3 同級生を目撃する
メジャーリーグはわたしも好きだ。第二作には日本人メジャーリーガー第一号タカ・タナカが出てくる。「違うジャイアンツだ」のくだりは何度見ても笑ってしまう。
それにしてもタナカという名前はよその国のひとにとっては呼びやすい名前なのだろうか。えねっちけーで深夜にやっていた「アストリッドとラファエル」というフランスのドラマにもタナカさんが登場していたのだが。
弟は第一作のエンドロールでこてんと寝てしまった。なんだかんだ子供なんである。
「斗雨子さん、こっちの世界では遊ぶのが仕事の人がいるんですかい?」
ゴブリンさんは首をかしげる。最初はちょっとピンと来なかったが、要するにスポーツ選手の話らしい。
「そうですね……もちろん遊びとして遊ぶ人もいますけど、職業でやっている人もいますね。それを応援するのが楽しいひともたくさんいます」
「はー……知識と教養だ」
ゴブリンさんはしみじみと頷いた。
「運動する遊びだけじゃなくて、ゲームが仕事のひともいますよ。将棋って分かります? チェスなら知ってますか?」
「ああ、コマを動かして戦う遊びですね。河原にいるとよく爺さんたちがやってますぜ」
そうなのか。
「まさかあの遊びも仕事にしている人がいるんで?」
「そうです。ふつうの職業よりずっとずっと稼げます。特殊な才能が必要ですけど」
「ええ?! いやーこの国はすごい。国民がみんな文明的だ」
「……そうでもなかったりするんですけどね」
中学の同級生たちは、なんでわたしを再起不能に追い込むまでいじめたのだろう。
それは文明的とは言わないのではないか。
たとえば本で得た知識だが、とある漁村に住んでいる猫たちを調査したところ、ボス格のオス猫が若いオス猫をいじめるらしい。すると若いオス猫はそのシーズン盛れなくなるという。
あのクラスメイトどもは猫以下なのだ。
そう思っていると窓の向こうを白い猫が悠々と歩いていった。
ゴブリンさんはびっくりしてすっこけた。
「ね、猫!」
「ゴブリンさんは猫がだめなんですか?」
「こっちの世界はこの手の動物がいておっかねえですね」
ゴブリンさん、たぶん河原で犬に追いかけ回されたんだろうな……。
猫は首輪をしていたので、多分飼い猫なのだろう。今どき外飼いとは珍しい。白猫は美しいしっぽをくにゃくにゃさせて塀の向こうに行ってしまった。
「うむう」
弟が起きてきた。目をしょぼしょぼさせている。
「どうする? 『メジャーリーグ2』観る?」
「また今度にする。河原に遊びに行く」
弟はぐいっと伸びる。健康そうだ。
「暑くない? 大丈夫?」
「おう! 行こうぜゴブリンさん! 石で水切りしようぜ!」
「へい!」
そんな調子で、弟とゴブリンさんは家を出ていった。ゴブリンさんが監督してくれるなら、中洲にざばざば入っていって流されるなんてこともないだろう。
Xを見てみる。とりあえずさっきの漫画はそこそこ伸びていた。
でももっとこう、書籍化するぐらいバズりたい。あるいはわたしの考えた話でなくて、原作があってコミカライズ、みたいなのでも構わない。
万バズ行ったら編集者さんからお声がけいただけたりするのかな。
とりあえずいまの一ページ漫画を続けるだけでは書籍化にこぎつけるのは難しかろう。新しい手が必要だ。わたしはううむ、と唸って、ふとゴブリンさんのことを思い出す。
たとえば「実録! 弟がゴブリンを連れてきた件」みたいなのを、脚色して描いたら面白いのではなかろうか。それなら話も膨らませることができそうだ。早速プロットを考える。
まあ最初の一ページはツカみが大事だ。インパクト重視だな。そんでもって、と漫画の内容を考えていて、とても楽しくてニコニコしていることに気付いた。
自分の描きたかったもの、これなのでは?
いままでさんざん「ハリウッド式脚本術」とかそういうのを読んできたわけだが、もっとシンプルに、登場人物の成長とか求めるものへのアプローチとかそういう難しいことを考えないで描いたほうがずっと楽しいのだ。楽しい漫画というのはそういうものではなかろうか。
だってドラえもんだってたいていひみつ道具で大失敗するオチなわけで、それが面白いということはやはり成長とか経験とかそういうものよりシンプルに楽しいほうがいいわけで。
とにかく久方ぶりに超絶楽しくプロットを組み、ネームを切った。
ネームができた。いまだかつてない速度だった。
いや、これいい線いくんじゃない? 作画が大変そうだけど……。
そこでふときょうの昼ごはんがよく探して見つけたものだったことを思い出す。そうだ、夕飯の買い出しに行かなきゃ。
立ち上がる。まだ十七歳だというのに腰が痛い。ずっと座っているせいだろう。
買い物用のバスケットをとる。これがあれば店員さんが詰めてくれるので、いちいち買い物袋に詰め直す必要がない。時短だ。
財布の中身を確認し、家を出る。
現実世界の光はとても眩しい。くらくらしながらスーパーに向かう。
簡単に料理できる食材や、レトルト、冷食、パックサラダ、そういうものを中心に買い物かごに入れていく。よしゃよしゃ……レジのほうを見て、ぎくりとする。
あいつ、中学の同級生だ。「和原結衣 研修中です」という名札をつけている。
和原結衣って美術部にいたよな。ボーイズラブが大好物でずっとイケメンキャラばっかり描いていた子だ。
な、なんでこんなところに。だいいちここいらへんの高校って、ほぼアルバイト禁止じゃなかったか。だいいちきょうは平日だ。
完全に挙動不審しながら別のレジを通った。
スーパーを無事脱出した。スーパーの前の自販機でドリンク剤を買ってぐびぐび飲む。
急ぎ足でスーパーの敷地を出て、家に向かう。
夏だなあ、と思う。
タチアオイが咲き、セミが鳴き、地面には逃げ水がきらめいている。
こんなに美しい季節なのに、なんでわたしは引きこもって漫画を描いているのか。
わたしだって周りの同い年みたいに高校生活を満喫したかったのに。
すべてすべて、わたしをターゲットに繰り返された誹謗中傷と暴力のせいだ。
そんな悔しい思いを抱えながら家路をてくてくと歩く。
家の前に、さっきの白猫がいた。飼い猫らしく、手を出すとスリスリしてきた。かわいい。
こんなかわいい生き物の世界にも、いじめは存在するんだよなあ。
なんだか悲しくなってしまった。
家に入り、下処理の必要なものを処理して、冷蔵庫に詰めておく。
床に大の字になって寝っ転がる。
なんだかきょうはとても疲れた。目を閉じるとそのままスヤスヤと眠りの国に突入した。
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