7
「行くぞ蘭! すごく嫌な予感がする!」
このような時の安楽の予感が、どれだけ恐ろしいものなのか蘭は知っている。その的中率は――言うまでもないだろう。きっと、安楽もそれを分かっているから、否定したくて急ぐのだろう。はたから見ると、頼もしい探偵の動きのように見えてしまうが、実情はそんなものだ。
荷物を放り出し、蘭の手を引いて地下室を飛び出す安楽。
「に、荷物はこのままにして、俺達もみんなのところに戻ろう!」
ワンテンポ遅れての菱田の声が、背後から飛んできた。ここにいるのは男性陣全員と、それに混ざって蘭。よって、掃除に回っていたのは、蘭と同じ大学の亜純と英梨、そして、あちら側のミス研メンバーである麗里、真美子、香純。合計5人となる。
地下を飛び出すと、とりあえず食堂に向かおうとしたのであろう。エントランスへと続く扉に向かった安楽が駆け出したところで、勢いよくエントランスに続く扉が開き、女性陣がなだれ込んできた。
「一体、何があったんです?」
安楽達と女性陣は廊下のなかほどで合流。女性陣の人数は4人。何がなんだか分からないといった様子の英梨が首を横に振り。代わりに亜純が「私達も分かんない」と安楽に歩み寄る。普段から尻が軽い彼女だから、このような時の行動さえあざとく見えてしまうから不思議だ。
「あの、多分だけど――さっきの悲鳴みたいなのは麗里ちゃんだと思う」
香純が口を開くと同時に、菱田、榎本、そこからさらに細川が追いつく。自然と視線が集まっていることに気づいたのか、香純はさらに続けた。確か、彼女は麗里の腰巾着と揶揄されていた気がする。
「麗里ちゃんね、掃除なんて他の大学のやつに任せておけばいいって――その、先に部屋に戻ろうとしたみたい。私もそうするように誘われたんだけど、さすがに2人も抜けたら掃除が大変だから」
あのお嬢様言葉で独特な雰囲気を持っている麗里であるが、どうやら掃除をさぼったらしい。しかも、おそらく文句を言えないであろう香純辺りを共犯に仕立て上げようとすることから、かなり手慣れているように思えた。クルーザーで真美子から愚痴を聞かされていたせいで、印象はあまり良くはなかったが、さらに麗里の印象が悪くなった。
「ということは、部屋にいるのか? まだ、部屋割りすら決めていないのに」
安楽が呟く。別荘に到着した一同は、外の天候もあって発電機を動かすことを最優先とした。それに合わせて、後に回してしまうと面倒であろう掃除もすることにしたのだ。全員分の荷物はいまだにエントランスに置いたままだ。
「いや、待て――何か変な音が聞こえないか?」
そこに細川が口を挟む。相変わらず発電機の駆動音が、地鳴りのように聞こえてはいるが、しかし確かにおかしな音がする。定期的に何かが叩きつけられるような音。その度に風の音が大きくなったり小さくなったりしていた.
