長い夜の始まり
長い夜の始まり 1
【1】
予定されていた交流会は、残念ながら中止ということになってしまった。嵐は酷くなる一方であり、時折強い風が窓を叩く。せっかくのバカンスとなるはずだったのに、しかしどうやら今日は休めないらしい。もうこの際、雨水をろ過したものでも構わないからシャワーを浴びたいし、そろそろベッドにダイブもしたい。さすがに長旅で疲れているところに、まさか殺人事件が起きてしまうなんて。今さらながらに蘭は後悔していた。面白半分で安楽を誘うんじゃなかった――。
麗里の遺体が発見されてからというもの、妙に周囲からの視線が痛いような気がする。確かに、安楽と蘭が一緒にいると何事かに巻き込まれてしまうジンクスはある。しかしながら、面白いから連れて来いと言い出したのは菱田や英梨であり、いざ連れて来て本当に事件が起きたら、なんだか自分達のせいで何かが起きてしまったと思われるのは違う気がする。
「本気か? こんな嵐の中、外に出るなんて馬鹿げてるぞ」
地下室で見つけたらしい雨合羽に身を包み、これまた地下室で見つけたという工具箱と木の板を抱える菱田を、細川が必死に止めようとしていた。
「いや、俺達は住んでいる地域柄、嵐がどれだけ恐ろしいのか知らないんだよ。九州のほうなんて、風で車が浮いたり、家が倒壊するなんて当たり前のようにある。だから、事前に対策はしておきたい」
菱田を突き動かしているのは、ここに到着してから勢力を強め続けている嵐である。確かに、このまま放っておけば、窓のひとつくらい割れてもおかしくはなさそうだ。
「申し訳ないけど僕はやらないからね。これだけの風だと、例え板を打ち付けたとしても焼け石に水だと思うし、2階部分を含めて窓を全部フォローするのは難しい。中途半端に対策しても無駄だし、外に出て怪我でもされたらたまったもんじゃない」
榎本の言葉は、菱田のことを案じて、というものではないように思える。菱田が外に行くとなれば、他の男はどうするのだ――ということになる。それを必死になって阻止しているように思えた。
「悪いけど、何かしていないとおかしくなりそうなんだ。幸いなことに外はまだ明るいし、今なら照明がなくても作業ができる」
麗里が殺害されてしまった。彼女をどうするべきか議論をした蘭達であるが、のちに警察を呼ぶことを考え、現場に残してある。真美子が持ってきてくれた白いシーツが被せられているものの、彼女の時間は息途絶えた時からずっと止まったままだ。おそらく、リネン室を使おうとする者もいないことだろう。嫌でも彼女と対面してしまうことになるのだから。
「ちょっと、イッ君も何か言ってよ。もしくは、一緒に作業を手伝ってあげるとか」
菱田と榎本達とやり取りを、少し離れたところで眺めていた女性陣と安楽。これからどうするべきか――という話し合いの場を食堂で設け、そのついでに簡単な夕食を済ませた。酒はあえて出していない。状況が状況だからと、菱田が地下室に置いてきたままになっている。酒がないことに文句の声が上がることはなかった。安楽はいまだに何かをぶつぶつ呟いていた。
「いやいや、外に出るって――雪山のペンションの話じゃねぇんだし。それこそ、チームを組んで外に出ようものなら、そのうちの誰かがはぐれたふりをして自分の頭を石で殴り、誰かに襲われたように見せかけたりするんだよ。だからチームで外に出るのはやめたほうがいい。絶対にやめたほうがいい」
またなんの話か分からないのであるが、発作が出てしまっている安楽。榎本と細川は菱田がやろうとしていることに対して、全面的に反対しているようだし、せめて安楽だけでも一緒に行動させてやったほうがいい。しかし、そんな蘭の気遣いも、菱田が首を横に振ったことで無駄になる。
「いや、申し訳ないけど1人のほうが気が楽だ。君達は中で一緒にいればいい。そうすれば、俺が犯人に襲われることもない」
その言い方に、やや声を震わせながら亜純が言う。こういう時、小柄なだけで小動物のように見えるのだから不思議だ。
「先輩、それってまるで、私達の中に――」
「いるでしょ、犯人。普通に考えて」
真美子が遮った。いや、代弁したというべきか。朝からずっと崩れぬ化粧は、きっと何度も直してはいるのだろう。そんな真美子の発言を細川は鼻で笑う。
「いやいや、普通に考えてみろよ。神楽坂の悲鳴が聞こえた時、俺達はどこにいた? 俺、榎本、菱田さんと、そこの災厄コンビは地下室にいた」
災厄コンビ――とは、間違いなく自分と安楽のことを指しているのであろう。その皮肉たっぷりの言い方に、思わず伝家の宝刀であるシャイニングウィザードが出そうになったが、ぐっと堪える。あの巨体に飛び膝蹴りは効きそうにない。しかし「じゃあ、女性陣はどこにいた?」と聞く細川の姿には変に腹が立つ。もし次があるならば、パトリオットミサイルを習得しておきたい。
「えっと、私と香純、それに天野さんと加能さんはみんなで食堂にいたよね」
真美子が答えた。同じ大学であり、かつ近しい間柄だからこそ、英梨のことを天野、そして亜純のことを加能と呼ばれると新鮮に聞こえる。
「ってことは、殺された神楽坂以外、全員アリバイがあるんだよ。誰にも神楽坂は殺せなかったってことになる。ましてや、この中に神楽坂を殺した犯人がいるなんてこと――」
「いや、だからこそ引っかかるんだよ。ナタと外に出るための扉がピアノ線で繋がれていたことがね。あれ、誰がやったんだと思う?」
そこに菱田が口を挟んだ。菱田はこの中に犯人がいると考えているようだが、もちろんそれなりの根拠はあるのだろう。細川がやや頬を引きつらせながら答えた。
「た、多分犯人だろうねぇ。なんせ、食堂から抜け出した神楽坂を殺せたのは、犯人だけなんだから」
「だとしたら何のために? あのピアノ線には何の意味があるんだ?」
追い討ちをかけるかのごとく問う菱田。細川は「それは……」と言葉を詰まらせた。
「犯人が何かしらの細工をした。あの場にいなくとも被害者を殺害できるような仕掛けを作ったんじゃ……」
相変わらず発作が起きている真っ最中の安楽であるが、はたから見るとまともに推理をしているように見えるから不思議だ。しかし、まだ安楽はぶつぶつと続ける。
「大体、よく使われるけども。ピアノ線ってトリックに使われるけど、あれってバラ売りしてねぇんだよ。大抵が10本くらいセットで売ってるんだけど、それだとコスパ悪いって絶対。しかも今時、ピアノ線より使いやすいやつ、絶対にあるだろ。なんでずっとピアノ線にこだわるかなぁ。というか、本当にピアノ線ってピアノに使われてるんか? トリックで密室を作り出す時くらいしか聞かないけど。だったら、あれピアノ線じゃなくて、密室トリック線って名前のほうが正しいんじゃ――」
前言撤回。独りで脱線していく安楽に付き合っていると、こちらがおかしくなりそうだ。その様子を見ていた菱田も、安楽の独り言は気にしないようにしているみたいだった。
「彼の言う通り、あのピアノ線は何かしらの仕掛けをほどこしたあとだと思うんだ。だとしたら何のため仕掛けはほどこされた? あれはきっと、その場にいなくとも被害者を殺害できるような仕掛けの跡なんだと思うんだ。じゃあ、そんなことをする必要があるのは誰だ? それは、その時に現場には近づけなかった人間。つまり、一見してアリバイのある俺達のいずれかってことにならないか?」
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