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「彼が地下にいた理由はおおむねで予測できる。おそらくは、部屋にこもるために食糧を調達しようと考えたんだろう。そこで犯人と鉢合わせてしまったんだろうね。犯人もまた、同じく部屋にこもる必要があったわけだし」


 第一、第二の事件共に、犯人が部外者の管理人であるということになれば、アリバイなどの問題は全て解決する。しかし、それはあくまでも、犯人は部外者の人間だったと証明するだけであり、管理人が犯人であるという証拠にはならない。ここから、どのように安楽は突き崩すつもりなのか。


「さて、これはきっと犯人もご存知のことなんだろうが、被害者である彼――細川君は、死の間際にメッセージを残したんだ。地下室の床にわざわざ血文字でね。そして、さらに犯人に悟られないように胸ポケットにスマートフォンを入れ、その様子を撮影までしていた。これ、最初は彼が念のために保険をかけたんだと思っていたんだけど、よくよく考えるとなんだかおかしい。血文字で犯人の名前を書き残したことに加えて、その様子を動画で撮影していたのであれば、その名前を口に出すのがもっとも早かったんじゃないかな?」


 細川が残したダイイングメッセージは、血文字で【神楽坂麗里】という名前を残したものと、動画でその様子を映したものの2種類があった。そして、言われてみればその通りだ。あの様子を動画として残していたのならば、細川はわざわざ血文字でメッセージを残すようなことはせず、犯人の名前を口にすれば良かっただけなのだ。


「あの、それをしてしまうと、犯人に動画を撮影していたことが気づかれると思ったからじゃない? 実際、血文字は犯人には気づかれて、もみ消されていたわけだし」


 真美子の言葉に、安楽が榎本のほうへと視線をやる。事情を察したらしい榎本が「細川のスマホ――だな?」と、荷物から細川のスマートフォンを取り出し、安楽へと渡した。あの島に置いてこずに持ってきてしまったらしい。これでは、現場保全もへったくれもない。


「そう、犯人は血文字の存在に気づいて、その血文字をもみ消している。そして、その様子を彼は動画に残したかったのさ。だから、動画を撮影していることを悟られたくなかった。まぁ、名前を口にしなかった理由は、他にもありそうだけど、それはとりあえず置いておこう」


 安楽はそこで何度か咳をする。腕を組んだまま怖い顔をしている管理人に対して「何か飲み物をもらっても?」と、こんな状況下で図々しいお願いをする。管理人は少し間を置いてから「好きにするといいよ」と答えた。安楽は店員に向かってコーヒーをもう一杯注文した。おかわり自由――なんてのは、この店では通用しないのかもしれない。


「なるほど、つまり誰が例の血文字をもみ消す必要があるのか考えろと」


 細川がダイイングメッセージとして残したのは、【神楽坂麗里】という人名を漢字で書いたものだった。


「その通り。それぞれ、自分が犯人だったらと想定して考えてみて欲しいんだ。そもそも、このダイイングメッセージ……もみ消す必要があったと思うかい?」


 残された血文字のメッセージは、すでに死亡してしまっていた麗里のフルネームだった。これを犯人はもみ消した。その必要があったのかどうか。自分が犯人だったとして考えてみると……犯人の行動におかしな点が出てくる。


「私が犯人だったら消さないかも。だって、自分の名前じゃなくて、もう殺されていた神楽坂さんの名前がダイイングメッセージだったわけでしょ? 自分の名前が書かれているわけじゃないし、他の人に疑いが向く可能性があるんだったら、むしろ残しておいたほうがいいんじゃない?」


 蘭は思いついたことをそのまま口にしてみる。先に榎本の推測を聞き、一度は麗里こそが犯人であるという答えを見せられてしまったからか、ダイイングメッセージをもみ消す理由が見つからない。残しておいたほうがいいとさえ思ってしまう。


「……確かに。わざわざ消す必要はないよね」


 英梨が賛同してくれるように頷いた。頷いて同意するばかりだった香純も「消さなくても、自分の名前が書いてあるわけじゃないしね」と呟いた。


「でも、実際に血文字はもみ消されていた。それはなんでだ。むしろ、残しておいたほうが、俺達の混乱を誘えそうなのに」


 菱田はそう言って首を傾げ、榎本は何かを思いついたかのように目を見開くと「そうか、だから細川はわざわざあんなことを言ったのか――」と一言。安楽が頷き、動画を再生した。動画の中で血文字を書き残した細川は、おそらく犯人に向かって叫ぶ。


「こっ、ここに犯人の名前を書いてやった! これが見つかれば、遅かれ早かれお前は逮捕されることになるぞ! これで、お前は終わりだ! 俺はただで転んでやるほど甘くはないんだよ!」


 まるで榎本の言葉を待っていたかのようなタイミングだった。


「細川は犯人に対して、ここに犯人の名前を書いてやった――と宣言したんだ。でも、残されていたのは【神楽坂麗里】と、すでに殺害されていた人物の名前だった。さっき、みんなにも聞いたけど、仮に【神楽坂麗里】の名前が残されていても、わざわざもみ消したりしない。これこそが、わざわざ動画を回してまで彼が残したかったメッセージだったんだよ」


 店員がコーヒーを運んできたことで、言葉を区切る安楽。その店員を呼び止めて「あの、冷たいほうが良かったんだけど」と湯気の立つカップを指差す。しかし、振り返った店員は困ったように苦笑いを浮かべるばかり。


「――話の腰を折るようだが、どうも発音が悪いな。それだと伝わらないと思うよ」


 安楽に代わって榎本が店員に伝える。店員はすぐに理解してくれたのか、ホットコーヒーのカップを下げつつ、厨房のほうへと戻っていった。


「申しわけないね。実のところ本格的な海外旅行ってのは初めてで。蘭から誘われてから、慌ててパスポートを取得した経緯もあったりして――」


 安楽と蘭のやり取りを黙ってみていた英梨が「あっ、そういうことか」と呟いた。安楽が「つまり、そういうことなんだよ」と便乗。英梨が謎を全て解き明かしたと言わんばかりに続けた。


「管理人さんは――。まぁ、私達からすればなんだから当然だろうけど」


 英梨の言葉にサングラスを外した管理人は、面白くなさそうに舌打ちをした。レストランの窓からは海が一望でき、その先には真っ青なエーゲ海が広がっていた。


「その通り。管理人さんは流暢に日本語を喋るけど、日本語の読み書きはできなかったんだ。まぁ、ひらがなやカタカナならばまだしも、漢字ともなれば、読めくて当然だろう。でも、犯人は細川の日本語は理解していただろうから、ここで迷ったはずだよ。血文字で残された文字は読めないが、細川は犯人の名前を書き残したと言った。なんて読むのかがわからない字だけど、もしそれをきっかけに自分が犯人だと判明してしまったらよろしくない。そう考えた犯人は、細川が残した血文字をもみ消したんだよ。まさか、その行動に出る者こそが犯人を指しているとは思いも寄らずにね」


 蘭達が訪れたのは、日本から遥か離れたギリシャにあるエーゲ海。そこに浮かぶ島のひとつだった。日本と違って、インフラがまだ完全に仕上がっていないため、電波が入らなかったのである。


「管理人さん。あなたはここギリシャの地元漁師ですよね? あなたは流暢に日本語は喋れても、読み書きはできない。だから、細川の言葉を間に受けてしまい、ダイイングメッセージをもみ消さなばならなくなったんだ。違いますか?」

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