9 そのなかのひとりになりたい

「あの、二代目はLINEとかってやってます?」


「やってるよ。あ、連絡先交換しておけば晴人くんが遅くなったとき便利だな」


 というわけで二代目と連絡先を交換した。親父殿はスケベジジイの顔でにたにたしている。

「若い女の子と連絡先を交換できて嬉しかろ」


「とんでもない。俺ぁこんな子供に手を出す趣味はない。それじゃあロリコンだ」

 わたしを子供と見なしてくれる田中家が、とてもありがたく思えた。


「……二代目は、結婚しなかったのか?」

 弟が素朴な疑問を発する。それは訊いてはまずいやつでは。しかし、

「バツイチだ。子供もいない。結婚生活にむかないんだよ、俺」

 二代目はニッ、と笑った。この人たちは本当に人間が大きいなあと思う。


「だからちくわちゃんを拾ってきたんだ。な、ちくわちゃん」


「なおーう」

 竹林院は嬉しそうに瞬きした。長い、真っ白いしっぽをぱたぱたと動かしている。


「きょうはごちそうさまでした。本当にありがとうございます」


「ほとんど子供だけで暮らしてるんだろ? 困ったらいつでもおいで。きみたちは孫みたいなものだからな」

 親父殿が大らかで朗らかな笑みを浮かべた。


 弟と、「カメラの田中」を出て歩きだす。

「あんた、学校サボってカメラ屋さんに入り浸ってたわけ?」


「うん。姉貴、ヨメイセンコクってなんだ?」


「うーんと……病気になって、その病気がすごく重いひとに、あなたはあとどれくらい生きられますよ、ってお医者さんが言うこと。どうかしたの?」


「親父殿な、ヨメイセンコクされてるんだって。じゃあもうすぐ死んじゃうのか?」


「わかんないよ、余命宣告されてもそれより長く生きる人だっているんだろうし」


「そっかあ……」

 弟はよく分からない顔をしていた。そのうち家についた。


 弟とボーっとテレビを眺めながら、

「ゴブリンさんと一緒じゃなかったの?」と、弟の顔を見る。


「イセカイ? のテイレイホウコク? っていうのに行ったらしいぞ」


 ほらぁやっぱり魔王軍の斥候じゃん。これから魔王軍がドンドコ攻めてくるんじゃん。


 弟は少し眠そうな顔をしていたので、寝るといいよ、と言って先に寝てもらった。

 ゴブリンさん漫画のネームを切る。期待されるというのはつらいのだなあ、と思った。


 それを思うと、毎週面白い漫画を仕上げて雑誌に載せているプロの漫画家がどれくらい偉大なのか、しみじみと思い知る。


 わたしも、そのなかのひとりになりたい。


 ネームができたところで寝ることにした。もう十一時だ。明日は原稿に着手できると思うと楽しみだ。楽しみなことがあると寝るモチベーションが上がる。


 起きてきた。弟はテレビ体操をしていた。目が覚めるのが早い。

 ちゃんとした服(まあしまむらとユニクロなのだが……)に着替えている。体操のあとみんなのうたのイカれた歌にゲラゲラ笑いつつ、わたしは朝ごはんを用意した。

 おじゃる丸の超展開を観ながらシリアルを食べる。


「きょうは学校いく?」


「どうしよっかなあ。おれ学校行ってもウソつき扱いだからなあ」


「だって姉貴が漫画家ってウソそのものでしょ」


「ウソじゃないじゃん。姉貴漫画描いてるじゃん」


「その理屈でいけば『なろう』で小説UPしてるひとみんな小説家だよ」


「違うのか?」


「違うでしょ。あの人たちはワナビだ」


「わなび……?」

 弟はよく分からない顔をして、出かける支度を始めた。


「せめて義務教育くらいはちゃんと出てね」


「あのさ姉貴、なんで義務教育は中学までなのに、みんな高校生になるんだ?」


「昔といまで価値観が変わったんだねえ。高度経済成長期って時代には、中学校を出てすぐ働きに行くのが当たり前だったらしいんだけど」


「へえ……いまはその時代よりみんな裕福になったから、高校行くのが当たり前になったのか」


「おおむねそんなところじゃない? たとえばさ、高校出れば大学とか専門学校とか行けるから、専門学校で写真のこと勉強するって手があるよ」


「え、そんなのあるのか? 床屋さんとかアニメ作る人だけじゃなく?」


