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【2】
「後頭部に複数の打撲痕。そのうちのひとつが脳挫傷まで引き起こしたか。現場の状況からして、細川はこの地下室で何者かに襲われたらしい。それは、壁や棚に飛び散った血液で分かる。しかも、最初の一撃では死なずに、しばらく息があったのだろう」
うつ伏せに倒れた細川の頭部付近は、彼の頭から流れ出たであろうもので血だまりができていた。その血だまりから一本の赤い筋が伸びている。
「だろうね。そうでなけりゃ、ダイイングメッセージなんて残そうとは思わないだろうから」
赤い筋の先には細川の指があり、その指から先に、血だまりとは少し違う血の広がりがあった。たっぷりと血液を広げた――というより、限りある血液を薄く乱雑に伸ばし広げたような跡。まるで、そこに書かれていた血文字を足でもみ消したような痕跡である。
細川の死体が発見されたあと、榎本と安楽、そして蘭の3人は、細川の死因などを調べるべく地下室に残った。真美子と香純を落ち着かせるため、菱田と英梨は、彼女達と共に食堂で待機することになったのだった。
「凶器は――なんだって考えられる。そこの工具箱の中にはハンマーとかも入っているしな。とにかく、鈍器のようなもので殴られたことに間違いはないね」
榎本の言葉に耳を傾けつつ、おそらくはもみ消されたであろうダイイングメッセージの跡を眺める安楽。ゆっくりと立ち上がった。
「そもそも、俺はダイイングメッセージというものに疑問を抱いていてね。例えば、死の間際だってのに、どうしてわざわざ暗号にして犯人の名前を伝えなきゃならないんだろうね? いっそのこと、犯人の名前を書けばいいと思うのは俺だけなんだろうか」
ミステリ小説などで扱われるダイイングメッセージは、それこそ探偵が頭を捻りに捻った結果、ようやく辿り着けるような難解なメッセージが多い。それを、死の間際に思いつけるような頭の回転の速さを持つものならば、そもそも自分が助かるために脳のリソースを使いそうだ。とにもかくにも、ダイイングメッセージというのは、いかにも謎解きっぽい感じがして、蘭も現実的だと思ったことがない。
「まぁ、犯人の名前を言ってしまったら、ミステリでもなんでもなくなるからね」
苦笑いを浮かべつつ、安楽の疑問に対してわざわざ反応してやる優しさを見せる榎本。周囲が気を遣ってくれているのというの、まるでそれに気づけない。ある意味図太すぎる神経は、彼の強みでもあり、また弱みでもあろう。
「大体、血で文字を書くなんて今さら古いんだよ。今やスマホが全盛期の時代だからね。いざとなったら、犯人の姿を隠し撮りしておくとか、そういうことをしたほうが、確実に犯人が誰なのかを伝えることができると思うんだ」
榎本の気遣いをよそに、持論を展開する安楽。しかし、それはそれで榎本に気づきを与えたようだった。
「そうだ。もしかすると細川のスマホになにか残っているのかもしれない。こうして、血文字で犯人を記そうとしたくらいだから、スマホでなにかを残そうとした可能性はあるだろう」
榎本と安楽は互いに頷き合うと、細川のスマホを探すべく、細川の遺体をまさぐり始めた。実にシュールな絵がどれだけ続くのかと思ったが、それは細川の胸ポケットからスマホが見つかったことで杞憂となった。
「――これ、どうやらカメラが起動したままらしい。すまないがアンドロイドの操作は慣れていないんだが、どっちか操作が分かったりしないか?」
安楽が「ちょっと貸してみてくれ」と手を差し出す。蘭もまた、スマホを初めて購入した時から今にいたるまで、全く同じシリーズを使っているため、アンドロイドの扱いには自信がなかった。
「……どうやら直近の動画データが残されているみたいだ」
