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現場に残されていた、おそらく第三者の手が入っているであろう細工。あれを施した理由をたどっていくと、自分から疑いの目を逸らそうという犯人の意図が伝わってくる。
「でも、ピアノ線だけで、どうやって彼女を殺せるんだ? 具体的にどんな仕掛けを作ればいいんだ?」
「それは……」
今度は菱田が言葉を詰まらせる番だった。細川が勝ち誇ったかのような笑みを見せながら返した。
「状況だけを見て、俺達の中に犯人がいるとか――みんなが不安になるようなことは言うもんじゃないと思うよ。今はみんなで協力すべき時だし、下手に疑心暗鬼の種をまくのはいかがなものかと思うよ」
あくまでも勝ち誇っているかのように見えるが、しかし細川の声は少しだけ震えていた。すやわち、根拠なんてなくとも、薄々と感じていたのであろう。すやわち、あのピアノ線の意味を。そして、具体的には説明できまいと菱田を攻撃して、勝った気になっているだけだ。細川が証明したのは、犯人がこの中にいるとは限らないという可能性だけだ。
「じょ、状況を整理してみよう。うん、そのほうがいい」
細川と菱田がやり合っている最中、終始ぶつぶつと呟いていた安楽。たまたま細川と菱田の会話が途切れてしまったため、その呟きがクローズアップされる。周囲の視線に気づいた安楽が言葉を止めるが、そこで蘭が「続けて」と促した。安楽は周囲を警戒するように見回したのちに言葉を紡ぐ。
「例えば、自動的に被害者の胸にナタが突き刺さるような便利な仕掛けがあったとする。何かの拍子に仕掛けが動いて被害者の胸に刺さるって仕掛けとなると、もちろん被害者からすると不意打ちでナタが襲ってくるわけだ。となると、回数が多い気がする」
安楽のスイッチが切り替わったような気がした。巻き込まれ体質の彼には、自分に被害が及ばぬようにするための本能的な回避能力がある。その回避能力が発揮されはじめたらしい。
「回数って……なんの?」
亜純がおそるおそるといった具合で問うと、安楽は「悲鳴だよ。彼女の」と答えてから続けた。
「多分だけど、あの時にみんなが聞いた悲鳴は2回だったと思うんだ。最初の悲鳴が聞こえ、そのあとしばらくしてから、もう一度悲鳴が聞こえた。あの時、地下にいた俺はそう認識しているんだけど、この認識の違いはありますか? ある人は手を挙げてほしい」
特に食堂にいた人間――蘭を除く女性陣へと安楽の視線は向けられていたような気がする。安楽本人は地下室にいたし、2度の悲鳴を受けて地下室の一同は様子を見に行くことにした。地下室の人間の認識は同じだろうから、今知るべきは食堂で掃除をしていた女性陣の認識であろう。その女性陣から手が挙がることはなかった。
「最初の悲鳴を聞いて、なんだろう――ってみんなでなって、それから少ししたら、もう一度悲鳴が聞こえて」
真美子の言葉に続いて英梨が続く。
「それで、彼女――神楽坂さんがいないことに気づいて。そうしたら、廊下のほうが騒がしくなったから、みんなで行ってみようってなったのよ」
同意するかのごとく、香純と亜純の似た者同士が頷いた。蘭達が廊下に出た時、彼女達もまた食堂からなだれ込むようにして出てきたが、これがその時のことだったのであろう。
「つまり、そちらも悲鳴は2回だったと認識しているってことでいいね?」
その認識については、それで問題なさそうだ。誰も手を挙げる者はいなかったし、別の意見を言う者もいない。それを確認した安楽は、周囲を見回すと言う。
「では、なぜ彼女は2回に渡って悲鳴を上げたのか。まず、ナタを持った何者かに遭遇したことで1回、そして実際にナタで襲われた時に1回――と考えるのが自然だと俺は思うんだ。例えば、何かしらの仕掛けを見つけたとしても、いざ悲鳴を上げるのは、自分の身の危険を感じた時だけだ。だから……」
