19 百点満点

「じゃあ、猫も病気になるのを防ぐ注射をするってことですかい?」


「そうだぞー。一発五千円ぶっ飛ぶ注射を毎年打つぞー」


 二代目は竹林院をわたしに預けて、子猫たちの世話に戻った。


 竹林院はまだちょっと興奮していて、目をらんらんと光らせている。


「ちくわちゃん、大丈夫だよ。だれもちくわちゃんをいじめたりしないよ」


「うるるー」


「五千円って、どれくらいの価値なんですかい?」


「ええっとねえ……二番目に大きいお札。そうだな……八百屋さんに換算すると、立派なブドウが二房買えるくらい」


「ええ?! そんなすごい額を、猫の病気の予防に使うんですかい?!」


「ほら、こっちの世界の猫は愛玩動物だから」


「はえー……すんごい話だ。こっちの世界は豊かですねえ」

 ゴブリンさんはしきりに感心している。


 竹林院はやっと落ち着いてきて、長いしっぽをぱたぱたしながら子猫たちの様子をうかがっている。


「動物を可愛いと思うんですねえ、こっちの人間は」


「向こうはそうじゃないんだ」


「家で飼うものは家畜でさ。犬は番犬か猟犬、猫はネズミ退治。牛や馬、豚、ロバ、ニワトリ……そういう感じでさぁね。可愛い可愛いって動物を飼う人なんていませんぜ」


「そうなんですか。じゃあゴブリンさん、動物病院とかペットショップに行ったらビックリするでしょうね」


「ペットショップ……?」


「愛玩用の動物とか、その世話をする道具とかエサのお店です。犬猫だけじゃなくて、小鳥とかネズミのでっかいやつとかを売ってます。亀とかもいるな」


「ネズミのでっかいやつを飼うんですかい?!」


「ネズミのでっかいやつと言うと語弊があるな。ハムスターとかモルモットとかデグーとか。中学の同級生でモルモット可愛がってる子いたっけ」


「この世界は不思議でさあね」

 ゴブリンさんは目を細めた。


 しばらく「カメラの田中」で楽しく過ごしていると、小学校は下校の時間になったらしく、歩道を小学生が歩き始めた。弟もそろそろ帰ってくるだろう。


 案の定、弟はわたしが「カメラの田中」にいるのを目ざとく見つけて入ってきた。


「二代目! 親父殿! こんちわ!」


「おー晴人くんか。使って悪いんだが、そこの引き戸のガムテープを一枚増やしてくれないか。ちくわちゃんに突破されちまうんだ」


「竹林院がそっちにいっちゃまずいのか?」


「うむ、子猫がいるからな。子猫はまだワクチンを打ってないから、竹林院が風邪とかうつしちゃまずいからな」


「子猫って、オーヤマブラザースのことか?」


「そうだぞー。ちょっと前にお前さんらのお父さんが帰ってきて、バレたらまずいってんで斗雨子ちゃんから預かったんだ」


「父さん、帰ってきたのか?!」


「うん。でもいろいろ話す前に仕事だーって言ってでかけちゃった。残念だね」


「……そうか。姉貴、見ろ! 百点満点の答案だ! すごいだろう!」


 弟はランドセルからクシャクシャになったテストを取り出した。国語のテストのようだ。小学生のテストなので問題用紙と解答用紙が同じ紙のやつである。


 うん、たしかに百点である。漢字も文章問題もことわざもぜんぶマルだ。


「すごいじゃん」


「そうだろ? だって簡単だもん」


「これが晴人さんの学校の試験ですかい?」と、ゴブリンさんはテスト用紙を見つめる。


「そうだぞ! おれをウソつきって言うやつらは点数ガタガタだった!」

 弟は誇らしげに言う。弟の世界ではテストでいい点数をとるということが、いじわるな連中より勝っているという証明なのだろう。


 弟は二代目に頼まれたガムテープをぺたぺた貼る。


「でもなんでかわかんねーけど、テスト返すとき成績のいい順番に返すのに、おれいっつも呼び忘れられるんだよなぁ」


「それハラスメントってやつなんじゃないの」


「はらすめんと?」


「それは先生って立場で、あんたをいじめてるんだよ。本来なら真っ先に呼ばれなくちゃいけない成績の人を、いつも最後まで呼び忘れるなんて、そうあることじゃないよ」


「そうなのか? たまたまだと思ってた」

 どうやら弟は学校で、先生とも折り合いがよくないようだ。


 そりゃそうだろう、学校を脱走したりサボって写真を撮っていたりするんだから。


 大人というのはそういう、ルールを守らない子供を厳しく扱う。ルールに問題があったとしても、である。


 明らかに弟の学校はおかしい。

 そう思って憤っていたら、腕の中で竹林院がじたばたと暴れた。床に降ろしてやると、ガムテープを補強した引き戸をガリガリし始めた。二代目が戻ってくるとガリガリをやめた。


 どうやら竹林院は二代目を独り占めしたかったらしい。二代目の匂いを嗅いでいる。おそらく子猫の匂いがするのだろう。


「そうだ、夕飯食ってくか? 手伝ってくれたらありがたい」


「ぜひご相伴にあずかりたいと思います。もちろん手伝います」


「おれも手伝うー」


「じゃあ晴人くんはオーヤマブラザースを見ててくれ。斗雨子ちゃんはそうだな、野菜洗って切ってくれるか」


 というわけで「カメラの田中」の奥に踏み込む。思いのほか整頓されたきれいな家だ。

 台所もすっきりと片付けてある。さすがによその家の冷蔵庫を開けるわけにはいかないので、二代目が野菜を取り出すのを待つ。


 二代目はレタスをまるまるひと玉出してきて、

「こいつの芯を抜いてほしい」

 と笑顔だ。


 頑張って素手でレタスの芯を抜き、葉っぱを剥がして洗う。適当に手でちぎる。


 二代目は豚肉とレタスをオイスターソースでじゃーっと炒めて、なにやら香ばしい匂いを発生させている。これは間違いなくおいしいやつではないか。


「親父殿は最近どうされてますか?」


「うん、ここ最近はちょっと調子が悪い感じだな。でも食べられてるしまだまだ元気だよ」


「それならよかったです」


「斗雨子ちゃんはどうなんだ? ツイッター……じゃなくてXか」


「あ、すっかり忘れてた」


「バズるって大変なのか?」


「大変……というか、まあ……慣れなのかな……書籍化のお声がけをいただけないか、ずっと待ってるんですけど」


「いまの時代は漫画も持ち込みじゃないんだな」


「いえ? 持ち込み自体はあるらしいです。でも、ここは田舎なので、漫画雑誌の編集部に殴り込みをかけるってハードル高いじゃないですか」


「確かに東京は遠いもんな。俺ぁ常々考えてることがあってな」


「なんですか?」


「東京の子供なら、電車賃と入館料さえあればかはくとかトーハクとか上野動物園とかに余裕で入れるわけだろ? 映画館だってそうだ。美術館とかもそうだな……でもこのクソ田舎で、そういう文化施設に触れる機会って極端に少ないだろ?」


「そうですね……格差、ですか」


「そういうことだ。文化果つる地だよ、ここは」

 二代目は炒めたレタスを味見した。おいしかったようだ。

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