ゴブリンさんの日常
11 アフリカ
こっちの世界には便利なものがたくさんある。
まずは段ボールだ。簡易的な建材としては大変便利だし、そのうえくすねてきても人間に迷惑がかからない。
魔王陛下はあっしらに、なるべく向こうの世界を損なうな、と仰せになられた。だからあっしは、ゲートのできた河原の橋の下に、段ボールで仮住まいを建てたのである。
河原で鳥がさえずるなか目を覚ます。
まだ仮住まいを出てはいけない。犬の散歩をしているひとがいるからだ。
犬はこちらの世界でも臭うので、鼻で分かる。ゴブリンは嗅覚が鋭い。
ただこちらの世界の犬はときどき洗うらしく、ときおりいい匂いがすることもある。しかしそこは王都ブリジデル出のゴブリンなので、人間の貴族が座敷犬を飼っていたのを覚えている。あの犬たちは丁寧に毛を洗って乾かして整えていた。
いまでも、人間の住んでいたころのブリジデルを懐かしく思い出すことがある。
魔王軍に攻め落とされる以前のブリジデルは、魔族にとってもとてもいいところだった。人間と魔族がいっぺんに暮らせる土地などあそこしかない。
それを問答無用で攻め落としたのが、あっしらの親分の魔王なのだが。
犬の散歩が落ち着いたころ、段ボールの小屋を出る。あっしの任務はこの世界の調査だ。魔族の領地にするために調査しているのだが、それは無理だという気がする。
なるべくこちらの人間に気付かれるな、と魔王陛下は仰せになられたのだが、あっしを目ざとく見つけた晴人さんという子供に懐かれて、あっしは人間の家に出入りするようになった。
そこで見たのは圧倒的な文明の差だった。
鏡のようなもの――テレビに映像を映し出して観たり、遊びを仕事にする人がいたり、毎日芝居をテレビに流したり。
もちろん兵器や武装の映像も見た。
でも真におそれるべきは武器ではなく、文化の成熟度ではないかとあっしは思う。
子供が見るテレビに、大学の学者が考えたからくりが出てきて、それだけでなく世の中のさまざまなものの仕組みについて解説するというのは、すべての人に余裕があるということだ。
さて、きょうはどこを調査しようか。隠れみのを取り出す。これを羽織ると姿が消える、魔王陛下から下賜された素晴らしい宝物だ。
「あっ! ゴブリンさん! 一緒に遊ぼうぜ!」
ややっ。
晴人さんだ。こっちは仕事なのだが……。
「晴人さん、遊ぶってもあっしもヒマじゃねえんでさ」
「こっちの世界のことを調査してイセカイの魔王に報告するんだろ? いいとこ連れてってやるよ!」
晴人さんは歩き始めた。あっしは、
「いいとこってなんですかい?」と首を傾げる。
「川向こうの街の本屋だ! すごいんだぜ、漫画もずららーって並んでる」
「あの。あっしは読み書きができねえんで」
「あっそっか。うーん、どうしよっかな。うーん……」
「晴人さんは学校とやらに行かにゃならんのでないですかい?」
「学校かあー。おれウソつきだって言われるんだよなあ。姉貴が漫画家なのは本当なのに」
「それは行きたくなくなりますわなあ」
晴人さんは肩をすくめた。
「とにかく学校、行きたくないからさ。遊ぶのに付き合えよ」
「……へえ」
晴人さんは背中に背負った重そうな革のカバンを下ろして、
「水切りしようぜ!」
と小石を拾ってきた。
小石を川に向かってうまく投げると、小石はぴょんぴょんと水面をはねていく。
晴人さんはそれだけのことがよほど楽しいらしい。
あっしも適当な小石を拾って投げてみる。二階ほど水面をはねて、小石は水に沈んだ。
きれいな川だ。魚もたくさん泳いでいるし、魚を食べようと鳥たちもたくさんいる。
それでありながら街につながるところは石のようなもので固められており、氾濫することはなさそうだ。この世界の文明にはずっと驚かされている。
「どうした? 水切り飽きたか?」
「なんでこの国の人たちは、空飛ぶ爆弾が落ちた次の日もこうやって遊んでるんで? いや空飛ぶ爆弾は海に落ちたって聞きましたが」