「申し訳ないが、それは想像の範疇を出ないだろ? もしかすると、彼女がゴキブリでも見つけて悲鳴を上げた可能性だってゼロじゃないんだから」
やや苛立った様子で菱田が返すと、それに抵抗しているつもりか、あえて口調をゆっくりとする安楽。
「ですから、様々な可能性が考えられる以上、答えを結論づけるべきではないと言いたいんです。いいですか? 俺は別に菱田さんと喧嘩をしたいわけじゃなければ、言い負かしたいわけでもない。ただ……こんなところで事件に巻き込まれ、犯人に殺されるなんて事態を回避したいだけなんです」
麗里がどのようにして殺されたのか。それは現状では断定できない。それなのに、決めつけて動こうとしている菱田に警鐘を鳴らしたのであろう。
「よって、1人で外に出るのは必ずしも安全ではないということになるわけで――」
一触即発だった菱田と細川であるが、安楽が間に入ったことで、お互いに落ち着いたらしい。細川が溜め息を漏らし、そして菱田は外に続く扉へと視線をやる。
「ただ、嵐が強くなっているというのは間違いのない事実だ。風で窓が割れると危ないし、可能な限り対策はすることも間違いじゃない。ただ、安楽君の意見を聞いて、1人で作業するのはやめようと思う」
結果的にではあるが、菱田が1人で外に出るということは回避できたらしい。しかしながら、思わぬ形で安楽に白羽の矢が立った。
「それじゃ安楽君。外に出る準備をしてくれ。雨合羽は地下室にまだあったはずだ」
細川と菱田のいさかいが収まり、めでたしめでたし――といった具合に首を縦に振っていた安楽は、ワンテンポ遅れてから菱田の言葉の意味を察したのか「え?」と間抜けな声を出した。
「あらゆる可能性がある以上、1人で作業することも、犯人の可能性があるやつと作業するのもリスクが伴うということは理解できた。だとすれば、ここに来るまで俺達と全く関わりのなかった君が最も安全だ。少なくとも、俺達を殺す動機はないだろうからな」
おそらく予期していなかったであろう菱田からのご指名に、改めて「――え?」とすっとぼける安楽。慌ててつけ加える。
「いや、あらゆる可能性を考えるのであれば、俺が動機なしでも人を殺すシリアルキラーだという可能性もゼロではないわけで――」
「百歩譲ってそうだったとしても、君くらいの体格なら、なんとか力づくで組み伏せそうだ。それも考慮するのであれば、やっぱり君と外に出るのが最適解ということになるな」
必死に抵抗はしたものの、しかし菱田の考えは変わらないらしい。これは安楽が降参するしかなさそうだ。
「いや、でも――」
まだ食らいつこうとした安楽だったが、辺りが稲光りに包まれ、安楽の発言をかき消すかのごとく轟音が辺りに響いた。これまでで一番大きかった。
「できるなら明るい内に全部終わらせてしまいたい。準備をしてきてくれ」
菱田の指示に、一同の視線は安楽へと集められる。ご指名されてしまったことには同情するが、嵐は勢力を増すばかりだ。菱田の言っていることはあながち間違ってはいないし、対策できるのであれば、対策できるうちにやっておいたほうがいい。ただ大半の人間が、その対策を実際に行うほうになりたくないだけだ。
「マジかよ――。やっぱり家にいれば良かった。ここに来なきゃ良かったんだ」
周囲から集められた期待と視線に耐えきれなくなったのか、ぶつぶつと文句を垂れながらも地下室のほうへと向かう安楽。その後ろ姿に申し訳なさを感じながらも、蘭は徐々に強くなる嵐と、湧きあがる妙な胸騒ぎに、ただただ悪い予感を抱くのであった。
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