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今回の旅行先は海外と、蘭にとっても珍しく、またおそらく安楽にとって初めてのものだったと思われる。事実、パスポートの取得方法がいまいち分からないと、何度か事前に安楽から相談をされたくらいだ。それと、正直なところ2人分の旅費はきつかった。
蘭はふと思い出す。細川の動画が撮影された時間が、なぜか蘭の時計よりも時間ほど進んでいたことを。そして、菱田のスマホの時間もまた、蘭より1時間遅れていた。その理由に今さらになって気づく。つまり、この3種の時間が存在したことこそ、ここが海外であることを指している。
菱田のスマートフォンは、俗にいうiPhoneシリーズだった。このiPhoneなるものは、位置情報よって自動的に時差を調整してくれる機能がついている。つまり、菱田のスマートフォンは、正確に現地時間を指していたのだ。それより、おおよそ9時間早かった動画の撮影日時は、ギリシャよりも9時間早く時間が進んでいる日本時間だったのだ。アンドロイドの全てではないが、一部のアンドロイドは、位置情報を参照して時間を現地時間に合わせてくれる機能はなかったはず。つまり、細川の動画撮影時間が、現地時間よりも9時間早かったというのは、そういうことなのだ。では、蘭の時計だけ菱田より1時間進んでいたのか。それは、蘭が合わせた時計が、ここギリシャでも11月の頭まで採用されているサマータイムに合わせてあったものだからなのだ。全てはここが日本ではなく、海外だからこそ生まれた時間だったというわけだ。
「でも、どうして細川は麗里ちゃんの名前を書いたの? 他の人の名前でも良かったんじゃない?」
話を円滑に進めたい。そういう時に限って、これまでほとんど喋りもしなかった香純が口を開く。なぜ、細川が麗里の名前を残したのか。そこには彼女の個人的な怒りのようなものが混ざっていた。意図は違えども、麗里の名前を使われたのが面白くないらしい。彼女にとって麗里とは、果たしてどんな存在だったのか。
「別に誰でも良かったんだと思う。それこそ、その時点で犯人ではあり得ない人物。すでに殺害されている人物なら誰でもね。あの時点で殺害されていたのは、彼と同じ大学の仲間である神楽坂さんと、うちの大学の加能亜純だった。だから、おそらく普段から目にする機会の多かった神楽坂さんの名前を書いたんだろう。それとも、あえて画数の多い漢字を使うことで、それをさらに読みにくいものにしようとしたか。まぁ、それが裏目に出てしまって、犯人は神楽坂さん――みたいな流れにもなってしまったけど。今となっては、管理人さんが犯人だと考えるのが自然だろうね」
細川が残したダイイングメッセージの意味は、それ自体にはなんの意味もなかった。むしろ、それをもみ消してしまう――もみ消さざるを得ない人物が犯人だというメッセージが込められていた。孤島に残されていた蘭達は、全員が日本人。もちろん、細川が残したメッセージの意味も分かる。だとしたら、わざわざメッセージのもみ消しはしない。なぜなら、書かれているのは自分の名前ではないから。もみ消す必要があったのは、そこに残されたメッセージがなにを意味しているのか理解できない人間。すなわち、細川の残した漢字のメッセージが、被害者の1人の名前であるということを知り得なかった人物。漢字を読めない人間ということになる。つまり、犯人は漢字の読めない外国人であることを、細川はみんなに伝えようとしたのだ。そして、それに当てはまり、また犯行に及べたのは――管理人しかいない。
「なるほど、面白いことを言う。でも、犯人は悪意ある部外者だったんだろ? しかも、日本語が読めない人間ならば、誰だって犯人になれたんじゃないか? 君達にとって日本人でない人間は俺だけじゃないだろ?」
管理人が口を挟むが、しかし食い気味に安楽が首を横に振った。
「もし、他の第三者が犯人だとすれば、そもそも別荘の構造も知らないだろうから、立ち回りが非常に困難になってしまう。それに、俺達が上陸し、別荘に到着する頃には、すでに辺りは嵐の様相を見せ始めていた。嵐ともなれば、いよいよ上陸なんて難しくなってくる。つまり、嵐が来る前に港に再上陸が可能だった外国人に犯人は限定される。それに、ダイイングメッセージというのは、受け手である俺達が、犯人のことを知っているという前提がある。もし、見ず知らずの人が犯人ならば、そもそもダイイングメッセージを残そうなんて気にはならない。彼は俺達に確実に伝わると思ったからこそ、ダイイングメッセージを残したんだ」
この島に上陸した時点で天気が怪しく、案の定とばかりに雨が降り始めた。そこから雨風が強くなるまで、そこまで時間はかからなかったはずだ。この短時間で島に上陸するチャンスがあったのは、島の近くにいた管理人だけだったのではないか。外部の人間が犯人――その、ミステリにおける御法度を念頭におくだけで、全ての事柄が解決してしまうのだから不思議だ。
「なるほどな――。では、あの時の解決劇は、俺が盗聴器で内容を聞いていることを前提に行われたものだったんだな。だったら嵐が止むと同時に、島に君達を置いてきたほうが良かったのかもしれない。そうすれば、いずれ食糧が尽き、早かれ遅かれ、君達は全滅していただろうに」
管理人がぽつりと漏らした言葉は、実に恐ろしいものだった。それをおそらく予期していたであろう安楽と榎本を除いて、全員が表情をこわばらせていた。
「だから、あの解決編を用意させてもらったんだ。無事に島から脱出するためには、あなた以外が犯人の解決編を用意し、一度は事件を解決する必要があった。そうしないと、あなたが迎えに来ないかもしれない。そう考えたからこそ、口裏を合わせて、可能な限り整合性があるような筋書きを考えたのさ」
榎本が安楽の言葉に頷く。安楽と榎本の狙いは、事件を一度解決させて、無事に本土に戻ることだった。あれも、安楽と榎本が意図的に用意したミスリードだったのである。あれを聞いて、自分が犯人だと疑われてはいないと確信したからこそ、管理人は蘭達をを迎えに来てくれたのだ。もしそうでなかったら――そこまで考えて、ふと疑問が浮かぶ。
「待って。そうやって迎えに来るように促したってことはさ、私達を島に送った後、ずっと迎えに来ないってこともできたってことだよね? それのほうがよっぽど効率いいと思わない? わざわざ島に上陸して手を下すなんてことなんてせずとも、放っておけば確実に私達を全員殺すことができたんだから――」
ここは海外。しかも、島の持ち主は管理人自身。言い方は悪いかもしれないが、あの島では管理人こそが法だった。もし、島にいる時に管理人が犯人だと暴いてしまったとしたら、下手をすると迎えに来てもらえなかったかもしれない。逆説的に彼が迎えにさえ来なければ、全員死んでいた。ゾッとする話だが、そうすれば、管理人は自分の手を全く汚すことなく、大量殺人が可能だったのではないだろうか。
「その辺りのことは、残念ながら俺にも分からない。そこから先のことを話してくれるかどうかは――管理人さん次第だよ」
安楽はそう言うと、改めてコーヒーを持ってきてくれた店員に礼を言い、ユーロ札を手渡した。慣れていないだろうに、チップのつもりなのだろう。管理人はそれを黙って眺めるだけだった。それを見た安楽がさらに口を開く。
「管理人さんがここまでの話を認めようが認めまいが、俺はこのことを警察に話そうと思う。その後の判断は警察に任せるつもりです」
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