第54話 近所にプロレスがやってきた!

日曜日、青木はご両親を羽田空港まで迎えに行き、お昼前に家に来た。


玄関を入ると、すぐに青木のお父さんが、

「このたびはうちの息子がみさきさんを……申し訳ありません」と頭を下げた。


私を妊娠させたことを謝っているのだろう。

青木のご両親は泰造と同じくらいの歳に見えた。2人とも紺色のスーツ姿だ。


「いえいえ、うちの娘がふしだらなもので、すみません」


ふしだらはないだろう、といつもなら泰造に突っ込むのだけれど、今日は無理だ。


「まあむさ苦しい所ですが、お上がり下さい」

ご両親は家に上がる前に泰造に北海道のお土産を手渡してくれた。


中に白い恋人やレーズンバターサンドなどと一緒に、赤いサイロもあった。

前にカーリングのチームがモグモグタイムで食べてた物だ。これはうれしい。こちらでは手に入らないから。


ご両親を居間に招いて、ソファーに座っていただくと、


青木のお父さんは泰造に、

「結婚式はしなくてよろしかったのですか?みさきさんの花嫁姿も見たかったんじゃないですか?」と言った。


「2人が決めたことなので、私はそれでいいと思ってますよ。写真撮影の時に花嫁姿は見れますから大丈夫ですよ」


泰造はそう言って笑うと、向こうのご両親もホッとしたように笑った。


ホッとすると少し間が出来た。

やばい。その間に耐えられずに、

泰造は絶対昭和なことを言うぞ、と思っていたら、もう言い始めた。


「プロレスにご興味がございますか?」

泰造は常に唐突だ。


向こうのお父さんが戸惑い気味に、

「ええ、子供の頃ですが、近所の体育館に、全日本プロレスが来ました。それを見に行った覚えがあります」と言った。


「そうなんですか。私も10歳くらいの時に、近所の青果市場で、アントニオ猪木率いる新日本プロレスが興業を行ったんですよ。


小さな青果市場でどうやってプロレスやるんだろうと思ってたら、


市場の周りをレジャーシートのデカイので囲んでいて、


私は父が買ってくれたチケットを握りしめて、友達と一緒に会場に入ると、


市場の中央に子供の目から見て、すごく大きなリングがあり、それを囲むようにパイプチェアが並べられていて、


それを見ただけで、なんだかお祭りみたいに興奮したんですよ」


「わかります。あれはお祭りですよね」


「ですよね。それで、わりと早めに入ったから空いてる椅子にレスラーらしき人が何人か座ってて……」


「なんでレスラーってわかったの?」と私がツッコむと、


「レスラーパンツをはいていたからな」


「それは見るからにレスラーですね」向こうのご両親は笑って言った。


「はい。それで、友達とパンフレットを買っていたので、そこにレスラーのサインが欲しいねって話をしてたんですけど、


近くにレスラーがいても、サインなんかもらっていいのかわからないので、二人で悩んだ末に、


一番近くにいた、レスラーとしては少し小柄の人に、恐る恐る『あの……サインもらってもいいですか?』って言ったんですよ。


するとそのレスラーは、

すごく優しい笑顔で『いいよ』って言ってくれて、パンフレットの自分の写真のとこにサインしてくれたんです。


そのレスラーが星野勘太郎さんでした」


「懐かしいですね。私も知ってます」


「そうですか。昔は山本小鉄さんとヤマハブラザーズを組んでアメリカでタッグチャンピオンにもなりましたもんね。


で、星野勘太郎さんはサインをしてくれた上に、なんと握手までしてくれました。握手券もない時代に」


「ほんと、AkBもいない時代ですし」

そりゃあそうでしょと向こうのお父さんにツッコミたくなった。


「それで、星野勘太郎さんに快くサインしてもらった私たちは、


周りにいた他のレスラーたちにもサインをお願いしたら、みんな快くしてくれたんです。


その中にはさっき話に出た山本小鉄さんや、木戸修さんなんかもいました。みんないい人ばかりで、初めてのプロレス観戦がすごくいい印象になったのはそのおかげです。


でも肝心の試合の方はぼんやりとしか覚えてなくて、


たしかメインイベントはアントニオ猪木と坂口征二とストロング小林の3人対外人組の、タッグマッチだったとしか覚えてないんです」


「そういうものですよね。他の印象が強いと忘れますよね」


「本当そうですね。それで外人レスラーはタイガージェットシンではなかったんですね。


タイガージェットシンならサーベル片手に客席で暴れまわるから、印象に残ってるはずなので」


「今考えるとサーベル片手にって怖いですね」


「顔は加藤茶に似てましたけどね」

泰造が言うと、向こうのお父さんは笑った。


「それでレスラーのサイン入りのパンフレットは私の宝物だったんのですが、


いつの間にかなくなってしまったんです。


少年の時の宝物って、いつの間にかなくなってしまうものですね」


「わかります。私も長嶋さんのサインボールを親戚の叔父さんからいただいて、宝物にしてたのですが、いつの間にか無くなってしまいました」


「そういう物ですよね。銀のエンゼル5枚集めてやっともらったおもちゃの缶詰や、仮面ライダーカードでぎっしり詰まったアルバムとか、


そんな少年たちの宝物はきっとどこか、宝島みたいなとこに集められてみんな眠ってるんじゃないですかね。


だから本当になくしてしまった訳じゃなくて、


その宝島は大人になった私たちの、心の中にあるんじゃないでしょうか」


「とてもロマンティックなお話ですね」

向こうのお母さんが感心したように言った。


そこにうちの祖父が羽織袴姿で、いきなり入って来た。

そして泰造の頭をはたいて、

「こいつがロマンティックな訳ありませんよ」と言った後、


青木のご両親の前でいきなり土下座をして、

「みさきの祖父でございます。この度は、うちの孫娘をもらっていただいてありがとうございます。ふつつかな孫娘ですが、何卒よろしくお願いします」


祖父は床に頭をこすりつけて言った。

その姿になんだか泣けてしまった。


向こうのご両親はあわてて立ち上がって、

「どうか、どうか、お顔を上げて下さい」と言った。


でも祖父はしばらく床に頭をこすりつけ続けていた。


私は涙ぐみながら、その祖父の姿を瞳に焼き付けていた。

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