18 父と『吾輩は猫である』

 動物病院というところに来るのが初めてなので、大変興味深く見た。仮名が面白い。耳だけ茶色いから「トースト」とか、ホワッツマイケルに似ているけれど女の子なので「まい子」とか。


 ここにいずれ「マスタツ」「ヤスハル」「のぶ代」が加わるのか。さすがにひどい名前をつけてしまったと後悔したがまあしょうがない。新しい飼い主さんがいい名前をつけてくれるだろう。


 動物病院には次々と人と犬猫がくる。明らかに具合のよくなさそうな犬猫もいるし、爪切りとか耳掃除をお願いするらしい元気そうな犬猫もいる。


 動物病院にくる犬猫は「患畜」という、というのは、かの名作漫画「動物のお医者さん」で知ったことだ。そんなことはともかく二代目は快く検査費用を払ってくれた。


 二代目の車に戻り、帰ることになった。

「ありがとうございます。どうしてこんなに親切にしてくださるんですか?」


「親父殿がな、晴人くんと斗雨子ちゃんを孫みたいに気に入ってるんだよ。俺の子供というにはちと大きいんだがな。孫が困ってるんだから助けてやってくれ、って言われてな」


 孫。

 思えば祖父母との思い出というのはほとんどない。

「俺は親父殿に孫を見せてやれなかったからな。それにいいことをするのは気分がいい」


「そういうものですか」


「ああ」


 そのときいきなりスマホに電話がかかってきた。出てみると父さんだった。


「いま駅にいる。これからちょっと帰るけど、家にいるかい?」


「ちょっと出先だけどもうすぐ帰るところ」

 なんて間の悪いことだ。オーヤマブラザースを家に連れていけないではないか。


 父さんが帰ってくる、と二代目に説明すると、

「じゃあうちでオーヤマブラザース、預かろうか? ちくわちゃんには見せなきゃ大丈夫だろう」

 と、朗らかな返事をいただいた。


 というわけで二代目はオーヤマブラザースの段ボールをかかえて「カメラの田中」に戻っていった。とりあえず家にある猫用のホットカーペットやミルクやキャットフード、猫トイレなども「カメラの田中」に運び込んだ。


 家に戻る。アレルゲン対策のできる消臭剤をかけて、掃除機もかけておく。


 少しして父さんが帰ってきた。

「斗雨子、元気だったか?」


「まあまあ。父さんは?」


「いやー忙しかった。ビジネスホテルを転々とする生活、いい加減やめたいねえ」


「そっか。あのさ、晴人が」

 いじめられている。スマホを欲しがっている。よく学校をサボる。言いたいことはいろいろあったわけだが、父さんの二台持ちしているスマホのビジネス用のほうに電話がかかってきた。


「はいもしもし天川です。お疲れ様です。はい。はい。そうですかー……分かりました」

 父さんはため息をついた。


「せめてきょうくらいはゆっくりできると思ったのに」


「なに、また出なきゃいけないの?」


「うん。晴人の話も聞きたかったんだけど……列車乗り逃すと何時間待たされるかって感じだから、次の列車で出なくちゃいけない。申し訳ないけど、晴人をよろしく」


「うん。それじゃ」

 父さんは慌ただしく家を出ていった。


 ゴブリンさん漫画を仕上げてXにUPし、少し昼寝をしてから「カメラの田中」に向かった。ゴブリンさんも来ている。


 しそジュースが出た。おいしくいただきながら子猫たちの様子について尋ねる。

「元気だよ。モリモリ食べてるしモリモリ出してる。それより斗雨子ちゃん、お父さんはどうしたんだい?」


「それがですね、帰ってきて弟のことを報告する前に別の仕事が入って、電車を逃すと次は何時間後……というのですぐ出かけてしまいました」


「ひでえ親だ。こんな可愛い子供がいるのに」

 ゴブリンさんは憤慨しているらしい。表情を読み取るのがなかなか難しい。


「晴人くんのことくらい聞いてやりゃいいのに」


「しょうがないです。うちの親はずっとこうなので」


「そうかい?」

 二代目は呆れた顔をしている。


「ところで竹林院はどうしてますか」


「親父殿と寝てるよ。親父殿、この間調子がいいって散歩に行ってから体調がよくなくてな」


「そうだったんですか」


「まあどっちも歳だからな。体調の悪いことだってあるだろうよ」

 いっとき沈黙する。天使が通る、というやつだ。


 ゴブリンさんが慌てた顔で、

「こっちの世界では犬猫も病気になれば医者にかかるって聞きましたぜ。どんな感じなんですかい?」

 と、話題を変えた。ゴブリンも空気を読むことができるらしい。


「人間の医者とあんまり変わらない感じですよね」


「ただ、人間は保険があるからお金はそこそこで済むけど、犬猫はぜんぶ実費だからなあ」


「はあ……」


「逆にあっちの世界だと犬猫が病気になったらどうするの?」


「うーん。金持ちが可愛がってる犬猫なら薬を飲ませたりするんですがね、たいていは弱っていくままほったらかしですぜ」

 なかなか可哀想な話である。


「日本も明治くらいはそんな感じだったんじゃないか? 斗雨子ちゃんは『吾輩は猫である』って読んだことあるか?」


「小学校の図書室にあった名作文学コミックで、ダイジェストだけ」


「あれにな、三味線だか二弦琴だかのお師匠さんが飼ってる三毛猫が出てくるんだが、医者に連れていっても診てもらえなかったからコタツに入れておいた、って描写が出てくるんだ。そのあとその三毛猫は死んでしまって、戒名をつけてもらってお経をあげてもらってる」

 可哀想だな、と思った。


 戒名をつけてもらったりお経をあげてもらったりしても、本人、本猫? が幸せなわけではない。飼い主が慰められるだけだ。


「まあ、現代は犬猫も医者にかかれるっていうのはいいことなんじゃないか。そのおかげでオーヤマブラザースもちくわちゃんも元気なんだし」


「そうですね……」

 そんな話をしていると、竹林院がのっそりと現れた。


「うなおー」

 竹林院は癖の強い鳴き方で一言鳴いて、あたりをきょろきょろと見渡す。そしてガムテープで固定されている引き戸を頑張って開けようとする。


「だめだぞーちくわちゃん。向こうにはオーヤマブラザースがいるからなー」


「まおー」


「そうかそうか、ちくわちゃんは勇者なんだな」


「うるるにゃー」


「行っちゃだめだぞー」

 そうやっているうちに引き戸の向こうからオーヤマブラザースの騒ぐ声が聞こえてきた。お腹が空いたらしい。まいったな、という顔をして、二代目は引き戸のガムテープをはがし、オーヤマブラザースのところに向かった。竹林院もついていく。


 わたしとゴブリンさんは向こうの様子を伺う。

 竹林院はしっぽをブワーと膨らませて、「フーッ!」と警戒の声を発した。


「ちくわちゃんは向こうでお利口さんにしてろ。まだこの子らワクチン打ってないんだから」


「ワクチンってなんですかい?」


「病気を防ぐための注射ですね」


「病気になる前から注射するんですかい?」


「そうですよ。子供なら何歳になったらこの注射を打つ、って決まってて、大人になってもインフルエンザっていう強烈な風邪を防ぐ注射をするんです。あ、年配のひとなら帯状疱疹とかもあるな」


「それは効くんですかい?」


「たぶん効くんだと思いますよ」

 ゴブリンさんはふむふむと頷いた。

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