8話 雹牙の始まり

「おい、ちょっと来い」


モニタールームに一人で立って深刻な顔つきで考え込んでいた雹牙ひょうがの背中に低い声が突き刺さった。

振り返れば、敵意むき出しの表情をしたかるまが腕を組んで壁にもたれかかっている。


「……うん」


雹牙は静かな声で頷いた。この高校に入ると決心した以上、かるまとのいざこざは避けては通れない。覚悟はしていた。今まであやふやにしていた全てと向き合う必要があると。その機会がこんなに早く訪れるとは思っていなかったが。


雹牙は途中ですれ違ったふうに詳しい内容は伏せて高鷲たかすに伝言を頼んだ。その際に、雹牙は気になっていたことを聞いてみた。


◇◆◇◆◇◆


『あのさ、ふうさん。入学式の日のこと、覚えてる?』

『うん。君達はリベリオンと交戦していたよね』

『いつからあの場にいたの?』

『うーん……』


ふうは考え込んだ。


『氷野くんが女の子を助けに突っ込んでいった所かな?』

『そっか……。ありがとう、ふうさん。僕達、目の前のことばっかりで本当にしなきゃいけない事を見失ってた』


雹牙が頭を下げると、ふうは微笑んだ。


『私は、君達二人ならリベリオンから女の子を助けられるって判断したから避難誘導に回っただけだよ。もし私が君達よりも早くその場に居合わせたのなら、私も同じようにしてた。規則を無視してね。君達の行動は間違ってない』

『……ありがとう。それで、ふうさん。僕達の所に来た時ー変わった事、無かった?』


雹牙はずっと気になっていたのだ。あの日、あの風は意図的に雹牙を助けてくれたように思えた。そうなれば、誰かの能力によって起こされたものである可能性が高い。


能力検査を見ていて、ふうが風の能力を使うことが明らかになった。あの時その場にいたのは、雹牙、かるま、ふう、高鷲の四人だけ。かるまではないことは確か。高鷲は分からないが、タイミングと風の力という点でふうであることはほぼ確実だった。


『変わった事…?』

「あっ、いや……ほら、なんか異様な力を感じたり……しなかったかなってー』

『異様な力……。特には感じてないかな』


ふうは首を傾げる。


『あっ、そっか。そうなんだ……。変なこと聞いて、ごめんね。今の事は忘れて。先生に伝言、お願いします』


ふうは何も知らない様子だった。雹牙はほっと胸を撫で下ろした。


ーでも、ふうさんじゃないとしたらあの風は一体……


「秘密」がばれていないのは良かったが、謎は解けないままだった。


◇◆◇◆◇◇


かるまは無言でどんどん歩いていく。雹牙はその後を少し間隔を空けてついて行っていた。アリーナから少し離れた所の道脇の芝生の上まで歩いて行ってかるまは立ち止まった。雹牙も、立ち止まる。


かるまは雹牙に背を向けたまま、何も言わない。雹牙も下を向いたまま言葉を発しなかった。


「っ……」


雹牙はかるまの雰囲気が突然変わったことを感じ取った。直感で左に飛び込む。先ほどまで雹牙がいた場所に火の玉が放たれた。火は芝生に落ちる直前で消える。


「ちっ」


かるまが舌打ちをする。彼は雹牙を見ていた。その瞳は殺気に満ちている。


ーやる気だ


雹牙は即座に立ち上がった。かるまは無言で火の玉を容赦なく打ってくる。雹牙はそれを器用によけて続ける。ーが、少しよろけた隙に火を纏った拳を雹牙の腹めがけて突き出してきた。

避けられない、と判断した雹牙は両手に力を溜めてその手を受け止めた。両手に氷を纏っていたため、火傷はしなかったもののその威力はすさまじく、後ろに体が吹き飛び芝生の地面に背中を打つ。幸いにも芝生のおかげでダメージは少なく、すぐに動けた。次の攻撃の為に体制を整えようとすると、かるまが目の前に立っていた。


「やっと見せたな。その能力……どこで手に入れたんだ?どんな汚い手を使って得た?お前は、触れたものを冷やす能力しか持ってなかったはずだよな?いつ、その力を得たんだよ?そこまでして、この学校に入りたかったのかよ。汚い手を使ってまでヒーローになりたかったのかよ!?」



かるまが声を荒げる。雹牙は唇を噛んで立ち上がった。


「確かに僕のこの力は……。でも……」


雹牙はかるまと視線を合わせて言葉を紡ごうとしたが、これまでの出来事が脳裏によぎって、視線を逸らし口をつぐんだ。


「答えられないってことは、そういうことか?何でだよ、昔は……で、でも俺はあんなにっ……なのにお前はそんな簡単に……くそっ」


かるまは悲痛な顔を見せ、言葉を吐き捨てた。その口は、何か言いたいことを言えないもどかしさに開けたり閉じたりを繰り返している。


雹牙とかるまは、昔からの仲だ。いや、仲というよりかは腐れ縁と表現した方が正しいかもしれない。

少なくとも、雹牙の記憶の中では最後にかるまと親しく話したのは10歳頃だった。それまではどこに行くにも一緒にいたが、いつの日か会話も少なくなってお互いに干渉することもなくなった。日を重ねるにつれて、かるまの雹牙に対しての当たりが強くなっていった。雹牙はその原因に心当たりがなかったが、何となく気まずくなって距離を置き始めた。


