第33話 サリンジャーと大瀧詠一
ポータブルCDを片付けた後、泰造が唐突に言った。泰造は本当にいつも唐突だ。
「みさきは隠居したいと思ったことあるか?」
「ねーよ、つか24で隠居ってありえなくない?」
「たしかにな。でもアメリカには俺が生まれた年を最後に作品を発表せず、ほとんどマスコミにも登場しないで、ずっと自分の邸宅にこもりきりで、たまに写真を撮られるとニュースになるような作家がいた」
「誰?」
「J・D・サリンジャーだ。『ライ麦畑でつかまえて』で有名な」
「あ、それは知ってる」
「サリンジャーは1965年に『ハプワース16 1924年』って作品を発表してから公の場には一切出なくなった。2010年に91歳で亡くなるまで、ずっと」
「へー」
「だが日本にもそれに近いアーティストがいたのだ。それは……」
「誰?」
「大瀧詠一だ。彼は1981年に出した『A LONG BACATION』ってアルバムが大ヒットして、その後1984年に『EACH TIME 』というアルバムを出して以来、オリジナルアルバムは出していない。
大瀧詠一はソロになる前にはっぴいえんどというバンドをやっていた。作詞家になった松本隆とYMOだった細野晴臣と鈴木茂というすごいメンバーだった。ちなみにA LONG BACATIONに収録された10曲中、9曲を松本隆が作詞してる。一曲は大瀧詠一が詞を書いてるんだ。
ちなみに細野晴臣と漫画家の西岸良平は大学時代の友達だそうで、マンガの三丁目の夕日のコミックスの一巻に細野という名字の男が出て来て、晴臣さんにちょっと似てた。偶然かもしれないが。
大瀧詠一は2013年12月30日に、リンゴを食べてる時に倒れて、解離性動脈瘤で亡くなったてしまった。まだ65歳だった。その時はショックだった。いつかはオリジナルアルバムを出してくれると信じていたからだ。
でも亡くなるまでオリジナルアルバムを出さなかったってすごくないか? 29年もだ!
売れてない訳じゃないんだ。「君は天然色』って曲はちょくちょくCMで使われてるし、他のアーティストもカバーしてるし。
その間もシングルは出していて、キムタクのラブジェネレーションで使われて大ヒットした『幸せな結末』や、江口洋介の月9のドラマに使われたり『恋する二人』。
だからオリジナルアルバムも出せば売れたはずなのんだけど、出さないまま亡くなってしまったのが残念だ。
でもアルバム作らずにまったく、たまにラジオのジャイアンツ戦のゲスト解説者をやったりしてた。その時は、おいおいアルバム作ってよ、とツッコミたくなったけどな。いくら野球ファンだからってゲスト解説って!」
「たしかにね」
「だから大瀧詠一は日本のサリンジャーだと言ってしまっても過言ではない、と思う。
亡くなるまでオリジナルアルバムを出さなかった理由はなんだろうな」
「本人しかわからないんじゃない?」
「やっぱり一流のアーティストには、何かこだわりがあったのかな。でももう真実はわからないしな。
あ、なんだか大瀧詠一のロングバケーションを聴きたくなってきた。CD取って来ようっと」
「おやじ、早く寝ろよ!」
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