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「――誰かが嫌われ役をしなきゃいけないんだ。その役を自らやってくれたこと、感謝するよ」


 もちろん、榎本は菱田へのフォローも忘れない。自ら表には立とうとしないが、下手をすると菱田よりも榎本のほうが、全体を見ているのではないだろうか。リーダーに相応しいかどうは別にして。


「まぁ、そんなつもりはなかったんだがね。俺はいつもこうなんだ。ひとつのものが目に入ったら、それ以外のものは目に入らないし、これだと決めたら他人の意見なんて聞かない。だから、こちらこそ礼を言うよ」


 基本的に今日が初対面同士。菱田の言葉に榎本は照れ臭そうに「じゃあ、これで貸し借りはなしだ」と一言。みんなをまとめようと奮闘すればするほど、孤立しつつあった菱田。榎本の存在があったおかげで、彼はかなり救われたのではないだろうか。


 もはやこそこそする必要もない。細川の食事を用意した真美子が、トレーにそれらを乗せてやってくる。


「あの、これ」


 もちろん、細川のところに食事の差し入れをすることについて、菱田も異論はないだろう。そう思ったからこそ、真美子も堂々とトレーに乗せてきたのであろうが。


「彼のところに食事を持って行ってやるつもりなんだろ? だったら、俺にやらせてくれ。彼に謝っておきたいし」


 榎本の手に渡るより前に、菱田が脇からトレーを奪う。相変わらずやり方が強引というか、力業に訴えるような真似をするところはあるのだが、その動機が動機なだけに、榎本も嫌とは言えないだろう。


「分かったよ。細川は自分の言いたいことを全部言ってしまうと、意外とスッキリしていたりするところがあるから、あまり堅苦しくない形で声をかけてやってくれ。基本的に変なプライドがあるけど、そこは下手に出てやって欲しい。あいつは振り上げた拳をどう下ろしていいのか分からないだけなんだ」


 榎本から細川へ。バトンは実に穏やかに手渡された。その光景に、蘭はつくづく思ってしまうのだ。そもそも、人が殺されるようなことがなければ、当たり前の光景だったのだ。いがみ合うこともなく、本性をさらけ出すようなこともせず、お互いにバカンスを楽しめていたはず。今回の旅行のために、かなりバイトをかつかつに入れていたし、節約もした。それを今さら台無しにされたような気がして腹が立ってきた。


「それじゃ、行こうか」


 トレーを手にした菱田が先頭になって歩き出す。榎本が振り返って「用事を済ませたらここに戻ってくるから」と一言。食堂に残るのは安楽、真美子、香純の3人。菱田、榎本、蘭、英梨の4人が諸々の事情で廊下へと出ることになる。


 嵐は相変わらず止む気配がない。昼間でもずっと薄暗いため、時間の感覚がおかしくなりそうだ。


「僕が廊下で見張っているから、それぞれの部屋で化粧してもらって構わない。ただ、万が一のことを考えて鍵は開けておいて欲しい。なにかあったら遠慮せずに声を上げてくれ。まぁ、僕もなにかあったら声を上げるから、その時は助けてもらうことになるけどね」


 榎本は冗談っぽく言ったが、全く笑いが取れなかったからか、咳払いをして場をごまかした。それはさておき、廊下に立っていれば、両者の部屋の出入り口を見張ることができる。榎本は廊下の中ほどに立ち、周囲を警戒してくれるのであろう。


「俺は彼の部屋に行ってくる」


 菱田はトレーを片手に螺旋階段のほうへと向かい、そして姿を消した。無事に関係を修復することができればいいが。そんなことを考えつつ自分の部屋に戻ると、広げてあった荷物から化粧ポーチを手に取る。


 この島に来て2日目。初日から麗里が殺害され、そしておそらく日付が変わった以降に亜純が殺された。今は固まっていることで身を守っているが、これがいつまで通用するのか。しかも外は嵐であり、いつ嵐が止むかも分からない。


 蘭は軽い気持ちで安楽に声をかけたのを後悔した。いや、なんというか軽い気持ちではなかったのだ。少なくとも、彼の分の旅費まで用意したのだから、内心では一緒に来たかったのだろう。しかしながら、またしてもこうしてジンクスは本物のものとなった。これで、さらに安楽と一緒にどこかに出かけるというのは難しくなった。ハリネズミのジレンマのように、お互いがお互いの針で傷付け合う程度ならば、まだ良かったのかもしれない。だが、その針が全く無関係の他人に向けられてしまうのだ。恵まれぬ星のもとに生まれてしまったものだ。


 考えごとをしながらアイラインを引いたりしているうちに、普段通り程度の化粧は終えてしまった蘭。よそゆきの時は、ここからもう少し手間をかけるのであるが、ここでお洒落をしても仕方がない。榎本を待たせるのも悪いから、そこで化粧を切り上げて部屋の外に出た。


「おぉ、個人差はあるものだと思っていたが、随分と早いんだね」


 リネン室の中を眺めつつ、難しそうな顔をしていた榎本が、蘭の存在に気づいて振り向いた。彼の口ぶりからして、まだ英梨は戻っていないらしい。


「基本的にナチュラルメイクですから」


 少し冗談を交えながら榎本のところに向かう。神妙な面持ちの彼に「どうかしたんですか?」と問うた。


「いや、神楽坂の事件について、色々と考えていたんだ。あの時、僕達全員にアリバイがあったんだ。それなのに、神楽坂は殺されてしまった。だとしたら、誰が一体、どんな手段を使って神楽坂を殺したんだろうな――と思ってね。そこで、ある可能性にたどり着いたわけなんだが、それだと矛盾が生じるというか、あの時の自分の判断に自信がもてなくなってね」


 あの時の判断。それは、どのことを指すのか。蘭がなにも聞かずにいると、逆に榎本から意外な質問が飛んできた。


「御幸さんに聞きたいんだが、あの時――神楽坂は本当に死んでいたように見えたかい?」


 突拍子のない質問に思わず言葉を詰まらせる。それでも、当時のことを振り返ってみた。麗里が死んでいたか否か。それを判断したのは、こうして目の前にいる榎本ではないか。彼女は死んでいる――彼がそう言ったからこそ、自然と受け入れたのだが。


「少なくとも、遠目で見た感じだと死んでましたね。顔色も悪かったし」


 蘭の答えに「そう、僕もそこで先入観を持ってしまって、ある可能性を捨ててしまっていたんだ」と首を横に振ると続ける。


「あの時、僕は神楽坂の手首の脈を見て、死亡していると判断した。でも、腋窩えきか――俗に脇の下に何かを挟んで圧迫していれば、手首の脈が止まっているような見せかけることが可能なんだ」


 あぁ、そんなトリックをどこかで見たことがある。ただ、あまり推理小説を読んだりはしないから、おそらく漫画が――もしくはゲーム辺りで出てきたものだろうが。


「それってつまり――」


 榎本がたどり着いた可能性は、その話を聞いた時点で、うっすらと蘭の脳裏にも浮かび上がっていた。けれども、それを言葉にするのは怖くて、あえて榎本に問う形で言葉を区切った。


「いや、余計なことを言ってみんなを混乱させるわけにはいかない。このことは、今のところ僕の胸の内にだけ秘めておこう。ただ、僕の考えが万が一にも正しければ、第二の事件の密室も説明できてしまうんだけどね」


 榎本はそう言いつつ、事件そのものを封印するかのごとく扉を閉めた。そのタイミングを待っていたかのごとく、英梨が部屋から出てきた。蘭とは違い、いつも以上にばっちりと化粧をしている。

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