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「ほら、菱田先輩が呼んでるから行くよ」


 これ以上、菱田達を待たせるのも申し訳ない。蘭はいまだに納得していない様子の安楽の袖を引っ張ると、地下への階段を降りた。名残惜しそうに何度も振り返る安楽がうっとうしい。


 地下は思ったよりも狭く、特に天井が低かった。辺りには発電機が稼働する音が響き、ふんわりと油のにおいがするような気がした。地下室の壁際には、何段もの棚が作られていて、そこに食糧や飲み物が置いてあるようだった。


「ハイネケンにバドワイザー、でこいつはミソスか。ピルスナーに、黒ビールのシュヴァルツ。フィックスに……なんか世界のビール大集合だな」


 棚には缶ビールだけではなく、瓶ビールも置いてあった。蘭はあまり詳しくはないのだが、細川は随分と詳しいらしい。多分、ビールのあてにポテチを食べているに違いない。しかも、ポテチにはチーズを挟んでだ。だから太るのだ。


「いや、ビールだけじゃない。ワインにブランデー、それに紹興酒に焼酎まで用意してある。管理人さんに気を遣わせちゃったね」


 続いて榎本が、紹興酒の瓶を手に呟く。とにかく、酒に困ることは当分ないだろう。くわえて、船に乗る前に買い出しもしてあるから鬼に金棒だ。


「食べ物は――やっぱり別荘ってこともあって、保存が効くものばかりだな。缶詰めばっかりだ。買い出しの必要はないって管理人さんは言ってたけど、やっぱり買い出ししておいて正解だったな」


 菱田はそう言って缶詰に手を伸ばす。缶詰めには少しばかり埃が積もっていたらしく、辺りに埃が舞った。


「水の蓄えも充分だな。こんな離島だから、当然ながら水道なんて通ってないだろうからな。水はあるに越したことはない」


 みんなはお酒やら、酒のあてになりそうな缶詰に興味を示したが、安楽は水のストック量に胸を撫で下ろしたようだ。棚の一部を占領するかのごとく、これでもかと水の入ったペットボトルが並んでいる。ふと、それを見た蘭には疑問がひとつ。


「水道も通ってないってことは――お風呂とかどうすればいいんだろう? それに、トイレも流せないってこと?」


 インフラが整っておらず、電気は発電機で賄っているが、しかし水道はそうもいかない。となると、真っ先に心配になるのが風呂とトイレだ。人間、しばらく風呂に入らなくても死にはしないが、乙女としては死活問題である。


「いや、水道は通っていないけど、雨水をためて、それをろ過したものを生活用水に使っているみたいだから、トイレは心配いらないよ。雨水に抵抗があるなら、簡易式のポンプシャワーを貸してやるから言ってくれ」


 トイレについては問題ないが、ろ過してあるといっても雨水のシャワーは多少抵抗がある。多分、菱田は個人的に簡易式のポンプシャワーとやらを持ってきているのだろう。


「……蘭、いいところに気づいたな。そういうところに突っ込んでいく辺り、俺は嫌いじゃない」


 ふと、振り返ると、安楽がグッドサインを出して笑みを浮かべていた。あぁ、また彼の発作が出てしまったのだ。ミステリみたいな状況に巻き込まれてしまうがゆえに出てしまう、アンチミステリ病が。案の定、安楽はやや声量を大にして熱弁し始めた。


「ミステリでよく絶海の孤島とかが舞台になるけどね、インフラとか気にしてる人いる? ねぇ、インフラ気にしてる人います? 探偵なんて、現場に残された細かい傷なんかには気づくくせにね、どうしてインフラが整ってるって信じて疑いもしないんだろうね?」


 そう論を張られても、答えとしては「そういうものだからね」で済んでしまう。そもそも、インフラについて細かく追及していたら、殺人が起きる前に物語が終わってしまう可能性がある。だから、そこに焦点を当てないだけだろう。


「絶海の孤島だよ? それなのに、当たり前のように電気は点くし、水道も使い放題だ。挙げ句の果てには、風呂にいけばシャワーから暖かいお湯が出てくるときたもんだ。極め付けは電話線だよ。あのね、ここだけの話、孤島が舞台のミステリでも電話線通ってたりすんだよ。孤島にある、たった1軒だけの館だったりするのに。しかも、普段は人が住んでいないような状況なのに。誰が電話線わざわざ通したんだよ? 責任者出てこいよ……」


