6

 英梨が部屋から出てきて間もなく、トレーを持ったままの菱田が螺旋階段を降りてくる。しきりに首を傾げているし、細川に拒絶でもされてしまったのか。


「――どうしたんだ? 細川とうまい具合に仲直りできなかったみたいだけど」


 まだ湯気のたつスープをトレーに乗せた菱田。食事の提供を拒絶されたのか。榎本の問いにも首を傾げる。


「いや、何度か扉をノックしてみたけど反応がなくて――。どうしたものかと思って戻ってきてみたんだ」


 どうやら、菱田は細川に会えなかったらしい。いくら立腹していたとしても、訪れてきた菱田をまる無視というのは酷いのではないだろうか。本当に部屋に引きこもるつもりか。そういう意味で考えると、返事をしないということは徹底していると考えることもできるが。


「そうか。だったら、僕も一緒に行こう。もしかすると、変なプライドが邪魔をしているだけかもしれないし、僕が話したほうが応じてくれるかもしれない」


 実はこの時点で、蘭の脳裏には嫌な予感が漂っていた。返事がないのは、反応がないのは――もしかすると、返事をしたくとも返事ができないのかもしれない。反応したくとも、もう反応できないのかもしれない。ここは、あえて細川が妙な意地を張っていると思いたい。


「あぁ、すまないね」


 菱田はそう言いつつ蘭達のほうへと視線を向けてくる。この2人はどうしようか――そのまま榎本のほうに向けられた視線は、そのような相談をしているかのように見えた。そして、あたかもその通りだったかのごとく榎本が答える。


「彼女達にも同行を願おうか。食堂に残してきた男性陣は安楽君だけだ。いざ、なにかあった時に、彼だけで女性全員を守るのは難しい。こっちはこっちで責任を持つべきだ」


 てっきり、危険だからと先に食堂に帰されると思っていたのだが、榎本は判断は違うらしい。あえて女性陣を分散させることで、リスクを軽減させる狙いがあるのだろう。


「じゃあ、私達はあなた達についていけばいいのね?」


 英梨が榎本に確認を取り、榎本が「その通りだ」と首を縦に振る。こうなると、大勢で細川の部屋に押しかけることになってしまうが大丈夫だろうか。逆に彼を刺激して、部屋から出てこないなんてことも考えられるのでは。


「それじゃ、改めて行こうか。ひねくれた天照を岩戸から引きずり出してやるんだ。まぁ、冗談ではあるが」


 榎本の冗談は、多少の教養を求められるものが多く、意味が分からない人間には、とことん分からないのではないだろうか。いや、意味が分かったところで、さほど面白くないというのが最大の欠点か。


 先頭はあくまでも菱田。それに榎本が続き、少し離れて蘭と英梨の2人。さすがに4人一度に螺旋階段をのぼると壊れてしまいそうだから、自然と分散したのであろう。実際、踏むと軋むような音が響くから、そこまでの重さには耐えられないだろう。


 螺旋階段が崩落することもなく、無事に2階へとやってきた一同。2階にのぼるのは初めてだったが、景色は1階の廊下とさほど変わらなかった。造り自体は同じだろうから当然なのであるが。


 自分の部屋以外、他人の部屋割りなどに全く興味のない蘭。当然ながら男性陣の部屋割りなど分かるわけもない。それを基準に考えると、細川の部屋へと一直線に向かえる菱田には、なんだか違和感を覚えた。ただ単純に蘭が他人の部屋を覚えないだけなのかもしれないが。


 おそらく細川の部屋であろう扉の前で立ち止まる菱田。先ほど、菱田はここを訪れているし、細川がいまだにヘソを曲げている可能性も考え、菱田が声をかけるのはリスクがあると考えたのであろう。榎本が無言で手を挙げ、菱田の前に割り込む扉をノックした。


