15 修学旅行

 というわけで親父殿とやらの家に向かった。親父殿を若くしたようなのが、「カメラの田中」という店で店番をしていた。


「親父殿、なんだこの小鬼」


「アニメ世界の斥候だ」


「コスプレとかじゃなくて? ああ……コスプレで化けるには手足が細い」


「しそジュースとカルピス、どっちにする?」


「しそジュース!」

 晴人さんは陽気にそういう。あっしもご相伴にあずかることにした。


 ドギツい紫色のジュースが運ばれてきた。おそるおそるすすってみると、薬草の味のする、たいへんおいしいものだった。

「こりゃあうまい」


「ゴブリンもしそジュースをうまいって言うのか」

 親父殿を若くしたようなのがしみじみとあっしを観察する。


「二代目、ゴブリン『さん』だ。呼び捨てはいけない」


「名前はないのか? 落語が元ネタの名前とか」


「ない! ゴブリンさんだ!」


「落語ってのはなんですかい?」


「落語家っていうお笑い芸人が、座って一人で何役もしゃべり分ける話芸だ。いやあ、俺の好きなファンタジー小説に落語を元ネタにした名前のゴブリンが出てくるものだから」


「ほぉん……落語ですか」


「聴きたいならカセットがあるぞ?」


「かせっと?」

 晴人さんはまた分からない顔だ。


「知らないのか? いま若い人にレトロ感で人気なんだろ?」


「わかんね。おれまだレトロ感とかよくわかんねーし」


 二代目は戸棚からカセットテープを取り出し、そこにあったラジカセとかいう機械にガッチャンコと押し込んだ。ボタンを押すと活舌のいいしゃべりが聞こえてくる。


 どうやら昔の時代を舞台にした笑い話のようだ。ラクゴカとかいう人がひとりで何人もの登場人物を演じている。


「すげぇや」


「すげー。これって東京に行ったら聴けるのか?」


「おう。新宿末廣亭はいいぞ、落語だけじゃなく手品や講談も鑑賞できる。中学の修学旅行で行ったことがあるだけだが」


「へえ……修学旅行かあ。秋にあるな。函館に行くんだ。二代目と親父殿にもお土産買ってくればいいか?」


「おー俺の修学旅行と同じだな。お土産はイカとっくりがいいな」


「シューガクリョコーってなんですかい?」


「学校の生徒を、先生が引率して旅行に連れていくんだ。学校の外にも学びは広がってるからな。よくあるのは栃木の日光とか京都奈良とかそういう」


「トチギノニッコーとキョートナラ」


「どっちも歴史のある土地だ。日光には大昔この国を治めていた将軍を祀った建物があるし、京都と奈良はそれよりも昔は都だったところだ」


「トーキョーとかハコダテというのは?」


「東京はこの国の首都だ。とんでもない大都会だよ。函館は歴史ある港町で、この国には珍しい星型の城があるし食い物がうまい」


「星型の城。大砲で戦うのが前提のやつですかい?」


「こっちの世界にずいぶん詳しいなゴブリンさん」


「あっちの世界にも星型の城ならあるんでね」


 そんな話をしていると、部屋の奥から白い猫が現れて、あっしは思わず家具の陰に隠れた。


「ゴブリンさん、竹林院は飼い猫だから乱暴したりしないぞ?」


「そういう問題じゃないんでさ。猫はどうにも苦手なんでさ」


「ちくわちゃん、どうした?」


「うなーお」

 チクリンインだかチクワだか知らないが、白い猫はカウンターの上にひょいと飛び乗ると、あっしをジーッと見ている。


 危害を加える様子はないのでそっと見てみる。河原の野良猫たちと違って、鈴のついた首輪をしており、満腹なのか穏やかな顔でこちらを見ていた。


「なーお」


「へえ。ゴブリンと申します」


「あおー」


「へえ。どうぞよろしく」

 二代目が竹林院の首のあたりを撫でてやると、竹林院は嬉しそうに体を逸らせた。


 晴人さんも竹林院を撫でる。竹林院は嬉しそうだ。

「竹林院ってどういう意味の名前なんですかい?」


「真田信繁っていう戦国武将の奥さんの名前だ」

 サナダノブシゲ。センゴクブショー。また新しい語彙を獲得した。戦国武将というものについて聞いてみると、この国は四百年くらい前、小さな国々に分かれて戦争をしていたそうで、真田信繫というのもその武将たちの一人らしい。

 たった四百年でこんな平穏な世の中になるのかとビックリする。

 あっちの世界は何百年も人間と魔族が戦争をしていたというのに。


「まあ竹林院なんて仰々しい名前で呼ばないでも、ちくわでいいぞ?」

 ちくわ。ずいぶんカジュアルな呼び方になった。


 ちくわはしばらく二代目に甘えると、家を出ていった。

「いいんですかい?」


「ああ。ちゃんと不妊手術してあるし、ご飯時には必ず帰ってくるから。危ないものには近寄らないしな。家の中で飼ってやるのがいちばんいいんだが、親父殿が猫は外を歩くもんだ、って言うんだよ」

 そうなのか。親父殿がそう言うなら二代目に逆らう余地はなかろう。


 そういうわけで「カメラの田中」でうまいジュースを飲んだ。もうそろそろ夕方だ。あっしは段ボールハウスに帰ることにした。


 親父殿に挨拶をしにいく。親父殿は顔色があまり良くないように見える。

「もう帰るのか、ゴブリンさん」


「へえ……長居しても迷惑ですしね」


「そんなことはないんだが」

 親父殿は穏やかに笑う。


 ああこれは死期を察した人間の笑顔だ、と思った。

「これからも晴人くんと友達でいてくれるか」


「もちろんでさ」

 もうすぐ死んでしまう人間には、現実は言うべきでないだろう。そう遠くないうちに、あっしはもとの世界に帰らねばならない。


 というわけで二代目にも挨拶をして、段ボールハウスに戻ることにした。


 河原に人の姿はない。しかし段ボールハウスの横からなにやらぴぃぴぃと音がする。

 あっしは絶句した。

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