「え、この音って、ここからじゃない?」
亜純がひとつの扉のほうへと視線をやった。一同もそちらに視線をやる。そこには、リネン室へとつ繋がる扉があった。
「この先ってリネン室だったよね? 確か――」
蘭がドアノブに手をかけようとすると、それを阻止するかのごとく雷鳴が鳴り響いた。タイミングを合わせたかのように風の音が強くなる。
「ここは俺が……」
菱田が蘭の前に出てドアノブを捻った。開けた途端、一陣の湿った風が突き抜ける。
「え? 麗里ちゃん?」
扉の隙間からリネン室の中を覗いた香純が、今にも泣き出しそうな声を出した。
その目は何かに驚いたかのごとく、天井に向けられたまま見開かれている。瞳は混濁しているように見えた。乾燥機に寄りかかるようにして、両足を前に放り出した姿は、尻餅をついて後退りをした結果なのか。その胸にはナタらしきものが突き立てられており、白のワンピースを朱に染めていた。
音の正体は、外開きの勝手口の扉が開いていたことによるものだった。開けたままの扉が風に煽られて音を立てていたらしい。ずっと扉を開けていたせいか、床は雨で濡れていた。
「なんてこった。これは、これは――」
菱田が焦燥したかのように言葉を詰まらせる。その脇を通り抜けて、榎本が麗里だったものに歩み寄る。
「と、とりあえず勝手口を閉めておこう」
かつて麗里だったものを見ないようにしつつ、細川が巨体を揺らしながら勝手口を閉めに行く。嵐はいよいよ本格的になったようで、少し扉に近づいただけで細川はびしょ濡れになり、そのそばから体より湯気が立ち上っていた。
「駄目だ、死んでる。ナタを突き立てられたのが致命傷になったのは間違いないね。下手をすると心臓にまで傷は達していそうだ」
手首から脈をとった榎本が首を横に振る。彼だけではなく、あちらのミス研は全員が医大生だ。だから、死体を見てもあまり動じないようだし、平気で検死をすることができてしまうのだろう。そんな榎本の隣で安楽がぶつぶつと呟いていた。
「マジかよ。だから来たくなかったんだよ。どうせこうなるんだから。あー、マジかよ」
巻き込まれ体質の安楽だからこそ、これはもっとも見たくなかった光景なのであろう。
「でも、一体誰が……ん? これはなんだ?」
榎本はそう言うと宙を掴んだ。こちらからはまるでパントマイムをしているようにしか見えないのであるが。
「これはピアノ線か。ピアノ線がナタの柄に結び付けられているみたいだ」
どうやらピアノ線が張られていたらしい。それを辿るようにして、榎本は歩く。たどり着いた先は――先ほど細川が閉めたばかりの扉の前だった。
「どういうことだ? ナタとドアノブがピアノ線で繋がれている……」
一体、麗里の身に何が起きたのか。誰がこんなことをしたのか。その辺りは定かではないが、どう見ても麗里が殺害されたことだけは間違いない。
「誰かに殺されたことだけは間違いないようだ。とりあえず、彼女の遺体をこのままにはしておけない。何か被せるものを持って来よう。今の俺達にできることは、それくらいだ」
実際にこのような場面に遭遇するのは初めてなのであろう。菱田の言葉は確かに震えていた。
一刻も早くこの場を去りたかったのか、それとも同じミス研のメンバーとしての良心が芽生えたのか。ぽつりと「私が取ってくる」と、真美子が廊下に出て行った。
「1人じゃ危ないから、誰かついて行ってやってくれ」
菱田の言葉に細川が頷き、真美子に続いて廊下へと出て行った。
「一体誰が――どうしてこんなこと」
遺体を直視はできないのか、香純が誰に言うでもなく呟く。その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
「……ちなみに、掃除の途中で姿が見えなくなった人は? その人だけでした?」
あんまり気乗りしない様子で香純に問う安楽。巻き込まれ体質の彼だからこその防衛スイッチが、どうやら入ってしまったようだ。
「はい。他のみんなはずっと一緒にいました」
同意を求めるかのごとく、亜純達のほうへと視線をやる香純。小柄なところだけではなく、名前までニアピンの香純と亜純。静かに亜純は頷いた。そこに英梨が続く。
「そうね。彼女以外はずっと食堂にいたと思う」
その言葉を聞いた安楽は、頭を抱えて「やっぱり、そうだよなぁ」と溜め息をひとつ。周囲からの視線を集めていることに気づいたのか、さらにわざとらしく大きく溜め息をついた。
「俺達男性陣全員と蘭は、地下にいた。そして、殺害された彼女を除く全員が、食堂にいたんだ」
あぁ、そうか。つまりはそういうことなのだ。これは一体、どう言うことなのであろうか。安楽の一言が、これから凄惨な連続殺人の幕開けを告げることになるとは――まだ誰も知らなかった。
「だとしたら、誰が彼女を殺したんだ?」
彼の言葉に答えるように、地鳴りに近い雷鳴が轟いた。
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