「細川、僕だ。食事を持ってきたんだ。開けて欲しい」


 ドアをノックしながら声をかける。しかし、榎本が話したあとに続いたのは沈黙。ただただ沈黙のみ。合いの手を入れるかのごとく、外で風がいっそう強くうねった。今度は菱田が榎本の場所を奪う。


「菱田だ。さっきは本当に申し訳なかった。君にどう思われても仕方がないと思うが、一度面と向かって謝罪させて欲しいんだ」


 これまで、菱田という人間を見てきたが、ここまでへりくだっている――下手に出ている彼を見たことはない。けれども、天照の岩戸は開かない。


 今度は改めて自分の番とばかりに、榎本が菱田の前に出ようとする。その際、意図せずにドアノブに触れてしまったらしい。カチャリ……と心もとない音を発しながら、ゆっくりと扉が開いた。


「鍵がかかっていない――。ほ、細川。開けるぞ!」


 扉が開いてから中に声をかけた榎本。へそ曲がりがさらにへそを曲げたら面倒だから、あえての気遣いなのだと思ったのであるが、その気遣いは無駄となる。


「細川、おい細川。いるなら返事をしてくれ!」


 榎本の呼びかけに対しても反応はなし。菱田と榎本が互いにアイコンタクトを交わし、榎本が「細川、入るぞ」と、断りを入れて2人は中に入る。


「僕は部屋を調べる。君はトイレと風呂のほうを頼んだ」


 榎本と菱田で手分けをして部屋を探索する。ベッドの布団をめくっても細川は出てこない。ベッドの下を除いた榎本は、溜め息混じりで首を横に振る。


 トイレと風呂を調べ終えたであろう菱田が合流。互いに言葉は発せずに、緩く首を振った。すなわち、この部屋に細川はいないということか。


「あいつ、どこに行ったんだ?」


 細川の部屋はもぬけの殻というやつだった。まだ広げられていない旅行カバンだけが、むなしくベッドの上におかれたまま。持ち主だけが忽然と姿を消してしまった。


「なんにせよ、この状況で単独行動はよくない。手分けをして探そう」


 榎本と菱田が簡単に打ち合わせをする。とりあえず細川の部屋以外を調べる段取りらしい。ここの個室は、中のツマミをひねることでしか施錠することができない。よって、他の人間の部屋については普通に鍵が開いているわけだ。まずはそこから調べて回るのだ。現状において、細川の居場所としては充分に考えられる。


「御幸さん達は女性陣の部屋を調べて欲しい。まぁ、あの例の部屋は調べなくとも良さそうだがね。調べるとしても最後に回してもいいだろう」


 蘭と英梨に榎本から指示が飛ぶ。調べる必要がない部屋というのは、きっと亜純の部屋のことを指しているのだろう。あんなグロテスクな部屋、好んで細川が向かうとは思えない。


「先に部屋を調べ終えたほうが、食堂に応援を呼びに行こう。各個人の部屋に細川がいなかった場合、最悪外に出た可能性も出てくるからね」


 外は風が吹き荒ぶ嵐である.雨も酷いが、しかし出ようと思えば外に出られなくもないだろう。細川が外に出た可能性は限りなく低いが、しかしゼロではないだろう。


「それじゃあ、そっちは任せたよ」


 打ち合わせとも呼べぬ、実に簡単な段取りだけを決めると、榎本達と別れた。螺旋階段をおりると、英梨と順番に部屋を確認していく。一応、扉をノックしてみて、返事がなければ扉を開けて人が隠れられそうな場所をひと通り探す。もちろん、部屋には誰もいないから鍵もかかっていない。細川の姿も見当たらなかった。


 亜純の部屋を飛ばして全てを調べ終えると、その足でエントランスに向かう。食堂の扉を開けると、食事を終えた様子の安楽がコーヒーを飲み終えたところだった。


「……どうした? まさか、またなにかあったか?」


 蘭と英梨の様子に、コーヒカップを手にしたまま動きを止める安楽。こういう時の嫌な予感は、誰よりも強く感じたりするのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る