互いが互いを避け始めても、二人は小学校でも中学校でも同じ学校で同じクラスだった。運命のいたずらとしかいいようがない。そんな最中だった。雹牙の運命を大きく左右する事件が起こったのは。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ー始まりは、雹牙が4歳の時。


雹牙とかるまが通っていた幼稚園が、リベリオンに襲われた。


お迎えの時間だったため、幼稚園には保護者と子どもと先生の悲鳴が響き渡っていた。

その混乱の中心に、雹牙とかるまはいた。リベリオンを目の前にして悲鳴のような鳴き声を上げていた。リベリオンが二人に手をかけようとした時、大きな音と光と共に雷が落ちてきた。それは、的確に二人の目の前にいたリベリオンのみを貫く。光が消えた時、二人の前には火傷を負ったリベリオンが倒れていた。


「大丈夫かい?」


大きな影が二人を包み込んだ。不思議と怖くはなくて、二人は自然と顔を上げた。優しい微笑みがそこにはあった。二人を助けた「彼」は二人の頭を撫でた。


「怖かったろう?来るのが遅くなってごめんね。でも、もう、大丈夫だからね」


「彼」は二人を抱き上げた。雹牙はその強くも優しい胸の中で雹牙は気を失った。

雹牙が目を覚ました時には、病院のベッドの上にいて心配そうに自信を見つめる母の姿があった。


雹牙が「彼」の正体を知ったのは、そのすぐ後。


「彼」との出会いが雹牙の人生を大きく変えたのは言うまでもない。雹牙の夢はーヒーローになりたいという夢は紛れもなく「彼」から与えて貰った大切な宝物だった。


雹牙が再び「彼」と出会ったのは、その11年後。雹牙が15歳になったばかりの頃だった。


不運、としか言いようがない出来事だった。


雹牙がいつもと同じように授業を終えて、下校していた帰り道。その日は夜遅くまで自習をしていたので、日は既に落ちていた。街灯の灯りを頼りに見慣れた真っ暗な道を一人で歩いていた。


一人のスーツを着た男が目の前から歩いて来ていた。この時間に人を見るのは珍しいことではなかった。先程も仕事終わりの女の人と出会ったばかりだ。その男は、どこにも特徴がない、ごく普通の人だったと雹牙は記憶している。

男が雹牙の背後をとった瞬間、雹牙は口をふさがれた。抵抗しようと身を捩ると、強い力で押し倒された。顎を強く打って息が一瞬止まる。意識をなんとか保って、抵抗を続けようとした時黒い煙のような何かが雹牙を包み込んだ。肌にまとわりつくような感覚がとても気持ち悪かった。

抑え込まれたまま、雹牙は口を無理やり開けられた。黒い煙が一気に口の中に入り込んできた。吐き気が身体の奥の方から湧いて来る。異物を吐き出そうと咳を試みるが、喉の奥がひゅーという音を鳴らすだけで煙は入ってくることをやめない。次第に全身の力が抜けて抵抗することが出来なくなっていた。数秒後には、男が発生させた黒い煙は全て雹牙の体内に入っていた。


全身の骨が内側から砕かれるような感覚が雹牙を襲う。息が止まる。痛みと息苦しさを感じなくなって、意識が薄れかけ、雹牙が死を覚悟したその刹那ー突然止まりかけていた心臓が激しく動き出した。


ー息が吸える。動ける!


「かはっ」


雹牙は必死に酸素を吸い込む。


「なっ……これは、どういうことだ……?」


男が困惑の声を上げて飛びのいた。


雹牙は思考が回らないまま、立ち上がってぶつぶつと何かを呟いている男に殴りかかろうと、こぶしを握る。


自分が「触れたものを冷やす」という決して戦闘向きではない能力しか持っていない事を彼は忘れていた。


その頭の中にあるのは、この男を倒さなければ誰かが危険に晒されるかもしれないということだけ。だから、雹牙は気付かなかった。拳に力を込めた瞬間にそれが黒い靄に包まれたことに。


雹牙は音もなく男に突進していって、その頬を拳で思いっきり殴った。男は一瞬にして黒い煙に包まれて、吹き飛び、地面に落ちる前に黒い塵となって消えていった。


「え……?」


雹牙はただ殴っただけのつもりだった相手が攻撃を受けた後に目の前で消えるという光景を目にして、雹牙の頭が一気に冷静さを取り戻す。


「な、何で……?僕、一体何を……?」


思わず自分の拳を見た雹牙の心臓が大きく波打つ。


その手は黒く染まっていた。


雹牙ら手を見つめまま呆然と立ち尽くす。



「これ、何?僕、は……」


状況が段々と明白になっていくにつれて雹牙の呼吸が速くなる。過呼吸になりかけたその時、救いの声がした。


「大丈夫かい?」


あの日と同じ言葉。雹牙はすぐに誰が来たのか理解した。そして、「彼」が何をしに来たのかも。


「僕を、倒しに来たんですか……?」


「彼」はヒーローだった。

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