第9話 ジョンレノンが亡くなった日

 泰造の行きつけの居酒屋から電話があった。酔いつぶれて寝てるから迎えにきて欲しいと。


 近所なのでジャージ姿で店の暖簾をくぐると、泰造がカウンターに突っ伏して眠っていた。


「悪いね、迎えにきてもらって」大将のシゲさんが言った。シゲさんは泰造と同い年で話が合うらしい。


「いえいえ。でも珍しいね、こんなに酔っぱらうなんて」


「みさきちゃんが結婚するとか言うから」シゲさんが笑って言った。


「今すぐってわけじゃないけどね」


「それで泰造さんは、こんな風に深酒した時は決まってジョン・レノンが死んだ日の話をするんだ」


「ジョン・レノンが死んだ日の?」


「その話は耳にたこが出来るほど聞いたから全部覚えちまった。聞くかい?」


「うん」そう言って私はカウンターの椅子に座った。


「ほい、お駄賃代わり」と大将が中ジョッキとお通しのナスの煮浸しを出してくれた。


「ジョン・レノンが死んだ日、日本時間だと1980年12月9日になるのかな。


泰造さんは近所の空き地に野球をしに行こうとしてたそうだ。


それで居間のテレビがついてたから何気なく見たら、石立鉄男の『鉄道公安官』ってドラマの再放送をテレビ朝日でやってて、


そこにテロップが流れたそうだ。


元ビートルズのジョン・レノンがファンを名乗る男に射殺されたって。


泰造さんは当時、そんなにはビートルズに興味なかったそうだ。もう解散してずいぶん経ってたしね」


「そうなんだ。泰造はビートルズ世代だと思ってた」

「そう思われがちだけど、ビートルズ世代は俺たちより上の世代なんだよね。ビートルズが解散した1975年ってまだ10歳だったし、ビートルズがバリバリ現役時代は子供だったよ。


ビートルズが初来日したのは一歳の時だしね」


シゲさんと泰造は同い年だと前に聞いていた。


「それで泰造さんは広場にいた友達にジョンが死んだって話したそうだ。


その中の一人が、ええっ! って顔をして『嘘だろ?』って泰造さんに詰め寄ってきたから、


泰造さんが、そうテロップが流れてたから本当だと言うと、その友達はちょっと確認してくるからって家に帰ったそうだ。


ケータイのない時代だから、その場で調べるなんて出来ないしね。


その友達は少ない小遣いを貯めてはビートルズのLPレコードを買っていて、


泰造さんも勧められて『アビーロード』ってアルバムを借りたことがあったそうだ。


で、泰造さんたちは彼がすぐ戻ってくると思って、野球をしながら待っていたそうだが、結局彼は戻って来なかった。


よっぽどショックだったのかと思い、ジョンの死を教えたことを後悔したそうだ。でも教えなくてもすぐにわかるんだけどね。


泰造さんが野球を終えて家に帰ると、夕方のニュース番組が全部ジョン・レノンが凶弾に倒れたニュースをやっていて、


ジョンが『スタンドバイミー』を歌う姿が何度も何度も流れていた。


テレビ全局がトップニュースで取り上げるほど、これは大変なことなんだ。

その時、泰造さんは初めて、とんでもないことが起きてしまったんだと認識したそうだ。


その友達が受けたショックが、そのまま我が身に降りかかってきたみたいだね。ちょっと言葉にできないくらいの衝撃だったって言ってたよ。


泰造さんはラジオのジョンレノンの追悼番組でジョンの曲やビートルズの頃の曲を聴いて興味を持って、自分でもジョンやビートルズのLPレコードを集めるようになったんだって。


まだ15歳だった泰造さんは、強烈にその日のことが頭に残ってて、


深く酔っぱらってくると、その時の話をして、ジョン・レノンが死んだ日に何をしていたのか、


店にいる他の常連さんたちに聞いてまわるんだよね」


「そっか」


「でもジョンレノンが死んだ日に自分が何をしていたか覚えてる人はほとんどいなかった。


時が流れるってこういうことなんだなって、泰造さんはよく言ってたな。ジョンが死んだ日は永遠に残っても、その日の自分がしたことは記憶からどこか遠くへ流されて行って、下流に流されてもう思い出す事も出来ない。


だからみさきちゃんが結婚するって言ったから、


みさきちゃんの子供の頃から大人になった今までの時間が、泰造さんにとって大切な大切な時間までもが、


どこかへ流れ去って消えてしまうのかと思って、泰造さん寂しくなっちゃったんじゃないかな」


「……」


「家族で過ごせる時間って、子供がまだ小さい時は無限に思えたけど、


実は案外短いものなんだよね。二十歳過ぎたらあっという間に一人立ちしてしまう。


だから泰造さんと……家族で過ごせる時間を大切にしてあげてな」


「うん、わかった……あ、シゲさんはジョン・レノンが亡くなった日って何をしてたの?」


「俺は近所の写真屋にフィルムの現像を頼みに行って、その写真屋にあったテレビでジョンの死を知ったな。


何の写真を出しに行ったのかは忘れちやったけどね」


「シゲさんは覚えてるんだね」


「たまたまだよ。俺もビートルズにそんなに興味なかったからね。でも、なんか忘れられない記憶っていうのもあるものさ。昨日、何を食ったかは覚えてなくてもね」


 すると突然、泰造がガバッと起き上がった。


「なんだ、みさき。来てたのか」


「さあ、帰るよ。シゲさんすみませんでした」

私は既に中ジョッキを飲み干してお通しを食べ終わっていた。


 泰造はよろよろと立ち上がって、「じゃあシゲさん。バイビー! よろしく哀愁!」と手を振った。


「ハハハ、またのお越しを!」


 泰造はよろよろしながらも、ちゃんと歩いていた。


 こんな風に親子で歩くことも結婚したらなくなってしまうのかな。


「オヤジさあ」

「ん?」

「なんでもない」

 

 なんかしんないけど泣きそうになった。

 泰造といる時間も大切にしないとな。

 2人きりの親子なんだし。




           

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