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「それじゃあ、お言葉に甘えて勝手にさせてもらう! 誰もあんたに場を仕切ってくれなんて頼んでいないんだから!」
食堂から飛び出すと、観音開きの扉に頭を突っ込み、メガホンのようにして言葉を続ける細川。食堂から出てきた時に一瞬顔が見えたのであるが、顔など見えなくても、扉に頭を突っ込んでいる体型から、安易に彼だと分かったことだろう。
「せいぜい、そっちはそっちで仲良くやってくれよ! その朝食に毒が入っていないとも限らないし、人を殺した奴と同じ空間にいるなんてごめんだからな!」
どうやら随分とご立腹らしいが、細川に負けじと菱田の怒鳴り声が飛んでくる。
「それどころじゃないのに、彼女達がわざわざ作ってくれたんだ! そんなことを言う権利は君にはない! 俺は別に構わないが、彼女達には謝れって!」
ふと、コンソメの匂いが鼻腔をくすぐった。夜中に遺体を発見し、朝まで過ごした蘭達。人間のメカニズムは同期というものをするらしく、まるで安楽達の会話を聞いていたかのごとく、食事の準備をしてくれた者がいるようだ。
「空気を読めって言ってるんだよ! あんた達は見てないかもしれないけど、俺と榎本はバラバラにされた神楽坂達の死体を見てるんだぞ! 飯なんか食えるかよ!」
捨て台詞とばかりに吐き捨てた細川。ごく当たり前のように腹が減ったこともあって戻ってきた蘭達ではあるが、食欲など沸きようが人もいるということを忘れていた。あの時、部屋に足を踏み入れた榎本はもちろん、蘭よりもはっきりと部屋の中を見てしまった細川は、きっと食事どころではないのだろう。
「どこに行くつもりだい?」
憤慨した様子で廊下のほうに向かおうとする細川。それを安楽が引き止めたのは、ちょうど彼と蘭達がすれ違った時のことだった。振り返った細川は、いまだに怒りが冷めやらぬといった様子で声を荒げた。
「自分の部屋にこもるんだよ!」
そうとだけ告げ、さっさと部屋に戻ろうとしたのであろう。踵を返した細川を「ちょっと待ったほうがいい!」と呼び止める安楽。怪訝そうな表情を浮かべながら振り返った細川に対して、安楽は口を開く。
「サメ映画の冒頭でイチャイチャするカップル。ゾンビ映画でやたらと主人公にいじわるをするやつ、そして――ミステリで部屋にこもろうとするやつ。こういうタイプの人達は……大抵死ぬ。気持ちは分からなくないが、今は大人しくみんなと一緒にいればいい」
あぁ、また変なスイッチが入ったのか。なかば呆れると同時に、このような時でも自分のペースで動ける安楽が少しばかり心強かったりもする。
「大体、料理に毒が入っているかもしれないと思うなら、食べなきゃいいだけだろう? それなのに、なんでわざわざ別行動を取って孤立したがる? 周囲が食べてるのを我慢して見ていられないのか?」
本人はきっとあおっているつもりはないのだろう。しかしながら、その言葉は細川の手痛いところを突いたらしい。しばらくすると、細川は「ひっ、1人になりたいんだよ」と呟いた。
「止めはしない。止めはしないが、殺人鬼を警戒するあまり部屋に引きこもったやつ、翌朝死体で見つかる説があるくらいだからな。自己判断に任せはするけど、どうぞ気をつけて」
引き止めておきながら、あえて突き放す。おそらく、そこまで考えて物事を言ってはいないのだろうが、その安楽の駆け引きは、多少なりとも有効だったらしい。細川がゆっくりと戻ってくる。
「べ、別に部屋にこもってもいいんだけど、そこまで言うなら……」
思ったよりもあっさりと、安楽の提案をのんだ細川。しかし、そうは問屋が卸さない。きっと声だけは食堂にも届いていたのであろう。菱田が食堂から顔を出すと、細川に向かって「どの面下げて戻ってくるつもりだ?」と唾を飛ばす。
「ちょっと、なにがあったか分からないけど、こういうことやめようよ……」