「うん、ここは田舎だから美容理容専門学校とか東京のクリエイター志望者の学校とかしか宣伝してないけど、探せば写真の専門学校だってあるはずだよ」


「……学校に行きたくなってきた。いってきまーす」

 弟は風のように家を飛び出していった。


 そのあと朝ドラを眺めた。今年の前期朝ドラはたいへん面白い。


 さて。ゴブリンさんと弟の川遊び漫画を描かねば。

 その前にXを見る。バズるのにも慣れてきたし、いつのまにやらフォロワーが千人を突破していた。すごいことだ。でも恐ろしいことだ。


 垢消ししないまでも鍵垢にするべきか、と考えて、でも鍵垢にしたらゴブリンさんを描く意味がなくなってしまうことに気付く。いろんな人に見てもらう必要がある。


 天川斗雨子を人生エンジョイ勢に追い込んだあいつらに、「天川アメリって天川斗雨子か?」と思わせなくてはならない。


 バズった過去二作はいろいろな界隈を経由して少し落ち着いてきていた。攻撃的な返信を見えなくしてくれる機能に感謝しつつ、とりあえずXを閉じる。


 手を動かしながら、人生エンジョイ勢というものについてちょっと考える。


 この概念はわたしが発明した。人間には人生ガチ勢と人生エンジョイ勢がいる。


 人生ガチ勢は例えていうならプロ棋士だ。たくさんの困難に立ち向かう代わりに、学歴を得て社会のために労働し、結婚し、人類というものを支えていく。


 一方人生エンジョイ勢というのは、まあ公民館に集まって将棋を指しているおじさんたちみたいなものだろう。大した困難もなく、たのしいまま生きていく。その代わり人類を盛り立てるようなことはできない。


 わたしだって人生ガチ勢になりたかった。高校生になって新しい友達と楽しく勉強して、美大に進学して勉強しながら漫画を描き、クールジャパンに寄与したかった。


 その夢を打ち砕いたのが、中学のころの――だめだ。これ以上思い出すとしんどくなる。

 とにかく手を動かしていればよけいなことを考えなくて済むのではないだろうか。


 そうだ、漫画家になりたいなら漫画を描かねばならない。

 弟がウソつき呼ばわりされないのが大事だ。


 できた。さっそくXにポストする。一瞬でブワァっと拡散されて、「おそろしや……」と思う。


 玄関を誰かがノックした。ドアをあけるとゴブリンさんがいた。

「どうしたんですか。弟……晴人は?」


「きょうは河原に来てませんぜ」

 そうなのか。


「トーコさん、テレビっつうのを観たいんですが」


「いいですよ」

 というわけでテレビをぽちりとつける。


 ゴブリンさんは食い入るように、午前中の情報バラエティ番組を観ている。面白いのだろうか。もっぱらドラマや映画や舞台、アイドルの新曲の宣伝なのだが。


「こっちの世界にも役者ってのはいるんですね」


「そうですね。テレビでドラマっていうのをやってるので、役者はたくさんいますね」


「ほおーん……ドラマってのはテレビで芝居をするんですかい?」


「そういうことになります」


「へえ……文化程度が進んでるんだ。ほかの番号だとどういうのをやってるんで?」

 番号がチャンネルであると理解して、えねっちけーEテレに回してみた。ちょうどピタゴラスイッチをやっていた。オープニングのピタゴラ装置が動いている。


「オヒョーッ! こいつぁすげえや! これはこのガラス玉がこう動くって計算ずくでできてるんですかい?!」


「そうですね。この機械はこの国でも特に頭のいい大学の人たちが作ってます」

 確か慶応大学じゃなかったっけ。


「てことはこれは学問のことを流すんですかい?」


「いえ、子供向けの、知恵を学ぶ番組です。それこそ小さい子供が見るやつ」

 それはピタとゴラと百科おじさんが登場して理解してもらえた。ゴブリンさんはピタゴラスイッチを食い入るように見て、

「すげえなあ。あっちの世界じゃ学問なんて一部のお金持ちか貴族じゃないと持てないものですぜ。ましてやゴブリンなんかとは縁遠い」


 と、しみじみとため息をついた。

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