安楽はそう言いながら、動画フォルダーらしいものを見せてくれた。日付と時間が羅列するサムネイルの中、もっともトップに上がっていたのが、今日の日付であり、時刻は17時13分のものとなっていた。そこで蘭はふと疑問を抱くが、しかし榎本の「ずぼらな人間がアンドロイドを持った時に良く起こることだ」との一言に、あえて言及はしないでおいた。そんな部分には一切興味を持たず、さっさとトップにあった動画を再生する安楽。
「おいおい、マジかよ。マジで死に際のメッセージが動画に残されてるよ」
まず、動画は荒い呼吸から始まった。ぽたり、ぽたり、ぽたりと赤い水滴が地面へと落ちるのを映しながら、カメラの外では苦しげな呼吸を繰り返している。カメラが地面と水平になる。きっと、スマホの録画機能を作動させたまま、カメラがポケットの外に出るように調整して、内ポケットへとしまったのであろう。うつ伏せになり、両手をついて上半身を起こしている姿が連想される。
はるか向こう側には、人の足元のようなものが見える。相変わらず呼吸は苦しそうだが、カメラの外から、指先が血に染まった指が現れる。それは、近くの地面へと向かい、動画が撮影されている前で、堂々と文字を紡ぎ出す。
「えっ? まさか、この人が犯人なの?」
安楽の背後から動画を覗き込んでいた蘭は、細川が綺麗な字で書き上げた名前を見て、思わず声をあげてしまった。その名前は、もちろん蘭も知っている名前だった。蘭の言葉に答えるかのごとく、動画内に細川の声が響く。
「こっ、ここに犯人の名前を書いてやった! これが見つかれば、遅かれ早かれお前は逮捕されることになるぞ! これで、お前は終わりだ! 俺はただで転んでやるほど甘くはないんだよ!」
おそらく、これは犯人に向けてのメッセージ。いや、警告なのではないか。しかし、なぜこんな回りくどいことをやるのか。そして、根底的な部分を揺るがす愚痴が、安楽の口からぽろり。
「いや、犯人に向けてなにかを言ってる暇があるなら、犯人の名前をダイレクトに伝えてくれてもいいのに――」
ダイイングメッセージにおいては、細川は確かに蘭達のよく知る人物の名前を書き残した。結果、ダイレクトに書いてしまった名前は消されてしまったわけだが、誰の名前を書いたのかは、明確に動画へと残されていた。犯人が動画の存在に気づいていないであろうことを前提としているのだろうが、だったら、録画しているスマホに向かって、犯人の名前を直接言ってしまったほうが早い気がする。ダイイングメッセージは、あえて犯人の気を引いて、動画の存在に気づかれぬようにするための囮のように見えなくはないのだが、それにしたってやり方が妙に回りくどい。
動画の中では確かに生きていた細川であるが、急に「うっ!」と詰まるような声を上げると、録画されている画面の位置も低くなった。地面すれすれというより、もう地面を完全に舐めているようなアングルとなり、そして、書き残したはずのメッセージが、男とも女とも分からない足でもみ消される。動画はそこで終わっていた。
「――どうやら決まりみたいだな。やっぱり僕の考えた通り、あの人が犯人なんだ。少し、裏付けのために調べたいことがある。2人共、僕に付き合ってくれないだろうか?」
眼鏡のブリッジを指で押し上げた榎本は、確認作業だとばかりに、事件が起きた場所をひとつずつ確認して歩く。
「ねぇ、いいの。このままだとイッ君じゃなくて、榎本さんが事件を解決しそうだけど」
「いいんだよ。この際、誰が探偵をしたって。結果的に無事に帰られるなら、俺はそれで構わん」
横からお株を取られてしまったのに、どこか他人任せの様子の安楽。果たして、榎本のたどり着いた答えとは。そして、この惨劇を引き起こした張本人は一体誰なのか。
「すまないけど、みんなをエントランスにでも集めてくれないか?」
確認作業を終えた榎本の言葉に「了解だ!」と駆け出した安楽の背中を見て、蘭は大きく溜め息を漏らしたのだった。
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