英梨が止めに入るが、しかし菱田は首を横に振る。
「いいや、こういうタイプの人間は集団にいるべきじゃない。特にこんな緊急時に統率がとれないのは困るしな」
売り言葉に買い言葉。一度は落ち着いたかのように見えた細川も、菱田につられるかのように表情を強張らせる。そして、改めて言い争いが始まった。
「だから、統率をとってくれって誰がお願いしたんだよ? 大体、昨日今日会ったばかりの人間を信用して、なおかつ言うことを聞けなんて無理な話なんだよ! まぁ、あんたにそれだけのリーダーシップがないってだけの話だけどさ!」
わざわざ状況を察せずとも、なにが起きたのは安易に分かる。菱田は元より、他人より上に立とうとしたがるところがある。大学のサークルでは歳上ということもあるし、また男性ということもあって、それについて自然とみんな受け入れたというか、そもそもサークルを引っ張っていこうとする人間が他にいなかったから、上手く回っていたのだと思う。それと同じ気になって、菱田がここでもリーダーシップを取ろうとした。しかしながら、そこに細川が噛み付いたという形なのであろう。
「こういう時だからこそ団結すべきなんだ! 力を合わせて――」
「力を合わせてどうすんだ? その団結したメンバーの中に人殺しがいるのに? しかも、第一の事件と第二の事件において、巧妙に人を殺した狡猾なやつが混じってるんだ。それなのに、みんな仲良しこよしをするのか?」
言い返す言葉が見当たらないのか、そこで菱田が言葉に詰まった。それを見た細川は鼻で笑うと、改めて廊下のほうへと向き直る。そして、安楽のほうをちらりと見ると、声のトーンを戻しながら言った。
「ご覧の通り、俺にはもう戻れる場所がない。それでも、引き留めてくれてありがとう。まぁ、部屋には鍵がかかるし、そうそうベッタベタな展開にもならないはずだ。だから、俺は部屋にこもるよ。ただ、安楽君――もし、俺でもなにか力になれることがあったら遠慮なく言ってくれ。君の申し出ならば、俺も応えるからさ」
その言葉は素直な細川の気持ちなのか。それとも菱田に対する当てつけなのか。はたまた細川としては味方を作っておきたかったのか。安楽に対してそう言い残すと、細川は廊下のほうへと姿を消した。
しんと静まり返ったエントランス。自然と蘭達から向けられた視線に「まぁ、意見がくいちがうことくらいあるさ」とだけ漏らし、菱田は食堂へと戻った。続いて食堂に戻ると、テーブルの上にスープと焼いたバケットが並べられていた。スープはカップに入っているし、バケットにいたっては、キッチンペーパーの上に並べられているだけだが、朝食としては上等だ。しっかりと細川の分まで用意されているのが、なんだか寂しく見えた。
真美子と香純は食堂の隅に立って、心配そうに菱田の言葉を待っているようだった。榎本だけは着席し、バケットにバターを塗って頬張っていた。バケットなんて地下になかったから、誰かがあらかじめ買っておいたものなのだろう。
「食える時に食っておいたほうがいい。スープも冷めたらまずくなるからな」
一口を飲み込んだ榎本は、蘭達の姿を見るなりそう一言。彼も細川と同様に、いいや、ここにいる誰よりも亜純達の死体を目にすることになったであろうに、食事はしっかりと食べられるらしい。もしかして、彼女達の遺体をあんな風にしたのは――というところまで考えて、蘭は首を横に振った。
「――食べないのか? このスープなんて、限られた食材だけで作られたはずなのに、店で出てくるレベルだぞ」
スープを口に運び、それを褒めちぎる榎本。その時に気づいてしまった。香純の目が真っ赤になってしまっていることに。少しでも榎本のことを疑った自分が恥ずかしくなった。彼は行動は、彼女達を気遣ってのものなのだ。
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