深まる謎と疑惑
深まる謎と疑惑 1
【1】
「電話は繋がらない。嵐のせいで船も出せない。なんか、本当にテンプレの推理小説みたいになってきたね」
リネン室に向かう道中で英梨が呟いた。このテンプレのミステリを呼び寄せてしまったことに、多少なりとも責任を感じている蘭は、少しばかり気の利いたことを言ったつもりだった。
「でも、どんな三文小説でも、必ず最後には探偵が解決する。だから、この事件もきっと――」
その探偵役が蘭の言葉を隣から喰った。
「いや、最近のは探偵そのものが犯人だったり、全員が死んでしまったあとに犯人がほくそ笑む――なんて結末の推理小説も増えてる。だから油断は禁物だ。もっと言ってしまえば、この状況で犯人を探し出そうなんて、次のターゲットは自分にして下さいと言っているようなものなんだ。いざとなった時、自分の身は自分で守ってくれよ」
せっかく、少しでも英梨の不安を緩和できればと思ったが、安楽がそれを邪魔した。少しは気を遣えないのだろうか。
外は相変わらずの嵐で薄暗いが、しかし時刻は7時を過ぎようとしていた。あの後、今後の方針を決めるということで食堂に集まったものの、菱田が示した指針は、嵐が止み、予定通り船が迎えに来るまで、可能な限りみんなでひとつの場所に集まっておく――というものだった。その意見に異論をとなえる者はいなかったが、しかし諸手を挙げて賛同する者もいなかった。起きていることが非現実的すぎて、頭の処理が追いつかない。重要な判断は他人任せにするのがもっとも簡単だ。
もう一度、現場を調べておきたい。そう、安楽が言い出した――正確には蘭がそう言わせたのがついさっきのこと。危険を伴うかもしれないから、単独での行動は認めないと菱田が言い出したものだから、蘭が同行者として立候補した。その際、英梨もまた挙手したゆえに、こうして3人でリネン室へと向かうことになった。蘭は安楽の幼馴染であるし、例えジンクスに過ぎずとも、このような事態を引き起こした責任のようなものを感じていたから、こうして安楽と行動を共にするが、英梨はどんな気持ちで同行しようと考えたのか。そこまでほじくり返す気にはなれなかった。
リネン室の前にたどり着くと、安楽がドアノブに手を伸ばし、そしてゆっくりと扉を開ける。そこにはすでに麗里の遺体がないとわかっているだろうに、随分と慎重だった。
「まずは、ざっと事件を振り返ってみようか」
大きく溜め息を漏らすと、自分に言い聞かせるかように呟く安楽。麗里の遺体はさっぱりと消え、事件の痕跡と、彼女にかけられていたシーツが残されている。長年使われていなかったであろう洗濯機と乾燥機が、次に使われるのはいつかと待ち望んでいるように見えた。残念ながら、次はきっとこない。気味悪がって、誰もここで洗濯などしないだろうから。
「といっても、その――彼女の死体は……」
英梨がちらりと廊下のほうに視線をやる。そう、彼女の死体は亜純が使っていた部屋にある。
「それも大きな疑問のひとつなんだよな。なぜ、彼女の死体はここから部屋まで動かされたんだろう? 犯行はおそらく深夜の時間帯に実行されたんだろうけど、わざわざリネン室から現場となった部屋まで死体を動かした意味が分からない」
リネン室の中を見渡しながら、安楽は誰に言うでもなく呟く。この、誰かに話しかけているのか、それとも独り言で考えをまとめているのか分からない声のボリュームと仕草が、安楽を気持ち悪い存在に仕立て上げている。いや、これまで一緒に何度も事件に巻き込まれてきた蘭なら断言してもいいだろう。普通、探偵役が推理をする時は、賢くて格好良く見えるものなのだろうが、安楽の場合は正直気味が悪い。
「それは後回しにするとして、まずはこの事件から振り返ろう。悲鳴が聞こえた時、俺達男性陣と蘭は地下にいた。そこから離れた者はいない。これは確実だ。だが、女性陣はそうだったのだろうか?」
