーム』に移るのはどうでしょうか、という提案のお話です」
「どうして学校になじめていない、と判断されたのですか?」
「いえね、友達と仲良くできていないようなんです。ときおりウソをつく様子もありますし」
「ウソというのはどういうものですか?」
「……お姉さんは、漫画家なんですか?」
どう答えたものか考えて、答えるより見せたほうがいい、とデスク兼書庫にしている押入れを開けてみせた。漫画を描く機材があるので、これなら納得してもらえるだろう。
「これはペンタブレットといって、漫画を描くのに使う道具です」
「……はあ」
「こっちにあるのはポージングの資料です。いちおう、アマチュアですが漫画を描いているのは確かです」
「……はあ」
先生はまだ納得できていない顔だ。納得せえよ。
「弟はまだプロとアマチュアの違いまでは分からないんだと思います」
「そうなんですか」
「はい。でも漫画を描いているのは本当です」
「漫画家ってすごく稼げるんですよね。アマチュアもそうなんですか?」
ううーん偏見~!!!!
「いや稼げてないからアマチュアなんです。プロでも稼げてるって言えるほど稼いでる人はそんなにいないんじゃないですか?」
「じゃあアルバイトとかなさってるんですか?」
「わたし、中学でいじめられて高校に行っていないんです。このへんのバイトって高卒以上が基本的ですよね」
「じゃあ親御さんのお金で、遊んで暮らしているわけですか」
「アマチュアでも漫画を描くのは遊びじゃないです」
「なんでそんな……くだらないことを遊びじゃないなんて」
「遊びだったら先生も遊びで漫画を描けるってことですよね」
「いえそういうわけでは」
先生はひとつ咳払いをした。
「天川晴人くんは、教室になじめていないんです」
「それは先生が公正でないからでは? テストを返すとき、成績のよかった順に呼ぶのに百点取っても呼ばれないって弟が言っていました」
「あ、う、それは……」
「単純にわたしの弟を、疎外しているだけでは? もしテストの結果発表が公正で、弟がいちばんに呼ばれていたら、弟はほかの子供に、ちゃんとした成績の子だと判断されますよね」
「それは……とにかく、『あおぞらルーム』に移るべきなんです。最近は無断欠席も増えていますし」
「先生が単純に弟を持て余しているということじゃないんですか? 『あおぞらルーム』というのは、弟の学力で満足のいくところなんですか?」
わたしは完全なる激怒の状態であった。
先生はあうあうしながら、
「教室に来づらいなら『あおぞらルーム』のほうが気楽に行けると思うのですが」
と、要領を得ないことを言う。
「先生がテストの成績を正しく発表していれば、教室に居づらいなんてことはなくて、弟はそんなところ行く必要ないと思うのですが」
「し、しかしですね。事実無断欠席が多いんです。つまり教室に」
「居づらいのは先生のせいなんではないのですか?」
「……なんの苦労もしていない人間に、なにが分かるッ」
先生も突如激怒した。目を充血させ口の角に泡をためて、早口で言う。
「お。お。俺は大学をちゃんと出てるんだぞ! きょ、教員採用試験だって一発で合格して、社会人として真っ当な道を歩んでるんだぞ! なんで漫画家志望なんていうふざけた、たのしく生きてるだけの小娘に、責任をなすられなきゃいけないんだよおっ!」
「ふざけんな、こっちだって真剣に、メンタル擦り減らして漫画描いてるんだぞ?!」
この先生はかの名作朝ドラ「ゲゲゲの女房」を観ていないのだろうか。いやわたしもNHKオンデマンドで観た勢なのだが。
あのレジェンド、萩尾望都先生が「漫勉」で言っておられた。朝ドラ「ゲゲゲの女房」が放送されて、それでようやく両親が「漫画家って大変なんだね」と言ったとか言わないとか。
でもおそらくこの先生からしたら、漫画家など楽しいことをしているだけの、職業とも呼べない職業に見えるのだろう。アマチュアなのは確かだし。
思うに「じぶんがしんどいからおまえもしんどくあれ」という考え方は不幸しか呼ばない気がする。楽しく夢に向かったっていいではないか。
先生はぜえぜえ言いながら、
「失礼しました」
と、頑張って真っ当な人間のセリフを絞り出した。そしてなにかプリントを渡してきた。
「そのプリントに、『あおぞらルーム』の詳細が書いてあります。よくご検討ください」
そう言い、先生は帰っていった。
クソデカため息が出る。
立ち上がり、家を出た。弟は「カメラの田中」に行っている。行ってみるとゴブリンさんが竹林院にシャーされていた。
「こんばんはー」
「お、斗雨子ちゃん。夕飯食ってくか?」
「大丈夫です……それより」
二代目にプリントを渡す。
「……『あおぞらルーム』? 屋根があるのに?」
そんな戦後の焼け跡の小学校みたいな話があるか。
二代目はプリントをしみじみと観たあと、
「これ、明らかに不良というか、素行に問題のある子が行くとこだよな」
と、プリントを返してきた。
「やっぱりそう思いますか?」
「そうとしか思えないだろ。なに、そこに晴人くんを入れろって話なのか?」
「そうみたいです」
「晴人くんはこんなにふつうなのにか?」
「先生から見たらそうじゃないんでしょうね。ウソつきだと思われてるみたいで」
「は?」
「弟、学校でわたしのこと漫画家だって言ったらしくて、それでウソつきだと思われてるみたいなんです」
「ウソつきもなにも斗雨子ちゃんは漫画家だろう」
「で、先生からしたら漫画家は楽しいことをしてガッポリ稼ぐ仕事に見えるみたいで」
「偏見じゃないか。先生は『漫勉』観てないのか?」
「その通りなんですけど、そういうふうに思い込んでるんでしょうね」
「なんつうか腹の立つ話だな……まあいい上がりなさい」
というわけで「カメラの田中」にお邪魔する。カルピスが出てきた。懐かしい味がする。
「晴人くんは親父殿にいろいろ教えてもらって、カメラをもっとうまくいじりたいって思ってるみたいだ。まあまだ子供だから一眼レフを持たすわけにはいかないんだろうが」
「この間知り合いのコスプレイヤーさんにお願いされて一眼レフ触らせてもらったとき、すごく喜んでました」
「そうなのか。……食べるだけっつうのが気が引けるなら、ちょっと夕飯の支度手伝わないか」
「わかりました」
というわけで豚生姜焼きを作るのを手伝う。二代目はきれいな手つきで豚バラを細かくしていく。わたしは玉ねぎを切っている。
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