2 映画を観る

 突然の過呼吸。

 弟は慌てもせずビニール袋を渡してきた。すぐ過呼吸はおさまった。


 中学のことを思い出すといつもこうだ。実に困る。


 メンタルクリニックに通えば治るのだろうかとよく考えるが、ここは田舎なのでいちばん近いメンタルクリニックまで車で三十分かかる。移動手段を持たない未成年者にはしんどい距離だ。

 だいいちそういうので父さん母さんに心配をかけたくない。


 父さん母さんが存分に稼ぐためにも、わたしは無用な心配をかけることを避けねばならないのだ。


「大丈夫ですかい?」


「大丈夫です。よくあることですから」


「そうですかい? あんな苦しそうな顔なさって……」

 ゴブリンさんに心配されてしまった。


「わたしは原稿をします。大人しくテレビでも観ててください」


「はーい。録画してある自衛隊スペシャル観ていいか?」


「いいよ。なんでも好きなの観て」

 弟はこの間の金曜夜にやっていた、自衛隊の最新装備をタレントが見学する番組を見始めた。


「こ、これがこの国のチャリオットなんですかい?!」


「ちゃりおっと?」


「戦車って意味」

 わたしはそう説明し、画像を検索してみせてやった。古代エジプトの王様が馬車に乗っている画像だ。


「昔の戦車って馬車だったのか?!」


「そりゃそうだ。だって蒸気機関やらエンジンやらが発明される前はみんな馬とかロバとかラクダとかで運んでたんだから」


「へえ……姉貴、すげえな」


「ふつうに考えればそうでしょうよ」

 漫画を書くために勉強した知識なのだが、実生活でこういう役立ち方をするとは思わなかった。やはり知識というのはあればあるだけ得をする。


 中学でこっぴどくいじめられて、学校というものに恐怖感しかなくて、高校に行くのは自分で諦めたわけだが、それでも勉強はしている。

わたしは一か月で二十冊本を読むのを目標に、図書館や書店に定期的に行く。図書館はタダで、自分ではぜったいに買えないような本を借りて読める。


 そして図書館には漫画やライトノベルがないので書店ではそういう本を買ってくる。お小遣いはわりと潤沢にもらっているし、同人誌のイラストを引き受けて代金を頂くこともたまにあるのだ。


 録画を観ているゴブリンさんと弟はとても楽しそうだ。自衛隊の最新装備を、異世界のゴブリンが観て楽しいのだろうか、と思ってとある疑問に行き着く。

ゴブリンさんは、この世界を侵略するための、魔王軍の斥候なのでは?

 それなら自衛隊の最新装備を見るのは、ゴブリンさんにとって有益な情報だ。

 もしドラゴンとかそういう連中が攻め込んできたら、自衛隊でも勝てないのではないか。


 そんなことを考えつつ、ボロい板タブでガリガリと漫画を描く。液タブが欲しいのだがあまりムチャな買い物をして親を困らせてはいけない。

 だいいち液タブなんてこのメモリ不足のパソコンではまともに動かないだろうし。


 パソコンは市役所払い下げの、ギリギリサポートの終わっていないOSのものだ。一台三万円しなかったと思う。

 そういうわけでよくフリーズする。例によってまたフリーズした。強制再起動すると無事に動いたが、保存していなかったぶんの進捗が失われた。


 よし! 変な漫画できた! XにUPするぞ!

 というわけで一ページ漫画をXにUPした。ぽつぽつといいねがつく。


 諦めないことに自信があるとはいえ、反応が鈍いのはさみしいことだ。

 要するにほぼ壁打ちである。最高記録は千五百いいね八百リポストだ。それだけバズれば壁打ちではないのだが、結局そこになにかを見出して声をかけてくれる編集者さんなどはいなかったため、ただバズっただけで終わったのだ。


 いっぺん万バズしてみてーなあ―。

 ため息をつく。

 弟とゴブリンさんはちょうど自衛隊スペシャルを観終わったところのようだ。

「いやあ、この国の軍備はすげぇですねえ」


「でもこの国は戦争しないっていう憲法があるんです。だからああいう軍備を買うことに反対する人もたくさんいるんです」


「つまり抑止力つうことですかい」


「そういうことです」


「よくしりょくー?」


「ケンカの強そうな相手とはケンカしないってこと」


「あ、そういうことかあ」


 そろそろお昼だ。なんかなかったかな。戸棚を漁っているとレトルトカレー三人前が出てきた。最近のカレーはレンチンで食べられてありがたい。


 レンチン術を行使し、カレーを三人前用意した。わたしのぶんはご飯少なめだ。


 どうも食べるのが苦手だ。一人でいれば昼ごはんを食べないこともある。食べすぎると吐いてしまうのだ。ゴブリンさんは顔の中央にぽつぽつとあいた鼻でカレーの匂いを嗅いで、

「こんなに香辛料たっぷりの料理なんて初めてだ」

 と、また分かりづらいがにんまりと笑った。というわけでカレーを食べる。そこそこおいしい。


「この国は、あの戦争の装備もそうだけど、普通の家のひとがこんな豪勢なものを食える国力があるんですねえ」


「そうでもないですよ。物価がどんどん上がってて、一方で国民に入ってくるお金は変わらないのでどんどん貧しくなってるんです。お菓子もどんどん小さくなる実質値上げってやつですし、ほかの食べ物だってアホみたいに高いし」


「そうなんですかい? あっちの人族の暮らしを思うととんでもなく豊かに見えますけどね」


「まあ……それはそうでしょうね」

 あっちの世界の人族がどう暮らしているのか、わたしは漫画やライトノベルでしか知らないわけだが。


 カレーを食べたあと、きょうのノルマはこなしたので、わたしはコツコツ集めているレンタル落ちDVDで映画を観ることにした。


 サブスクに入ればいいようなものなのだが、実物のディスクがあるというのはやはりワクワクする。だいいち我が家のテレビにはネットに接続する機能がない。


 わたしの住んでいるこの川っぺりの街はクソ田舎なので映画館がない。三十分車で走ったところに名画座があって、「RRR」はそこで観た。でも流行りの映画だと県境をまたいで一時間走ったとこのシネコンでないと観られない。


 こういう環境なので、映画はどちらかというと家で観るものだ。


 家で観ていると気兼ねなくおやつを食べられるのがありがたい。

 わたしは弟に観たい映画はなにか質問してみた。


「なに観る? トトロ? カリオストロの城?」


「メジャーリーグ見たい! おれだって実写の映画見るんだからな、ガキじゃないぞ」


 しかし弟がアニメでなくメジャーリーグを観たがるとは意外だった。これが成長というやつなのだろうか。


 まあ小学六年生だ、大人っぽいことをしたい盛りであろう。大人っぽいことが「実写映画を観る」ことなのが可愛くて笑ってしまう。

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