麗里が倒れていたであろう場所にしゃがみ込むと、今は外から板を打ちつけられているという勝手口のほうへと視線をやる。
「女性陣はそうだったろうか?」
それが独り言ではなく、おそらく英梨に向けての問いかけだと分かったのは、あえて安楽が言い直したからだった。そうでなければ、きっと気づけやしない。声の大きさも小さいし、視線はずっと勝手口のほうに向けられているのだから。
「い、いや。多分みんな一緒にいたんじゃないかな。途中で抜けたのは殺された神楽坂さんだけで、他の人は誰も食堂から離れていないと思う」
「1秒足りとも?」
現場にはご丁寧に、麗里の胸に突き刺さっていたナタが残されている。しかも、ピアノ線も繋がったままのようだ。
「分かってるとは思うけど、食堂からエントランスに出るには、観音開きの扉を開ける必要があるじゃない? あれ、開閉する時かなり目立つのよ。だから、私達は神楽坂さんが食堂を出て行ったことには全員気づいていたわけだし」
安楽のぶつぶつと独り言を交えての推理が、いよいよ気持ち悪く見えたのか、英梨が蘭にだけ聞こえるように「この人……なんか怖いんだけど」と耳打ちしてくる。それに対して苦笑いを浮かべるしかなかった。
「――本当だね? なんせあれだ。次に殺されるのは俺かもしれないんだ。だって、こうして現場調べてるもん。犯人からしたら、さぞ俺が邪魔な存在になってんじゃないの? どの探偵小説でも、そういうやつがいるにも関わらず、自分の計画だけを頑なに実行する犯人ばかりだから、最終的に謎を暴かれんじゃねぇの? あの、国民的キッズアニメのバイキンもさ、アンパン本人じゃなくて、アンパンの顔作ってるおっさんを殺れば、簡単に勝てるんじゃねぇか? もっと頭使えばいいのにっ!」
このような時、安楽は一種のトランス状態に入っている。ゆえに、時に乱心したようなことを口にしたり、妄言を口にしたりする。だから周囲から気持ち悪がられてしまうのであるが、背に腹はかえられない。
「あの、誰も食堂から出ていません。これは間違いないと断言できるわ」
英梨がやや強めの口調で返すと、安楽は何度か頷きつつ「まぁ、やっぱり気になるのはピアノ線だよなぁ」と、独り言を漏らしつつ勝手口のほうへ。
勝手口を開けるためかドアノブを握ったが、しかし外から打ちつけられているせいか開かない。壁に足をかけて踏ん張る安楽。
「あ、開かないっ! そうか、外から板が打ちつけられているのか! 誰だっ! そんなことをしたのは! 俺かっ! あぁ、俺だ! もう、俺の馬鹿!」
はたから見ていて、安楽の推理を華麗だとか、格好いいだとか、知的だとか思う人はいるのだろうか。残念ながら気味が悪い。いいや、気持ち悪い。英梨がドン引きしているのが空気で分かる。
「とにかく、俺達のアリバイは完璧だ。だとしたら、誰がどうやって、彼女を殺した? やっぱりここに残されているピアノ線がなにかしら関係してくるんじゃ――」
安楽はそこで考え込むような仕草をしたが、自分を納得させるかのように「とりあえずなんらかの仕掛けをなんらかして、やんわりと被害者を殺したってことにしておくか」と頷く。その、なんらか――の部分が大事なのではないかと思うのは蘭だけか。
「次は第二の現場となった部屋か――。いや、正直あそこには入りたくないな。うん、血まみれだったから。外から見ただけでも血まみれだったし、ちょっと中を調べるってのはねぇ」
ちらりと安楽が見てきたので「私だって友達が惨殺されたところになんて入りたくないからね」と釘を刺しておいた。それにくわえて、みずから口にしたことで思い知ってしまった。亜純が死んでしまったという事実。こういう時、人間というものは意外と涙が出ないものだなと実感していた。今はそれよりも、本能が生存を優先させようとしているのかもしれない。
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