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「そんなくだらない理由で、娘はいじめに遭ったのか? そんな、馬鹿みたいな理由で、娘は留学を切り上げて帰って来たって? で、娘は自ら命を絶ったって? そんなの信じられるか? なぁ、誰か信じられるのか!」
管理人の言葉は、果たして誰に向けられたものだったのか。栓を抜いた瓶ビールを、コップに注ぐことなくラッパ飲みにすると、改めて周囲の人間に訴えるかのごとく辺りを睨みつけた。
「ごめんなさい……。本当にごめんなさい」
きっと良心の呵責があったのだろう。香純が小声で何度も謝る。憶測でしかないが、麗里と一緒になって、管理人の娘をいじめていたに違いない。
「――娘が死んでからしばらくして、あの子の部屋から茶封筒と便箋が出てきた。今思えば、あれは本来遺書として残すつもりだったのかもしれない。そこには、日本から娘が帰ってきた理由が書かれていたよ。仲間から邪険にされた上に、ありもしない噂まで流されてしまった……ってな。日本は好きだけど、あそこにはいたくなかったって。帰ってくれば元に戻ると本人も考えていたみたいだが、日本にいるうちに相当な心の傷を負ってしまったらしい。その傷が癒えないまま、娘は自ら命を絶ったんだ」
管理人は捲し立てるかのごとく言い放つと、そこで電池が切れてしまったかのごとく、椅子に沈み込んでしまった。
「日本から帰ってきた娘のことを、もっと見てやるべきだったんだ。寄り添ってやるべきだったんだ。それを怠ったのは俺だ。俺に責任がある。でもな――そもそも、娘が日本で嫌な思いさえしなければ、心に傷を負わなければ、こんなことにならなかったんじゃないかと思うんだよ」
父として、その葛藤は相当なものだったのであろう。人間誰もが犯罪者になりたくてなっているのではないだろう。ならざるを得なかったという場合がほとんどだと思いたい。もちろん、あの孤島で発生した事件は、事実として残り続けることだろう。しかし、管理人が根っからの犯罪者のようには見えない。絶海の孤島というシチュエーションが、なにかを凶暴化させたのではないだろうか。
「そんな折、もうひとつの茶封筒を開くことがあったんだ。そこには、書きかけの原稿が入っていたんだ。もちろん、日本語ではなく、こちらの母国の言葉でな。それは――小さい頃に良く連れて行った孤島を舞台に、事件が起きる推理小説だった。娘を失った俺は、心を埋めるように原稿にのめり込んだ。ややトリックとやらに無理矢理感はあったが、実行することは充分にできた」
管理人が言葉を区切るのを待っていたかのごとく、ぽつりと安楽が呟いた。
「あの事件は……そこに書かれていた通りに行われた? いや、そんな馬鹿な話があるわけがない」
「いいや、その通りさ。さっき、君達が言っていた通り、ただ君達を殺すことだけが目的なら、別荘に置いてある食糧などもほどほどにして、わざと俺達を迎えにこなければ良かったはずなんだ。でも、実際に試してみたくなったのさ。娘の考えた物語が、どこまでの通用するものなのかを――」
管理人は娘を亡くして、きっとどこかが壊れてしまったのであろう。彼がわざわざ手を下した理由。それが、娘の書いた物語がどこまで通用するのか試したかったなんて、普通の感覚では考えないことだから。
「それで、娘さんの考えた小説では、どんなラストを迎えるんです? 現実のほうが納得できるものになりました?」
もはや、管理人は人としての何かが欠けてしまっている。そもそも、理由はどうであれ、人を殺すなんて常軌を逸脱している。気がつくと、安楽以外の人間は、自然と彼と距離を取っていた。顔馴染みだという店の店員や、レストランにいた客でさえ。安楽の問いに、管理人は小さく笑みを浮かべた。
「さぁな――少なくとも、君ほど変な探偵はいないと思うよ。素人の意見だけどね」
管理人がそう言うと、制服姿の警察官が入ってくる。海外の警察というと、日本とは全く違うイメージが強いのだが、しかしギリシャの警察は比較的日本に近い制服だった。蘭達が一目で警察だと視認できるくらいには、日本の警察官とそっくりだった。中には武装兵のような格好をしている人も混じっているから、なんとも言えないのではあるが。
「やぁ、この度はとんでもないことに巻き込まれてしまったみたいだなぁ」
おそらく、その警察官の中では位がもっとも高そうな男が、実にフレンドリーに管理人へと声をかける。現地の言葉だから、懸命に耳を傾けた。管理人は苦笑いを浮かべながら「巻き込まれた――というより、巻き込んだんだがな」と返す。頭の上に疑問符を浮かべた警察官に「まぁ、詳しいことは島に着いてから話すよ」と加えた。なんだか管理人が日本語以外を喋っていると変な感じだ。
警察のお偉さんと管理人が外に出て行くと、若い警察官が現地の言葉で話しかけてきた。
「みなさんも例の孤島で過ごされたんですよね? その時のこと、詳しく教えていただけますか?」
事件に巻き込まれてしまったわけだし、このまま警察に何も話さずに解放なんてことはないだろう。もしかすると、少し滞在する期間を伸ばして警察の捜査に協力しなければいけないのかもしれない。正直、これ以上の拘束は勘弁願いたいが、起きてしまったことが起きてしまったことだけに、仕方のないことかもしれない。
「やれやれ、これはまだまだ帰れそうにないな――」
安楽は割りかし本気なのであろう。大きな溜め息をひとつ。蘭からすれば親しかった人間が死んでいるのだから、もう少し気を遣って欲しいものだ。もっとも、蘭もまた亜純がこの世にいないという実感が薄いのであるが。
「僕達も日本に帰る前に、それぞれ自分を見つめ直したほうがいいのかもしれないな。そんなことが起きてたなんて、全く気づいてやれなかったし」
誰が彼女のいじめに加担していたのかは分からないし、犯人探しをするつもりもなさそうな榎本。彼の言葉に尽きると蘭は思った。
「とにかく、事件も解決したし、こうして五体満足でいられるわけだ。ミステリにおいて、事件が解決してから間もなくして、他の事件が起きるなんてことはないし、俺はもう一生蘭とは旅行しない――」
安楽の言葉を遮るかのごとく、厨房のほうから皿が割れたような音が響いた。続いて、血相を変えた先ほどの店員が出てくる。ひどく慌てた様子で、まだ店内に残っていた警察官のところに駆け寄った。
そして、蘭は聞いてしまった。現地の言葉でやり取りされてはいるが、店員と警察の間に飛び交う不気味なワードを。
――死んでる。
――誰かに殺されたに違いない。
「おいおい、今度は何だってんだよ……」
安楽のぼやきは、真っ青なエーゲ海の向こう側へと吸い込まれて消えたのだった。どうやら、まだ帰れそうにない。
―完―
探偵残念 ―案楽樹は渋々推理する― 鬼霧宗作 @onikiri-sousaku
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