 こうなってしまった時の安楽の対処法は、とりあえずその毒を全て吐き出させてやることにある。ゆえに、あえて黙って見守る蘭。


「大体、思い切って電話線を通したとしても、大抵は犯人によって切断されんだから、無駄な抵抗はやめようぜ! 技術ってのは進歩してね、今や絶海の孤島でも携帯の電波は入るから! 大体、こんな孤島に電話線引くとして、月々の基本使用料どうなるんだよ? とんでもない額になるんじゃないの!」


 その言葉に思い出す。いや、この辺りは確か携帯の電波が入らないはずだ。しかし、蘭が指摘する前に、榎本がそれを指摘してくれた。


「基本使用料はさておき、どうやらこの辺りは電波が入らないみたいだよ」


 榎本につられて蘭もスマートフォンを肩掛けポーチから取り出した。やはり圏外だ。普通に暮らしていると、まず見ることのない2文字……圏外。


「あと、管理人さんの話だと、ここには電話線通ってないって言ってたな。つまり、迎えが来るまでの3日間、我々は外部から完全に孤立してしまっていると。これはもう、事件のひとつやふたつ、起きても不思議じゃないなぁ。しかも、この嵐じゃ迎えなんて、しばらく来ないかも」


 煽る必要などないのに、立っていたフラグをわざわざ提示する細川。榎本と彼にいたっては、どこか安楽の反応を見て楽しんでいる節がある。まぁ、行く先々で事件に巻き込まれる体質なんて、珍しくて仕方ないとは思うが。


「――マジで?」


 散々自分から話を振ったというのに、細川の言葉には、信じられないといった様子の表情を見せる安楽。なんともいじりにくいし、なんだろう――正直、ものすごく面倒くさい。


「え、待って。ここで事件が起きる。電話は通じない。迎えも3日後まで来ない――。それどころか、嵐のせいで完全に島に閉じ込められている。すなわち」


 あごに手を当て、しばらく考え込むような仕草を見せたのち、はたと何かに気づいたかのように顔を上げる安楽。


「犯人やりたい放題じゃねぇか。たまたま非番の刑事もいねぇし」


 こうなってしまうと、もう発作は止まらないだろう。ビールの入ったケースを手渡すことで、その発作を力業で止めたのは菱田だった。


「よし、それじゃあ、とりあえずこいつを運んでもらおうか。心配しなくとも、人を殺すような真似をするやつは、俺の知ってる限りじゃ1人もいない。事件が起きるかもしれないとビクビクしてるのも疲れるだろ? 今日は大いに飲んでさ、その不安みたいなのを吹っ飛ばそうぜ」


 正直なところ、ふたつの大学のミス研が集まるから、まとまりもへったくれもなく、ぐだぐだになるだろうと思っていた。しかしながら、ここで菱田が変にリーダーシップを発揮。荷物を安楽に任せることにより、場を綺麗に収める。


「あ、私もなんか持ちますよ」


 見ると、男性陣は特に酒類をケースごと持っているようだった。酒ばかりあっても仕方がないし、となると蘭が運ぶべきものは缶詰ということになるだろう。そう思った蘭が缶詰を見定めようとした時のことだった。はるか彼方から、女性の金切り声のようなものが聞こえたような気がした。ちょうど雷鳴が轟いたが、確かに雷鳴とは違う何かが混じっていた。


「……今の聞こえたか?」


「えぇ、女の人の悲鳴みたいでしたね」


 菱田と榎本が顔を見合わせる。安楽のことを煽るようなことを言っていた細川は、やや不安そうに「おいおい、マジかよ」と呟く。重苦しくなる空気を払拭するためか、菱田がややトーンを明るくした。


「心配いらないって、どうせゴキブリか何かを見つけ……」


 それを嘲笑うかのごとく、もう一度女性の悲鳴らしきものが響いた。いいや、らしきものではない。間違いなく女性の悲鳴だった。しかも、かなり切羽詰まったものだったように聞こえた。

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