第8話 吉野家の意外なライバル

 仕事帰りに駅前の吉野家をなにげに覗いてみたら、カウンターに泰造がいたのでフラッと入ってみた。


泰造は驚いたみたいで、

「なんだ、みさき今、帰りか?」


「うん」


 泰造の前には牛皿とお新香と冷酒の小瓶が置かれていた。泰造、シブイな。


「たまに吉野家の牛皿で一杯やりたくなるんだよな」


 泰造は言い訳するみたいに言った。


「じゃあ私も同じのもらおうかな」


 私は同じものを注文した。


「俺は吉野家は子供の頃から来てるからな。

昔、CMで牛丼弁当を買ってきてもらったら、なぜか野球のユニフォームを着た子供が大喜びして、


『やったねパパ! 明日はホームランだ!』って言ってたのを覚えてるな。


まあ当時から牛丼弁当買ってきてもらったくらいで、そこまで喜ぶ子供はいなかったんだが」


「そうなんだ」


 冷酒が出てきて泰造がお酌してくれた。


 私はそれを一息で飲み干した。


「おお、姐さんいける口だね、どうだいもう一杯」


「オヤジ、娘酔わせてどうすんだよ」


 泰造がまたお酌してくれた。


「昔はまだ松屋もすき家もなくて、牛丼は吉野家の天下だったんだ。途中で海外進出して、一時期潰れそうになったけどな」


「そうなんだ」


「でもその後経営を立て直して、また一人勝ち状態が続いていたところに、思わぬライバルが現れたんだ」


「ライバル?」


「居酒屋チェーンの養老乃瀧が突如牛丼を始めて、200円で売り出したんだ。

『♫養老牛丼200円っ! ♫』ってCMを覚えてるな」


「へー」


「俺はその頃高校生だったんだが、普通に牛丼食べに行ってたな。居酒屋に高校生が制服姿で通うなんて今ではあり得ないな。まあ当時も学校に知れたら大変だったかもしれないけど。


でも、いつの間にか養老牛丼はなくなってた。本当に数年でやめたんじゃなかったかな。売れ行き悪かったのかもしれない。安くてうまくて、貧乏学生の味方だったのに。


成人してからは普通に居酒屋として通ってたからな。養老乃瀧の瓶ビールって安かったから」


「そうなんだ」


 私と泰造はそんなことを話しながら冷酒の小瓶を二本ずつ空けた。わりと酔っ払った。


「じゃあ、そろそろ締めるか」そう言って泰造は生卵を注文した。


「どうするの? 牛丼頼むの?」

 生卵は牛丼にかけるものだ。


 でも泰造は無言で器に卵を割ったかと思うと、そのままごくりと飲み込んだ。


「これが俺の締めだ」


 泰造シブイよ、シブ過ぎるよ。


 そして私達は、夜空に浮かんだ真ん丸い月を見上げながら、家まで歩いた。


 その途中、酔っ払って高揚した私は唐突に泰造に言った。

「もしかすると、今付き合ってる人と結婚するかも」

 

すると泰造は急に表情を固くして、

「そうか」と一言言ったまま、

 押し黙ってしまった。


 まん丸いお月様の下、

私たちは無言で家まで帰った。


 

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