「さあな。俺そういうこと詳しくない。空飛ぶ爆弾ってミサイルのことか?」
「それでさぁ」
「うーん。わっかんないなー。でもいつものことだから」
こんなに、子供すら戦争に慣れているというのは、この国はやはり恐ろしい国だという感想を持たざるを得ない。この国だけじゃない、この世界全体がおそらくそうなのだ。
恐ろしいところに来てしまったなあ、と思う。
その一方人間は素朴だ。誰もあっしに危害を加えようとはしない。晴人さんの姉のトーコさんも、あっしをいじめたりはしない。ゴブリンは人間に毛嫌いされているのだろうに。
あるいは、この世界にはもともとゴブリンをはじめとする魔族がいないのだろうか。もしかしたら、そういう理由で恐れられることがないのかもしれない。
あちらの世界の人間は、魔族を恐れていた。命を脅かすものだったからだ。あっしらも若い娘っ子をさらってきたりたまたま棲みかに足を踏み入れた人間を滅多打ちにしたりした。
でもこちらの人間は魔族を恐れることはなく、あまつさえアイスクリームなるとんでもないお菓子を出してくれたりする。
よく分からないが、共存できるならそのほうがいいと思う。
王都ブリジデルがそんな感じだったからそう思うだけだが。
さて、晴人さんと楽しく川遊びをしてから、晴人さんの家に向かった。晴人さんの家はなにで建築してあるのか分からないが、ずいぶん古びているように感じる。
「姉貴! ゴブリンさんにおやつ出してくれよ!」
「ああん? あんたまた学校サボってるわけ? だめじゃない」
「だって学校とかクソじゃん!」
学校をクソと言い切るというのもこちらの世界のすごいところだと思う。
あちらの世界では学校に通えるのは一部の金持ちの子供だけだった。だから、子供がみんな当たり前に学校に通うこの世界はやはり先進的である。
「まああんたはあんただから、アフリカの貧しい子供を例に出してもどうしようもないからなにも言わないけどさ……」
「アフリカ?」
あっしが首をかしげると、トーコさんは壁に貼られた地図のようなものを指さして、
「わたしらが住んでるのはここで、日本っていう国。で、このあたりがアフリカ。わりと人間の手、というか文明が及んでいなくて、貧しい人もたくさんいて、学校に行けない人もいるんです」
と、分かりやすく説明してくれた。
「へえ……この世界にも貧しい人ってのはいるんですねえ」
「そりゃそうです。みんな豊かな国なんてありませんよ」
トーコさんは肩をすくめた。
「この国にも貧しい人っていうのはいるんですかい?」
「います。そりゃもうたくさん。我々の暮らしが豊かに見えるんですか?」
「毎日うまそうなもん食べてるなあとは」
「食べ物が基準ならそうかもしれませんね」
「じゃあほかの基準なら貧しい人もいるんですかい?」
「教育にどれだけお金をかけられるか、とか、家族をどれだけ持てるか、とか、衣服や住居にどれだけお金をかけられるか、とか……その基準ならうちも貧乏なほうです」
「そうなんですかい?!」
「そうですよ。こんなボロい家で暮らしてて、着てるものがだいたい安かろう悪かろうみたいなところで買った服なんですから」
「へええ……これが安かろう悪かろう……」
「簡単に言うとファストファッションってやつです。大量生産していちシーズン着たらおしまい。そういう服ですよ」
そういうトーコさんの着ている服には、なにやら絵が印刷されていて、大量生産でこれを作るっていうのは難しいんじゃないかな……と思ってしまう。
「いちシーズンっていうけど姉貴それ去年も着てたよな」
「そりゃそうだ。そんなにすぐには雑巾にしないよ」
「じゃあうっそじゃーん」
「見栄くらい張らせなさいよ。おやつ、アイスまんじゅうでいい?」
「やったー!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます